第9話『逆恨みと愚者たちの襲来』

 俺たちの新しい生活は、驚くほどスムーズに始まった。セレスさんは非常に真面目で気配りのできる人だったので、すぐにフィーリアとも打ち解け、俺の生活を色々とサポートしてくれた。

 亜空間から材料を出して、セレスさん用の部屋を増築してやると、彼女は魔法で内装を整えてくれた。俺の力と彼女の魔法。相性は思った以上に良いようだ。

 三人での食事は、一人と一匹の時よりもずっと賑やかで楽しい。俺の料理を、セレスさんとフィーリアが競うようにして「美味しい!」と絶賛してくれる。作り手冥利に尽きるというものだ。


「アルクさんの料理は本当に絶品ですね。王都のどんな高級レストランよりも美味しいです」

「そんなに褒めても、何も出ませんよ」

「くぅん!」(おかわり!)


 そんな平和で幸せな日々が、永遠に続けばいいと思っていた。

 だが、その平穏は、ある日突然、無遠慮な足音によって打ち破られることになる。

 その日、俺たちは湖畔で釣りをしていた。セレスさんが魔法で魚の群れを誘導し、俺がそれを釣り上げるという連携プレイで、面白いように釣果が上がっていた。

 その時だった。森の奥から、複数の人間がこちらに近づいてくる気配がした。


「アルクさん、誰か来ます」


 セレスさんが警戒したように杖を構える。フィーリアも、喉の奥で低く唸り始めた。

 茂みをかき分けて姿を現したのは、俺が最も会いたくないと思っていた連中だった。


「……見つけたぞ、アルク」


 不機嫌そうな声でそう言ったのは、勇者カイだった。

 彼の後ろには、戦士のガストンと僧侶のリーナもいる。三人とも、最後に見た時よりもずっとみすぼらしい格好をしており、その表情には焦りと苛立ちが滲み出ていた。


「カイ……さん。どうしてここに」


 俺は平静を装って問いかけた。だが、心の奥では、嫌な予感が渦巻いていた。


「どうして、だと? しらばっくれるな!」


 カイが、怒りを込めて叫んだ。


「お前、俺たちのパーティーの財産を盗んで逃げたそうだな! ポーションも、素材も、食料も! 全てお前が持ち逃げしたせいで、俺たちはどれだけ苦労したと思っているんだ!」


 はあ? 盗んだ?

 あまりの言い分に、呆れて言葉も出ない。あれは追放された俺が、置き土産として回収しただけだ。そもそも、パーティーの財産管理を全て俺に丸投げしていたのは、どこのどいつだ。


「セレス! お前もいたのか! 俺たちを裏切って、こんな泥棒野郎に味方するとはな!」


 カイは、俺の隣に立つセレスさんを睨みつけた。


「カイ様、違います! アルクさんは何も盗んでなんかいません!」

「黙れ、裏切り者!」


 もはや、彼らに話は通じないようだった。彼らは、自分たちの落ちぶれた原因を全て俺になすりつけ、逆恨みしているのだ。


「アルク。今すぐ、盗んだものを全て返せ。そうすれば、命だけは助けてやってもいい」


 カイは聖剣を抜き放ち、その切っ先を俺に向けた。傲慢な態度は、以前と何も変わっていない。いや、むしろ追いつめられている分、前よりもタチが悪くなっている。


「お断りします」


 俺は、きっぱりとそう言った。


「これは、俺が追放された時の正当な退職金だと思っていますので」

「……なんだと?」


 カイの額に、青筋が浮かんだ。


「この期に及んで、まだそんな口をきくか! よほど痛い目にあいたいらしいな!」


 カイが叫ぶと同時に、戦士のガストンが雄叫びを上げて突進してきた。その手には、巨大な戦斧が握られている。


「うおおおおっ!」

「させません!」


 セレスさんが一歩前に出て、杖を構える。彼女が呪文を唱えようとした、その瞬間。

 ガストンの巨体が、まるで壁にぶつかったかのように、ピタリと動きを止めた。いや、止まったのではない。彼の目の前に、巨大な銀色の影が立ちはだかっていたのだ。


「グルルルルルル……」


 フィーリアだ。

 彼女は、普段の愛らしい姿からは想像もつかないほど低い唸り声を上げ、鋭い牙を剥き出しにしていた。その体は幻術が解け、本来の威圧的な大きさに戻っている。伝説の魔獣、フェンリルの姿がそこにはあった。


「なっ……ぎ、銀狼だと!?」


 ガストンが、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。カイもリーナも、信じられないものを見るような目でフィーリアを見つめていた。


「アルクを傷つける者は、私が許さない」


 凛とした、少女の声が響いた。

 声の主は、フィーリアだ。彼女は、テレパシーのようなもので、直接俺たちの脳に話しかけてきているようだった。

 フィーリア、喋れたのか……!

 驚く俺をよそに、フィーリアはカイたちを睨みつけたまま、一歩、また一歩と距離を詰めていく。その圧倒的なプレッシャーに、勇者パーティーの三人は完全に気圧されていた。


「ひ、ひぃっ!」


 リーナが情けない悲鳴を上げる。


「く、くそっ! たかが魔獣一匹に、この勇者が怯むとでも思うな!」


 カイは虚勢を張って聖剣を構え直すが、その足は恐怖で小刻みに震えている。

 もう、勝負はついたようなものだった。

 だが、俺はまだ、切り札を見せていない。


「フィーリア、ありがとう。でも、ここは俺に任せてくれ」


 俺はフィーリアの前に立ち、カイたちに向き直った。


「皆さん、話し合いの余地はないようですね。だったら、こちらも少しだけ、本気を出させてもらいましょうか」


 俺は右手を前に突き出し、にやりと笑った。


「後悔しても、もう遅いですよ」


 愚かな元仲間たちに、力の差というものを、はっきりと教えてやる時が来たのだ。

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