さんぽ。
花浜匙
一章
私は散歩が好きだ。
暇があれば家を飛び出してしまう。
なんて事は私には随分、縁遠く感じるが。
私は散歩したいが為に外に出る事はなく、良い天気だからという理由で出掛けたいとも思わない。例えばニュースで何処ぞの桜が満開です。といった話や何十、何百年に一度の星が今夜見られます。といった風なスーパーの大安売りみたいな謳い文句に、好奇心と億劫を天秤に掛けたならば、億劫に天秤が傾き、特別の日も私にとっては
何の変哲もない日常に過ぎなくなる。
私は必要がなければ外出は控えたいし、外出するならばある程度の用事はまとめて済ましたいと考えてしまう。そもそも、どちらかと言えば私は運動は嫌いだ。でも不思議とサッカーは好きだ。私自身は走るのも遅く、体力も無く、実はプレイをしたら技術が光る。なんて事もありはしないが。世の中都合の良いことで周りはしない。ではサッカーの試合を見るのが好きなのかと言われれば、そんな事もなく、好きなチームがあるわけでも、好きな選手がいる訳でもなく、だが実は無類の地元チームのファンで……なんて事もありはしないが。だが地元は好きだ。良い所があるとも、生活をしていて便利と感じる事もないが、でも好きか嫌いかの2択なら迷わずに好きと答えてしまう。
何とも捻くれた野郎だなと自覚はあるのだが、性根の曲がり具合は折り紙付きの用で、私は人が嫌いなのに両性愛者なのだから笑えてしまう。
私が人を嫌いになった一番の理由は家族にあると考える。家族って言葉は明るい言葉の代名詞といった風な顔をしてのさばっている。例えば有名なスポーツ選手が良い記録を出した影の立役者だったり、未来ある若者のインタビュー何かで照れた笑みを浮かべながらも、心の通った声音で暖かな感謝の意を述べる。そういった姿は泥臭くも輝かしく見え、私には大層眩しく、直視することは叶わない。
だがそんなイメージに倣って、私の話しをするならば、胸を張って家族のお陰で家族という物が、人が嫌いになったと雄弁に語ろうではないか。
家族というのは、
血縁者な訳で、離れたくも
成人するまでは距離を置く事が難しく、離れたとしても血は争えず、
何事にも負の側面があるように、
良いも悪いも表裏一体で、
歪で不確かで綺麗で暖かくて天邪鬼。
私は家族というものを、
そういうものだと捉えている。
近いからこそ見たくもない人の闇が垣間見ては、勝手に酷く傷つき、人が信じられなくなった私だが、
先にある未来を一人で生きていける程に私は強くは無く、酷く傷つく事があれど、それでも人を求めてしまうらしい。難儀な生き方をする性を背負ったが、良いこともある。
人は生物学上は男と女しかいなくて、私はその両方を愛せるのだから、
私の未来は明るいのかもしれない。
私は過去に対して悔いがない。
それは、煮え湯を反芻し薄くし
飲み込んでしまった故に、
過去を経ての今の私があると納得して、今や親を反面教師にして生きていこうと早い内に人生に於ける背骨が出来て良かったと苦虫を呑み込んで業を腹に収めてしまった。
そんな環境もあって歳の割りには色々な経験をした様に思う。その結果なのか、嬉しいと言ってしまうのは複雑だが、人に頼られる事が多くなった。人と喋るのは得意じゃないと自覚のある私だが、人の話を聞くのは好きだ。
同じ経験を積んでいる人なんていなくて、経験を元に生き方の道筋が変わっていって、たまに人と出会って途中まで同行する事もあれば、その人が生涯のパートナーになったりするのだから面白いと思う。そうやって人の話を聞いていて思うのが、人付き合いってのは大変そうだなと思う。
私にも一定の社会性はあるのだろうが、私の周りの人が息苦し過ぎるだけなのか、
私が自由過ぎるのか。
それは定かでは無いが、私には縛られるのが嫌いと明確な意思があるのだから、きっと私が自由過ぎるのだろう。
人間関係ってのは煩わしくて堪らない。人との距離が遠いと大事な物は見えてこず、近すぎれば見落としてしまう。自身の事すら知っていると言える程には知ってはいないのに、他者の事など一生掛けても分からない気がする。でも、だからこそ人は面白いのだなと思う。
人は頭が良い。他の生物と違い心に対して頭を悩ます。頭が良いから、人当たりを気にして、見てくれを気にして、本音を隠して生きている。
そういうのは苦手だなと思うが、
でも私もまだ人ではあるらしく、
私には人を好きになれる心がある。他者の事も、自身の事も好いてあげれる余裕があるらしいから私は人でいられるのだろう。
私は崇高なる存在ってのを信じてはいないが、だからこそ自分の辿った道筋を面白く思える。その世界に明るくない為、教え何て物は知りはしないが、私は私が歩む道を神の思し召しだとか、全てが全て親のお陰だなんて思ってはいない。降る雨を良いと取るか、悪いと取るかの選択権は自分にあって、その解釈を自分で決めながら、時には急な斜面を登り降りし、偶に出会う良い景色を心に刻む。
今の私は、良いとも思えない地元に残り、煩わしく思う事はあれど実家に居を構えて、難儀に思う人と生活を共にしていて、毎朝大して代わり映えもしない何時もの通りを通って仕事場に向かい、人が嫌いな癖して人を相手に仕事をする。だが不思議と矛盾を抱えて生きてる事に不満はない。諦めがあると言えば、きっとそうなのだろう。だが不満は無い。それだけで十分だ。私は色の無い生活に色を付け足していくのが好きなのだろう。歩き慣れた道に変化を探して彷徨って、小さな変化で心が満ちる。月日が経てば何かしらは起こる。街も人も。環境にも関係値にも変化が起こる。壊しては建てて。近づいては離れて。嫌い嫌われ、好い好かれて。街も人も様変わりしていく。自らに変化を望まない私だが、変化していく様を眺めるのは好きだ。寂しがりな癖して、長生きはしたいと思う。
そんな矛盾が楽しい。
勉強嫌いな私だが、頭を使うのは好きだ。答えの無い問に対し、ただひたすらに考える。答えを探したい訳じゃない。その道すがらが楽しくてしょうがないのだろう。
そして、そうしてる間に生涯を閉じて逝くのだろう。
さんぽ。 花浜匙 @dry5d
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