第15話

体育祭(後編) ~女子生徒の異変~

 グラウンドの中央で、佐藤健義と堂羅デューラは互いの胸倉を掴み合っていた。

「……佐藤、貴様の作ったプロテクター、硬すぎだ。拳が腫れたぞ」

「……堂羅、君の『徹し』は非常識だ。肋骨が2本、ヒビが入った音がした」

 棒倒しは、結局「引き分け」に終わった。

 赤組の猛攻を白組が防ぎきり、時間切れとなったのだ。

 生徒たちは泥だらけになりながらも、どこか清々しい顔で互いの健闘を称え合っている。

「……まあいい。痛み分けだ」

 堂羅が手を離す。

「ああ。……それにしても、放送席が静かだな」

 佐藤が本部席を見上げる。

 実況をしていたはずの桜田リベラの姿がない。

 それどころか、グラウンドの端、救護テントのあたりに人だかりができている。

 二人の法曹としての勘が、警報を鳴らした。

 ただの熱中症や怪我ではない。もっと重く、粘り気のある空気が漂っている。

「……行くぞ」

「ああ」

 ◇

 保健室。

 消毒液の匂いが立ち込める中、カーテンの向こうから話し声が漏れていた。

「……先生、言わないで。お願い、親にも、誰にも……」

 消え入りそうな少女の声。2年Z組の真理(まり)だ。

 彼女はベッドに横たわり、顔面蒼白でシーツを握りしめている。

 その枕元に、担任の平上雪之丞が座っていた。

 いつもの二日酔いの顔ではない。鋭く、そして悲痛な「大人」の顔だ。

「……真理。隠し通せるもんじゃねぇぞ」

 雪之丞の声は低かった。

「貧血じゃねぇ。ただの体調不良でもねぇ。……『つわり』だな?」

 真理の肩がビクリと跳ねた。

 嗚咽が漏れる。それが答えだった。

 カーテンがシャッと開かれた。

 佐藤、堂羅、リベラ、そして早乙女蘭が立っていた。

「……おい、盗み聞きたぁ趣味が悪いな」

 雪之丞が睨むが、その目には諦めの色が混じっていた。

「緊急事態だと思ってな。……事実確認をしたい」

 佐藤が真理を見る。

 視線は彼女の腹部へ。まだ目立たないが、その兆候はある。

「……妊娠、しているのか」

 その単語が出た瞬間、空気が凍りついた。

 昭和の高校生にとって、それは「死刑宣告」にも等しい言葉だった。

 真理は泣き崩れた。

「……退学になる。私、学校辞めさせられる……! 親には勘当される……人生終わりだぁ……!」

 蘭がたまらず駆け寄り、背中をさする。

「そ、そんなことないよ! 赤ちゃんは授かりものじゃない!」

「……蘭ちゃん、ここは昭和(この時代)なのよ」

 リベラが静かに告げる。扇子を持つ手が震えている。

「この時代の倫理観では、未成年の妊娠は『不純異性交遊』の成れの果て……学校の恥、一族の汚点として処理されるわ」

 ◇

「……相手は誰だ」

 堂羅が低い声で聞いた。怒気を孕んでいる。

「同じ学校の奴か? それとも……」

 真理は首を横に振った。

「……ち、違う。隣町の……修羅道高校の人。でも、連絡がつかなくて……『俺には関係ない』って……」

 バキッ。

 堂羅が保健室のパイプ椅子を握りつぶした。

「……そうか。殺すリストに入れておく」

「待て、堂羅。今は感情で動く時じゃない」

 佐藤が制止し、雪之丞に向き直った。

「先生。学校側の規定(ルール)はどうなっていますか」

「……明文化はされてねぇ。だが、慣例としては『自主退学』一択だ」

 雪之丞がタバコを取り出そうとして、ここは保健室だと気づき、箱を握りつぶした。

「PTAも、理事会も、教育委員会も黙っちゃいねぇ。『健全な育成を阻害する』とな」

「ふざけた理屈だ」

 佐藤は眼鏡を押し上げた。

「妊娠を理由とした退学処分など、教育を受ける権利(憲法26条)の侵害だ。ましてや自主退学を強要するなど、処分権の濫用に他ならない」

「……理屈はそうだがな、会長ちゃん。現実は厳しいぞ」

 雪之丞が苦い顔をする。

「今、職員室では井上校長が電話対応に追われてる。……救急車を呼ぶ際、症状を伝えたからな。噂はもう広まってる。明日には『PTAの悪魔』が乗り込んでくるぞ」

 ◇

 夕暮れ。

 祭りの後片付けが終わったグラウンド。

 三人は誰もいない用具倉庫の裏にいた。

「……どうする」

 堂羅が壁を蹴った。

「相手の男を見つけ出して責任を取らせるか? それとも……」

「男を吊るし上げるのは後ですわ」

 リベラが冷たく、しかし決意を込めて言った。

「まずは彼女を守ること。……退学なんてさせませんわ。私のクラスメイトを、大人の都合で切り捨てさせるもんですか」

 佐藤は、ポケットの中のタバスコを弄んでいた。

 脳裏に浮かぶのは、泣きじゃくる真理の顔。

 かつて法廷で見た、救われなかった少年少女たちの顔。

(……僕たちは、何のためにここに来た?)

(昭和の理不尽を正すためじゃないのか?)

 佐藤はタバスコを取り出し、夕日にかざした。

「……判例を作ろう」

「あ?」

「この獄門高校で、前代未聞の判例だ。『妊娠した生徒が、堂々と卒業する』という実績を作る」

 佐藤は振り返り、二人を見た。

「相手はPTA、理事会、そして昭和の世間体だ。……勝てるか?」

 堂羅がニヤリと笑った。

「愚問だな。……世間体如き、俺の気合でへし折ってやる」

 リベラがふわりと微笑んだ。

「あら、世間はお金で変わりますのよ? 私の財布が火を吹きますわ」

 体育祭の熱狂は去った。

 ここから始まるのは、棒倒しよりも激しく、過酷な「人権闘争」だ。

 その夜。

 井上校長の元に、一本の電話が入った。

 受話器の向こうの相手は、氷のような声で告げた。

『――西園寺です。PTA会長として申し上げます。……その不潔な生徒を、即刻処分なさい』

 最強の敵、「昭和の倫理観」そのものが、獄門高校に迫っていた。

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