第5話「陽だまりの食卓」

 涯狼の発作が落ち着いたことで、陽向の心にも少し余裕が生まれた。彼は離れに籠もるだけでなく、屋敷の中を散策したり、庭の手入れをしたりして過ごすようになった。そんなある日、陽向は屋敷の片隅にある、使われていない厨房を見つけた。


 そこは埃を被ってはいたものの、大きなかまどや調理器具が揃っていた。陽向の心に、ある思いが芽生える。


『いつも涯狼さんに食事を作ってもらってばかりだ。たまには僕が、何か温かいものを作ってあげたい』


 前世の日本では、料理をするのが好きだった。特に、旬の食材を使って、体に優しい和食を作るのが得意だった。この郷の豊かな自然を見ていると、創作意欲がむくむくと湧いてきた。


 陽向は早速、厨房の掃除に取り掛かった。獣人たちに恐る恐る声をかけ、食材を分けてもらえないかと頼んでみる。初めは訝しげに見ていた獣人たちも、花嫁である陽向の頼みを無下にはできず、山の幸や川の魚をいくつか分けてくれた。


 陽向は手に入れた食材を手に、生き生きとした表情で厨房に立った。まずは、森で採れたきのこをたっぷり使った炊き込みご飯。川魚は丁寧に串を打ち、囲炉裏の火でじっくりと塩焼きにする。山菜はさっと茹でて、香りの良いおひたしに。そして、大鍋では、獣人たちも好きな根菜をふんだんに入れた汁物がぐつぐつと煮えていた。


 醤油や味噌といった調味料はなかったが、陽向は木の実から作った醤もどきや、岩塩、薬草などを巧みに使い、素材の味を活かした優しい味付けを施していく。厨房には、食欲をそそる香ばしい匂いが立ち込め始めた。


 その匂いに誘われて、一人の獣人の子供が厨房を覗き込んできた。兎の耳を持つ、可愛らしい少女だ。


「…にいちゃん、なにしてるの?すっごく、いいにおい!」


「ふふ、ご飯を作っているんですよ。よかったら、少し味見してみますか?」


 陽向がにっこりと笑いかけると、少女はこくこくと頷いた。陽向は小さなお椀に炊き込みご飯をよそって手渡す。少女ははふはふと息を吹きかけながら一口食べると、その目をきらきらと輝かせた。


「おいしい!こんなご飯、はじめて食べた!」


 その声を聞きつけて、他の獣人たちも次々と厨房に集まってきた。彼らはこれまで、食材をただ焼くか煮るかといった、単純な調理法でしか食事をしてこなかったのだ。陽向が作る、繊細で味わい深い料理は、彼らにとって衝撃的だった。


「なんだこの飯は!米に味がついてるぞ!」


「この魚、皮はぱりぱりなのに、中はふわふわだ!」


 口々に上がる感嘆の声に、陽向は照れながらも、皆に料理を振る舞った。


 その騒ぎはもちろん、母屋にいる涯狼の耳にも届いていた。彼が様子を見に厨房へやってくると、そこには獣人たちに囲まれ、嬉しそうに笑っている陽向の姿があった。その光景は、まるで陽だまりのように温かい。今まで、この屋敷でこんな光景が見られたことなど一度もなかった。


「涯狼様も、ぜひ!」


 陽向は涯狼の姿を見つけると、一番大きなお椀によそった炊き込みご飯と、一番きれいに焼けた魚を差し出した。涯狼は無言でそれを受け取り、一口食べる。


『…うまい』


 心の底から、そう思った。ただ美味しいだけではない。陽向が込めた優しさが、じんわりと体に染み渡っていくような、温かい味がした。それは、涯狼が生まれて初めて知る、「手料理」の味だった。


「…おかわり」


 ぼそりと呟かれたその一言に、陽向は満面の笑みを浮かべた。


 この日を境に、陽向の作る食事は、涯狼だけでなく、郷の獣人たちの楽しみとなっていった。陽向の周りには自然と笑顔が集まるようになり、彼を「呪われた鬼神の、ただの生贄」として見ていた者たちの目も、少しずつ変わり始めていた。陽向の存在が、閉ざされていたこの郷に、温かい光を灯し始めていた。

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