第5話『そして勇者たちは沼に沈む』
その頃、アルクを追放した勇者パーティーは、深刻な状況に陥っていた。
場所は、『嘆きの森』のさらに奥深く。本来であれば、今頃はダンジョンの最深部に到達しているはずだった。しかし、彼らは未だ中層で足踏みを続けていた。
「くそっ! またポーションが切れた! 僧侶、回復を!」
勇者カイが、オーガの一撃を聖剣で弾きながら叫ぶ。彼の鎧は泥にまみれ、息も絶え絶えだ。
「もう魔力があまり残っていません! これ以上の回復魔法は……」
僧侶のリーナが、苦悶の表情で答える。彼女の顔にも、疲労の色が濃く浮かんでいた。
アルクを追放してから、全てが上手くいかなくなった。
まず、荷物の運搬が絶望的に滞った。代わりの荷物持ちを雇おうにも、こんな危険な森の奥まで来るような物好きはいない。結局、自分たちで重い荷物を分担して運ぶことになったが、戦闘に支障が出る上に、体力の消耗が激しかった。
そして、最も深刻だったのが、アイテム管理の杜撰さだ。
「おい、ガストン! 回復薬の残りはどうなってるんだ!」
「知るかよ! 俺は自分の分しか持ってねえ!」
戦士のガストンが吐き捨てるように言う。
以前は、アルクが全員分のポーションを完璧に管理し、最適なタイミングで供給してくれていた。だが今は、各自が自己管理するしかない。結果、誰かが使いすぎたり、いざという時に数が足りなかったりという事態が頻発していた。
「食料もです! この干し肉、なんだか変な味がしませんか……?」
魔法使いのセレスが、顔をしかめながら手元の干し肉を検分している。
「うるさいな! 食えるだけマシだろうが!」
カイが苛立ち紛れに怒鳴る。
アルクがいた頃は、彼が食材の状態を常にチェックし、最適な調理法で温かい食事を提供してくれていた。しかし、料理のできない彼らが管理する食料は、その多くが腐りかけ、まともな食事にありつけない日々が続いていた。
ダンジョンで手に入れた希少なドロップ素材も、持ち運べる量に限界があるため、泣く泣く捨てていくしかない。収入は激減し、パーティーの財政は火の車だった。
「……おかしい。全てがおかしい」
カイは、目の前のオーガをなんとか撃退した後、荒い息をつきながらつぶやいた。
「アルクがいた頃は、こんなことにはならなかった。もっとスムーズに……もっと快適に探索できていたはずだ」
そうだ、あいつだ。あいつがいないから、何もかもが狂ってしまったんだ。
「荷物持ち一人がいなくなっただけで、ここまで状況が悪化するなんて……」
セレスが、呆然とした様子で言う。彼女はアルクの追放に唯一反対していた。そして今、彼女の懸念が現実のものとなっている。
「アルクさんは、ただの荷物持ちではありませんでした。彼は私たちの生命線だったんです。在庫管理、食料の準備、野営の設営、情報収集……私たちが戦闘に集中できていたのは、全て彼が陰で支えてくれていたからです」
セレスの言葉に、ガストンもリーナも反論できない。皆、心のどこかで気づいていたのだ。アルクという存在の重要性に。しかし、それを認めることは、自分たちの無能さを認めることと同義だった。
「うるさい! あいつはただの寄生虫だ! 俺たちのお情けでパーティーにいさせてもらっただけの、無能な男だ!」
カイは、自らに言い聞かせるように叫んだ。
「そうだ、あいつがいなくても、俺たちだけでやれる! 勇者である俺がいるんだぞ!」
だが、その言葉は空しく響くだけだった。すでにパーティー内の雰囲気は最悪だ。些細なことで言い争いが絶えず、連携もちぐはぐ。信頼関係は崩壊寸前だった。
「もう……嫌です」
ぽつり、とリーナがつぶやいた。
「こんなギスギスしたパーティーで、これ以上旅を続けるなんて……。私、もう限界です」
「なっ、何を言っているんだリーナ!」
「私もです」
セレスも静かに、しかしきっぱりとした口調で言った。
「今の私たちでは、このダンジョンを攻略することなど不可能です。一度、街に戻って体勢を立て直すべきです」
「ふざけるな! ここまで来て、引き返せるか!」
カイが激昂するが、二人の決意は固いようだった。戦士のガストンも、不貞腐れたようにそっぽを向いている。もはや、カイの言葉に耳を貸す者はいなかった。
結局、彼らは攻略を諦め、ほうほうの体でダンジョンからの撤退を余儀なくされた。
王都に戻る道中も、雰囲気は最悪だった。誰も口を開かず、ただ黙々と歩くだけ。かつての栄光に満ちた勇者パーティーの面影は、どこにもなかった。
全て、あの荷物持ちのせいだ。
カイは、心中でアルクを罵る。
あいつが俺たちのポーションや食料を、もっと大量に持っていれば……。いや、違う。あいつがもっと有能だったら、そもそもこんなことには……。
責任転嫁。それが、今のカイにできる唯一のことだった。自分たちの判断が間違っていたとは、決して認めたくなかった。
彼らはまだ気づいていない。自分たちが陥っているのが、ほんの序章に過ぎないということに。
そして、彼らが失ったものが、単なる便利な荷物持ちだけでなく、パーティーの財産そのものであったという事実に気づくのは、もう少し先の話である。
有能な縁の下の力持ちを失った勇者一行は、まるで底なし沼に足を取られたかのように、ゆっくりと、しかし確実に破滅の道へと沈んでいくのだった。
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