第6話『神出鬼没の商人と銀狼の噂』
俺とフィーリアの穏やかなスローライフは、相変わらず順調だった。畑の作物は豊作だし、湖の魚も大漁。亜空間の温室で作った果物も、見事に実をつけた。
特に、初めて収穫したメロンを食べた時のフィーリアの喜びようは、凄まじかった。あまりの美味しさに、目を白黒させながら、甘い果汁で顔中をべたべたにしていた。その姿を思い出すだけで、また笑みがこぼれてしまう。
しかし、一つだけ問題があった。それは、生活必需品の一部が尽きかけてきたことだ。具体的には、塩や砂糖、スパイスといった調味料類。これらは亜空間での創造が難しく、カイたちから失敬したストックにも限りがある。
「うーん、これは街に買い出しに行くしかないかな」
俺は腕を組んで考える。
幸い、この森から一番近い辺境の町までは、歩いて半日ほどの距離だ。問題は、俺が追放された身であるということ。まあ、カイたちのパーティーがこの辺境まで来ることはないだろうし、顔も割れていないはずだ。
それに、ちょうどいい機会かもしれない。亜空間には、使い道のない魔物の素材や、余った野菜や果物が大量にある。これらを売れば、当面の生活費くらいは稼げるだろう。
「よし、行ってみるか。フィーリア、ちょっと留守番しててくれるか? すぐに帰ってくるから」
俺がそう言うと、足元にいたフィーリアが「くぅん」と悲しそうな声を上げた。そして、俺のズボンの裾を軽く咥えて、行かないで、と訴えかけてくる。
「だ、だめだぞ、そんな可愛い顔しても……」
上目遣いで見つめてくるフィーリアに、俺の決意はあっさりと揺らいだ。
うぐぐ……。でも、フィーリアを一人で留守番させるのも、確かに心配だ。
万が一、俺がいない間に他の魔物や冒険者がここに来ないとも限らない。
「……わかったよ。一緒に行こう。ただし、町の中ではおとなしくしてるんだぞ?」
俺の言葉に、フィーリアはぱあっと表情を輝かせ、力強く尻尾を振った。本当に感情表現が豊かなやつだ。
俺はフード付きのローブを羽織り、フィーリアには念のため、幻術効果のある首輪を亜空間で創造して着けさせた。これで、彼女の姿はただの少し大きな犬くらいにしか見えないはずだ。
準備を整え、俺たちは辺境の町「リーフブルク」へと向かった。
リーフブルクは、森と街道に挟まれた、こぢんまりとした町だった。木の温もりを感じさせる建物が並び、活気はあるが、どこか長閑な空気が流れている。
俺はまず、冒険者ギルドへと向かった。魔物の素材を換金するなら、ここが一番手っ取り早い。
ギルドの中に入ると、いかにもな冒険者たちが酒を飲んだり、依頼書を眺めたりしていた。俺は人目を引かないようにカウンターへ向かい、亜空間からゴブリンの魔石やオークの牙などを取り出して見せた。
「こ、これは……かなりの量ですね。しかも、どれも状態がいい」
受付の女性は驚いたように目を見開いた。
「買い取ってもらえますか?」
「は、はい! もちろんです!」
提示された金額は、俺の予想をはるかに上回るものだった。どうやら、カイたちが捨てていた素材も、売ればそれなりの金になったらしい。
大金を手にした俺は、次に町の市場へと足を運んだ。ここで調味料や、その他必要なものを買い揃えるつもりだ。
市場を歩いていると、面白い噂を耳にした。
「おい、聞いたか? 最近、この町に神出鬼没の商人が現れるらしいぜ」
「ああ、知ってる! どんな希少な品でも売ってくれるし、どんなガラクタでも高値で買い取ってくれるって話だろ?」
神出鬼没の商人。俺は思わず足を止めた。
「それだけじゃない。その商人は、見たこともないような瑞々しい野菜や果物も売ってるらしい。王都の高級店でしか手に入らないような逸品だってさ」
それ、俺のことじゃん……。
どうやら、俺がギルドで素材を売ったり、試しに市場の隅で野菜を売ったりしたことが、尾ひれがついて広まっているらしい。まあ、亜空間から品物を出し入れする姿は、傍から見れば神出鬼没に見えるかもしれない。
「しかもな、その商人の傍らには、いつも美しい銀色の狼がいるって噂だ」
「銀狼!? まさか、伝説の……」
ギルドの連中が、声を潜めてそんな話をしている。
俺は自分の隣を歩くフィーリアに視線を落とした。幻術で犬に見えるようにしているはずだが、その気品や神々しさまでは隠しきれていないのかもしれない。
ちょっと目立ちすぎたか……。
まあ、正体がバレるわけでもないし、実害はないだろう。俺は気を取り直して、目的の店を探した。
塩やスパイスを無事に購入し、ついでにフィーリアのために美味しそうな骨付き肉も買ってやる。フィーリアは肉の入った袋をくんくんと嗅ぎ、早く食べたいと尻尾で急かした。
買い物を終え、町を散策していると、一軒の寂れた道具屋が目に入った。店先には、埃をかぶったガラクタのような品々が並べられている。
何か掘り出し物でもあるかもしれないな。
俺は軽い気持ちで、その店に入ってみることにした。
店の中は薄暗く、カビ臭い匂いがした。店番をしていたのは、人の良さそうな老婆だ。
「いらっしゃい。何かお探しものかい?」
「いえ、ちょっと見ているだけです」
俺は店内に並べられた品物を一つ一つ見て回った。錆びた剣、欠けた壺、何の変哲もない石ころ。ほとんどが価値のなさそうなものばかりだ。
諦めて店を出ようとした、その時。棚の奥で、何かが鈍い光を放っているのに気づいた。
手に取ってみると、それは古びたペンダントだった。装飾は剥げ落ち、鎖も切れかかっている。だが、中央に埋め込まれた小さな石だけが、微かに魔力を帯びているのを感じた。
「おや、それに目をつけたのかい。それは、もうずいぶん昔に、旅の行商人から譲ってもらったものだよ。何の変哲もないガラクタさ」
老婆はそう言って笑った。
しかし、俺にはわかった。このペンダントに込められた魔力は、ただのものではない。これは、おそらく何らかの呪いを封じるための、強力な魔法具だ。
「……これを、売ってもらえませんか?」
「え? こんなものでいいのかい?」
老婆はきょとんとしていたが、快く銀貨数枚で譲ってくれた。
思わぬ掘り出し物を手に入れ、俺は満足して店を出た。
このペンダントが、いつか何かの役に立つかもしれない。そんな予感を胸に抱きながら、俺とフィーリアは、夕暮れの道を我が家へと帰っていく。
辺境の町に流れる二つの噂。神出鬼没の商人と、伝説の銀狼を従えた謎の青年。
その正体が自分たちであることなど露知らず、俺たちの平和な日常は、まだ続いていくのだった。
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