肉屋で買った魔剣、なぜかグルメになる

ジード

第1話 二丁目の肉屋と呪われた魔剣



二十一世紀に入り、日本の地図は変わらないままだったが、

“世界の根っこ”は確実に別物になっていた。


二十年前、国内各地で説明不能な異常現象が同時多発した。

夜の海から、巨大な“白い手”が突き出して沈んでいった事件。

無人の交差点に、身の丈三メートルの角の生えた獣が出現した監視映像。

古い寺の蔵から発見された、明らかに意志を持って動く黒い刀。

廃工場の床に突然開いた“黒い穴”に吸い込まれた作業員。


政府はそれらを総称して――

**《特異災害》**と名付けた。


事件は瞬く間に国中へ広がり、

警察や自衛隊では対応しきれず、

政府は極秘に TSA(特異災害対策庁) を設置する。


以後、怪異のほとんどはTSAにより“社会から隠された”。

国民の多くは、

「どこかのマニアのデマ動画」「都市伝説」

として笑って済ませるようになった。


だが――

怪異が“消えたわけ”ではない。


見えにくくされただけで、

日常のすぐ下、うっすらとした影の層で、

確実に“何か”がうごめいていた。


そんな日本の片隅。


東京近郊にある古い下町。

そこにある小さな商店街“二丁目商店街”は、

昭和の香りを未だに残していた。


八百屋が朝から威勢のいい声を張り上げ、

魚屋が氷の音を響かせ、

年寄りたちが井戸端会議をし、

夕方には子どもたちが紙袋を抱えて駆けていく。


しかし、この下町はほんの少しだけ“普通ではない”。


魚屋の親父は“深海で獲れた正体不明の魚”を仕入れてくるし、

八百屋の倉庫には時々“動く根菜”が紛れ込む。

骨董店むらさき堂には、

怪異を封印した古道具の“残りカス”が自然と集まる。


そして――

商店街の中央には、三代続く精肉店アカマ精肉店があった。


赤間コウタ。

二十六歳。

肉と料理と解体を心底愛する、下町の肉屋三代目。


外見は気さくな兄ちゃんだが、

界隈では“異形肉の専門職人”として一目置かれている。


その理由は、特異災害の影響でこの地域に流れ着く、

“普通の家畜ではない肉”の処理ができるからだ。


今日も店の裏口には、見慣れた男たちが来ていた。


「赤間くん、また魔猪(まじし)を仕留めたんだが……解体頼めるかい?」

「この前の魔鹿(まろく)の背ロース、美味かったよ」

「これ、TSA経由で来た“異界獣の肋骨”だ。割れるか?」


コウタは淡々と受け取る。

特異災害が多い地域のせいか、

魔物肉の処理依頼は珍しくない。


「今日も忙しいな……」

彼は研ぎかけの包丁を手に取り、首を傾げた。


刃こぼれが進み、

硬い魔物の骨を斬り続けた結果、すっかり寿命が来ていた。


「仕方ない、新しい刃物を買うか」


店を閉め、コウタは商店街の端へ歩いていった。


目的地は――

古道具屋むらさき堂


ここは下町の住民ですらあまり近づかない、

薄暗く、不気味な雰囲気が漂う店だ。


しかし、良い刃物がある。

なにより、怪異にまつわる物品が“流れ着く”。


暖簾をくぐると、店内の空気は冷え、

まるで地下室に迷い込んだような静けさに包まれる。


「いらっしゃい……」

しわがれた店主の声。


棚には見たこともない形の仮面や、

妖気を帯びた壺、

そして――黒い布に包まれた長物が立てかけられていた。


コウタが近づくと、布の下から“ガタリ”と揺れる音がした。


店主は顔を歪め、苦々しい声で言う。


「……それに興味を持つとはね。

 この刀は、おすすめできないよ」


「どれくらい?」


「斬れ味は最上……だが、呪われている。

 持つ者の精神を侵し、血を吸う妖刀だ」


コウタは布を外した。


刀身が露になると同時に、空気が“みしっ”と歪んだ。

黒い妖気が滲み、まるで生き物のように呼吸している。


そして――

刀が喋った。


「……クレ……血ヲ……」


店主は悲鳴を飲み込み、後ろへ下がった。


だが、コウタは驚かない。

むしろ、刃を眺めながら冷静に尋ねた。


「斬れ味は?」


「……人の話を聞きなよ!!

 呪われてるんだぞ!!?」


「いや、肉を切るだけだからさ。

 鉄とか骨とか、硬いところが斬れれば十分で」


店主は呆れ果てながらも答えた。


「……最悪の呪いを除けば、最高だよ。

 金属も骨も、一太刀で真っ二つさ」


コウタは、微笑んだ。


「素晴らしい。いくら?」


店主は目を丸くした。


「な、何処の剣豪なんだあんたは……」


エプロン姿の青年は、自然体で言う。


「二丁目の肉屋です」


その瞬間――

魔剣の妖気が、一瞬だけ“しゅん”と萎んだ。


まるで、

「肉屋?なんだその選択肢……?」

と困惑しているかのようだ。


その反応に、コウタは思わず口の端を上げた。


「じゃあ、これもらっていきます」


会計を済ませると、

袋の中で魔剣が“かすかに”震えているのがわかった。


商店街へ戻る道すがら、コウタは言った。


「いいか? 人は切らせねぇ。切るのは肉だけだ」


しばらく沈黙。


風にかき消されそうなほどかすれた声で、魔剣は呟いた。


「……ニク……?」


「そう。今日の仕込みは黒毛和牛の肩ロース。

 脂が乗ってて、美味いぞ」


袋の中で――魔剣がびくりと揺れた。


恐怖か。

期待か。

それとも“食欲”なのか。


コウタにもわからなかった。


「……まぁ、とりあえず切ってみりゃわかるだろ」


夕焼けの下町を歩く青年と、

袋の中で震える呪われた魔剣。


こうして――

“人を喰う魔剣”と“下町の肉屋”の奇妙な生活が始まった。


この魔剣はまだ知らない。


“血”よりも、“魂”よりも、

遥かに深い沼がこの世界には存在することを。


その名も――“食”。

そして、

下町に生きる料理人の情熱が、

邪剣の運命を大きく狂わせていく。

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