第2話「夢の師匠、暴走する魔力」
その夜、俺は再び夢の中にいた。
前回と同じ、果てしない暗闇。だが、今回は少しだけ——ほんの少しだけ、周囲が見えるようになっていた。
足元には、淡い光の線が走っている。まるで魔力の流れのような——。
「また来たか、器よ」
声が響いた。
紫黒のオーラを纏った影が、俺の前に現れる。前回よりも、輪郭がはっきりしている。
人型だ。長い髪、優雅な立ち姿。でも、顔はまだぼんやりとしか見えない。
「あなたは……」
「我が名を知る必要はまだない」
影がゆっくりと歩み寄る。
「お前は器として目覚めつつある。だが、まだ未熟だ」
「器……それって、一体何なんですか」
「時が来れば分かる」
影が手を伸ばす。その手が、俺の額に触れた。
瞬間、激しい痛みが頭を貫いた。
「うああああっ!」
「恐れるな。これは我が力の一端——魔眼だ」
痛みの中、俺の右目に何かが流れ込んでくる。
紫黒の魔力。冷たく、それでいて優しい感覚。
「魔眼は真実を映す。表面の嘘を剥ぎ取り、本質を見抜く力だ」
「でも、僕は……制御できません」
「制御できないのではない。恐れているだけだ」
影が静かに言った。
「お前の力は、お前自身が縛っている。恐怖が、お前を支配している」
「恐怖……」
「そうだ。お前は力を恐れ、他人を傷つけることを恐れている」
影の声は、厳しくも優しい。
「だが、恐怖では何も守れぬ。強さとは、覚悟だ。傷つけぬという決意こそが、真の制御を生む」
「覚悟……」
俺は拳を握りしめた。
「我はお前に力を授ける。だが、それを使いこなすのはお前自身だ」
影が離れていく。
「待ってください!あなたは誰なんですか!」
「いずれ思い出す。お前が真に覚悟を決めた時——全てを」
影が暗闇に溶けていく。
「さらばだ、我が器よ」
***
「起きろ小僧!」
突然、別の声が響いた。
今度は高く、野太い声。
黄金の影が、俺の前に降り立つ。
竜のような姿。巨大な体躯、黄金の鱗、そして——鋭い目。
「お、お前は……」
「我が名もまだ早い。だが、貴様には体を鍛える必要がある」
黄金の影が、俺の胸を小突く。
その衝撃で、俺は吹き飛ばされた。
「いてっ!」
「弱すぎる!魔術だけでは戦えぬぞ、小僧!」
影が俺の前に立ちはだかる。
「立て。戦いの基礎を叩き込んでやる」
「で、でも僕は——」
「言い訳は聞かん!」
黄金の影が襲いかかってくる。
俺は慌てて避けようとするが——。
ドスッ!
腹に重い衝撃。息が止まる。
「遅い!そんな動きでは、敵の餌だ!」
「は、はい……」
「もう一度!体で覚えろ!」
影が再び襲いかかる。
今度は、俺の体が——無意識に動いた。
一歩踏み込み、影の攻撃を最小限の動きで避ける。
「ほう!」
影が嬉しそうに笑った。
「その調子だ!考えるな、感じろ!」
攻撃が何度も繰り返される。
そのたびに、俺の体は少しずつ——動き方を覚えていく。
避け方、踏み込み方、力の抜き方。
全てが、体に刻み込まれていく。
「よし、今日はここまでだ」
影が攻撃を止めた。
「お、お前も……誰なんだ?」
「我もまた、お前が思い出す時を待つ」
影が優しく笑った。
「だが、小僧よ。覚えておけ」
「戦いとは本能だ。頭で考えるな。体で感じろ。お前の中には、戦士の血が流れている」
「戦士の……血?」
「いずれ分かる。さあ、目覚める時だ」
黄金の影が、光となって消えていく。
「待って——」
暗闇が深まり——。
***
「はっ!」
俺は飛び起きた。
体中が汗でびっしょりだ。息も荒い。
「夢……だったのか」
でも、体が——確かに覚えている。
あの動き。あの感覚。
「何なんだ、あの二人……」
俺は右目を触った。
相変わらず、少し疼いている。
鏡を見ると、右目が——ほんの一瞬だけ、金色に光った気がした。
「……気のせい?」
時計を見る。まだ早朝だ。
「もう少し寝た方がいいかな」
でも、眠れる気がしなかった。
***
朝食の時間、俺は一人で食堂に向かった。
昨日よりも早い時間のせいか、人はまばらだ。
「おはよう、カイ君」
声をかけられ、振り向く。
昨日のグレン教授だった。
「あ、おはようございます」
「早いな。よく眠れなかったか?」
「ええ、まあ……」
教授は優しく微笑んだ。
「カイ君、君は魔力感知能力が高い。それは稀有な才能だ」
「でも、制御が……」
「制御は、技術だ。才能ではない」
教授が隣に座る。
「君が制御できないのは、才能がないからではない。恐れているからだ」
その言葉に、俺は驚いた。
夢の中の、紫黒の影と同じことを言っている。
「恐れ……ですか」
「そうだ。君は自分の力を恐れている。それが、制御を妨げている」
教授がコーヒーを一口飲む。
「魔法とは、意志の力だ。お前の魔力を信じろ。そして、自分を信じろ」
「自分を……」
「焦る必要はない。ゆっくりでいい」
教授が立ち上がる。
「だが、諦めるな。君には、それだけの価値がある力がある」
そう言い残して、教授は去っていった。
俺は一人、コーヒーカップを見つめた。
「信じろ、か……」
***
午前の授業は、魔法史だった。
魔法の歴史、古代の魔術師たち、そして——封印の話。
「諸君、世界には様々な封印がある」
担当教師が、黒板に図を描く。
「最も有名なのが、100年以上前に封印された二柱の存在——魔王ゼルダと竜王ドラグナス」
その名前に、俺は反応した。
「魔王ゼルダは、全ての魔術を極めた魔界の支配者。竜王ドラグナスは、最強の肉体を持つ竜族の王」
「二人は世界を脅威に晒したが、勇者の一族によって封印された」
勇者の一族——俺たちの祖先だ。
「そして、封印を維持するために、『器』という存在が必要だという」
「器?」
誰かが質問する。
「詳細は不明だが、封印された者の力を制御し、均衡を保つ存在らしい」
器——また、その言葉だ。
「100年に一度、器が生まれると言われている。そして今年は——ちょうど100年目だ」
教室がざわつく。
「もしかして、この学園に?」
「いや、都市伝説だろ」
俺は黙って、ノートに書き込んだ。
魔王ゼルダ。竜王ドラグナス。器。
全てが、繋がり始めている気がした。
***
昼休み、俺は再び図書館へ向かった。
封印について、もっと詳しく調べたかった。
『古代封印術の研究』
『魔王と竜王の伝説』
『器の役割と使命』
様々な本を積み上げる。
「カイ君、熱心だね」
声をかけられ、振り向く。
眼鏡をかけた女子生徒だった。
「あ、はい……」
「私、エリカ。クラスは違うけど、昨日の入学検査見てたよ」
彼女は本の山を見て、興味深そうに頷いた。
「封印の研究?面白そう。私も興味あるんだ」
「え、本当?」
「うん。古代魔術って、ロマンがあるでしょ?」
エリカは隣に座った。
「ねえ、一緒に調べない?私、魔法理論は得意なんだ」
「で、でも俺……」
「大丈夫。昨日のこと、気にしてないから」
彼女は笑顔で言った。
「むしろ、あんなに強い魔力を持ってるって、すごいと思う」
「強い……魔力?」
「そうだよ。制御できないのは、強すぎるからでしょ?だったら、制御する方法を見つければいいじゃん」
その前向きな言葉に、俺は少し救われた気がした。
「……エリカ」
「じゃあ、この本から読もうか」
二人で、封印の研究を始めた。
***
図書館で数時間、エリカと一緒に本を読み漁った。
「ねえ、カイ君。これ見て」
エリカが古い文献を指差す。
「器は、封印された者の力を継承する。だが、それには代償がある——記憶の封印」
「記憶の……封印?」
「そう。器は力を得る代わりに、その源を忘れるんだって」
「忘れる……」
俺は夢のことを思い出した。
あの二人の影。顔がはっきり見えない。名前も思い出せない。
もしかして、俺は——。
「カイ君?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事」
「そっか。じゃあ、続き読もう」
***
午後の実技は、戦闘訓練だった。
体育の一環として、基礎的な体術を学ぶ。
「では、ペアになって組手を行う」
担当教師の指示で、生徒たちがペアを作る。
俺は——当然のように、一人残された。
「カイ君は……私が相手をしよう」
教師が俺の前に立つ。
「軽くでいい。体の動かし方を確認するだけだ」
「はい」
俺は構える。
教師がゆっくりと攻撃してくる。
その瞬間——。
俺の体が、無意識に動いた。
一歩踏み込み、教師の攻撃を最小限の動きで避ける。
そして、完璧なタイミングでカウンター。
「!」
教師が驚いて後ずさる。
「今の動き……どこで習った?」
「え……分かりません。体が勝手に……」
周囲の生徒たちが、ざわざわと囁き始める。
「あの動き……古武術じゃないか?」
「新入生が知ってるはずないだろ」
教師は俺を見つめ、やがて頷いた。
「……もう一度、やってみよう」
今度は少し速い攻撃。
でも、俺の体は完璧に反応する。
避ける、受け流す、カウンター。
全てが流れるように繋がっていく。
「信じられない……」
教師が呟いた。
「君、本当に習ったことがないのか?」
「はい。でも、夢で……」
「夢?」
「いえ、何でもないです」
訓練が終わり、俺は困惑していた。
あの動きは、確かに夢で黄金の影から教わったものだ。
でも、なぜ現実でも使えるんだ?
***
夕方、訓練場の隅で一人、俺は座り込んでいた。
「兄さん!」
リゼが駆け寄ってくる。
「今日の体術、見てたよ。すごかったね!」
「あ、ああ……」
「どこで習ったの?あんな動き」
「それが……自分でも分からないんだ」
俺はリゼに、夢のことを話した。
二人の影。教えられる技術。目覚めても体が覚えている感覚。
「不思議だね……」
リゼは真剣に聞いていた。
「でも、兄さんが強くなるのは嬉しいよ」
「リゼ……」
「兄さん、私信じてる。絶対に、兄さんは制御できるようになるって」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
「俺も、頑張るよ」
二人で夕日を眺める。
穏やかな時間だった。
***
その夜、俺は魔法実技の自主練習をすることにした。
寮の外れにある、個人練習場。
誰もいない、静かな場所だ。
「よし……もう一度、やってみよう」
俺は杖を握る。
『恐れるな。信じろ』
夢の中の、紫黒の影の言葉を思い出す。
『覚悟だ。傷つけぬという決意こそが、真の制御を生む』
深呼吸。
魔力を集中させる。
手のひらに、小さな光を——。
ふわり。
光の玉が、手のひらの上に浮かんだ。
「できた……!」
でも、次の瞬間。
バチバチバチッ!
光が膨張し始める。
「くっ!」
『恐れるな!』
俺は必死に集中する。
『お前の魔力を信じろ!』
魔力の流れが見える。暴走しようとする力の動き。
右目が疼く。
その疼きに合わせて、魔力の流れがより鮮明に——。
「抑えろ……!」
俺は魔力を抑え込む。
ギリギリのバランスで、光の玉を保つ。
そして——。
ふっ。
光の玉が、静かに消えた。
「はあ、はあ……」
俺は膝をついた。
暴走しなかった。一瞬だけだが、制御できた。
「できた……本当に、できた……!」
涙が溢れた。
初めてだ。自分の力を、制御できたのは。
「ありがとうございます……夢の先生……」
空を見上げる。
星が綺麗だった。
***
翌日の魔法実技。
俺は少しだけ、自信を持って臨んだ。
「では、昨日と同じく光の玉を作ってみよう」
教師の指示で、生徒たちが魔法を発動する。
俺の番。
杖を握り、集中する。
『恐れるな』
魔力を集める。
手のひらに、光の玉が——。
ふわり。
小さな、でも安定した光の玉が浮かんだ。
「……できた?」
数秒間、光の玉は形を保つ。
そして、静かに消えた。
「カイ君……制御できたのか!」
教師が驚いて駆け寄る。
「ほんの少しだけですが……暴走しませんでした」
「素晴らしい!」
教室がざわつく。
「あの問題児が?」
「制御できたの?」
リゼが、満面の笑みで俺を見ていた。
「兄さん……!」
エリカも、嬉しそうに拍手している。
俺は、初めて——本当に初めて、自分の力を認められた気がした。
***
授業が終わり、中庭でリゼと話していた。
「兄さん、本当に良かったね!」
「ああ。でも、まだ完全じゃない」
「大丈夫。少しずつ、だよ」
その時、俺の右目が激しく疼いた。
「うっ……!」
「兄さん!?」
右目を押さえる。
視界が——変わった。
世界が、別の色で見える。
魔力の流れ、人々の感情、隠された真実——。
全てが、"視える"。
そして、中庭の隅に——。
「……あれは」
一人の生徒が立っている。
でも、その生徒の周囲には——人間のものではない、魔力の波動。
「人間じゃない……?」
***
理事長室。
グラディウス理事長が、報告を受けていた。
「カイ・アストラル、魔力制御に成功」
「そして、魔眼が覚醒しつつある」
理事長は満足そうに頷いた。
「順調だな。器としての成長が、予想以上だ」
「しかし、理事長。このままでは——」
「分かっている。魔族も動き出した」
理事長は窓の外を見た。
「カイ君は、まだ自覚していない。自分が何者なのか」
「だが、もうすぐだ」
「封印が揺らぎ始めている」
「器の覚醒と共に——世界が動く」
モニターには、中庭のカイが映っていた。
右目を押さえ、何かを見つめている。
その目は——確かに、金色に光っていた。
---
【第2話:完】
次回、第3話「魔眼覚醒、真実を映す眼」に続く。
カイの魔眼が捉えたのは、人間に化けた魔族——!?
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