第7話
校長、絶体絶命 ~教育委員会の査察~
「お、終わりだぁぁぁ……!!」
冬の初め。校長室に、井上白長(はくなが)の断末魔のような悲鳴が響き渡った。
呼び出された佐藤、堂羅、リベラの三人は、机に突っ伏して泣いている初老の男を冷ややかに見下ろしていた。
「……うるさいですね。胃薬ならそこにありますよ」
佐藤が棚を指差す。
「違うんだ! 胃じゃない、学校が終わるんだ!」
井上は一枚の通知書を震える手で差し出した。
差出人は『県教育委員会・特別監査室』。
内容は――『廃校に関する予備調査の通達』。
「あ、明日……『査察官』が来るんだ。我が校の偏差値の低さ、暴力事件の多さ、そして先日の文化祭での暴走族騒ぎ……全て筒抜けだ! 明日の査察で『改善の見込みなし』と判断されたら、来年度で廃校だぁぁ!」
井上は床に崩れ落ち、三人の足にすがりついた。
「頼む! 君たち! 君たちは頭が良いんだろう!? なんとかしてくれ! 私の退職金がかかっているんだ!」
◇
三人は顔を見合わせた。
正直、知ったことではない。だが。
「……困るな」佐藤が眼鏡を直す。「現代に帰る手がかり(文献や記録)は、この学校の図書室や地下倉庫にある可能性がある。廃校になって立ち入り禁止になれば調査ができない」
「フン。俺のシマを勝手に畳まれてはたまらん。まだ更生(シメ)ていない不良が山ほどいる」堂羅が拳を鳴らす。
「それに、ここで廃校になったら私の『学歴』に傷がつきますわ。……履歴書に『廃校』と書くのは美しくありませんもの」リベラが髪を払う。
利害は一致した。
三人はニヤリと笑う。その笑顔は、井上校長をさらに震え上がらせるほど凶悪だった。
「安心しろ、校長。……明日の査察、我々が『演出』してやる」
◇
翌朝。
獄門高校の校門に、一台の黒塗りの公用車が停まった。
降りてきたのは、鬼瓦(おにがわら)という名の女性査察官だ。分厚い眼鏡、定規で測ったような姿勢。歩くコンプライアンスのような人物である。
「……空気が澱んでいますね。やはり、廃校が妥当か」
鬼瓦は冷徹に呟き、校門をくぐった。
しかし。
「ごきげんよう、査察官様」
そこには、信じられない光景が広がっていた。
割れていた窓ガラスは全て修復され(一夜漬け)、落書きだらけだった壁は真っ白に塗られ(ペンキが乾いていない)、校庭には塵ひとつ落ちていない。
そして何より。
剃り込みを入れたヤンキーたちが、七三分けにし、眼鏡をかけ、単語帳を読みながら歩いているのだ(※本は逆さまだが)。
「な……!?」
鬼瓦が絶句する。
そこへ、生徒会長の腕章をつけた佐藤が進み出た。
「ようこそ、獄門進学校へ。ご案内します」
「……貴様、ここの生徒会長か? 事前の報告書では『無法地帯』とあったが……」
「ハハハ。それは古いデータですね。我が校は今、独自の**『更生プログラム』**により、飛躍的な進化を遂げているのです」
佐藤は淀みなく嘘をついた。
そう、これは昨夜から行われた、地獄の特訓の成果だ。
【回想:昨夜の体育館】
堂羅が竹刀を持って叫ぶ。
「いいかクズ共! 明日だけは東大生になりきれ! 歩くときは背筋を伸ばせ! 『あぁん?』と言ったら殺す! 返事は『はい、そうです』のみだ!」
恐怖に引きつる不良たち。「は、はい、そうですぅぅ!」
◇
案内された授業風景。2年Z組。
教壇には、髭を剃り、借りてきた礼服を着た平上雪之丞が立っていた。
「えー、このケインズ経済学における……」
雪之丞の手が震えている。黒板に書かれている数式は、佐藤が一晩で書かせたものだ(雪之丞は意味を理解していない)。
生徒たち(中身は札付きのワル)は、直立不動で座り、必死にノートを取るフリをしている。
鬼瓦査察官が、一人の生徒のノートを覗き込んだ。
「……君。この数式、どういう意味かね?」
指名されたのは、番長の鮫島(生徒)だった。
鮫島は顔面蒼白になる。
(やべぇ! 殺される! 堂羅さんに殺される!)
その時、窓の外からリベラがハンドサインを送る。
『笑って誤魔化せ』
鮫島は引きつった笑顔で答えた。
「は、はい! それは……えーと、青春のパラドックスであります!」
……沈黙。
佐藤がすかさずフォローに入る。
「素晴らしい。彼は『文学的表現』で数学を解釈したのです。これぞ本校が目指す『リベラル・アーツ教育』!」
「……そ、そうか?」
鬼瓦は狐につままれたような顔で頷いた。
◇
だが、最大のピンチは昼休みに訪れた。
食堂(学食)の視察である。
鬼瓦が厨房の裏口に目をつけた。
「……あのバイクはなんだ? 改造車に見えるが」
喜助のスーパーカブだ。しかも、荷台には出前用のクナイや忍具が満載されている。
「む。これは銃刀法違反の疑いが……」
鬼瓦が近づこうとする。
佐藤のタバスコが切れた。「まずい、言い訳が思いつかない……!」
その時。
ドォォォン!!
校庭で爆発音がした。
「きゃあああ! 不審者よーっ!」
早乙女蘭の声だ。
蘭が(打ち合わせ通りに)発煙筒を焚き、自作自演の捕り物劇を開始したのだ。
「な、なんだあれは!」
鬼瓦が窓に駆け寄る。
そこには、スケバン姿の蘭が、鎖を振り回して見えない敵と戦う演劇(?)が繰り広げられていた。
「あれは……当校の演劇部です! 『あぶない刑事』の稽古です!」
リベラが強引に説明する。
「そ、そうなのか? ずいぶん迫真だが……」
その隙に、堂羅が喜助のバイクを担ぎ上げ(怪力)、物理的に隠した。
◇
夕方。
校長室にて、最終報告会。
井上校長は、寿命が10年縮んだ顔で座っていた。
鬼瓦査察官は、眼鏡を光らせて言った。
「……正直、驚いた。データとはまるで違う」
ゴクリ。全員が唾を飲む。
「生徒たちの目……あれは、何かに怯え……いや、規律を守ろうとする『武士』のような目だった。そして、教師たちの必死さ。……よかろう」
鬼瓦は報告書にハンコを押した。
『存続(条件付き)』。
「ただし、半年後に成果が出なければ即廃校だ。精進したまえ」
鬼瓦は去っていった。
◇
「た、助かったぁぁぁ……!!」
井上校長がその場にへたり込み、号泣した。
「ありがとう! 君たちのおかげだ! 生きた心地がしなかったが!」
佐藤、堂羅、リベラの三人も、どっと疲れが出てソファに沈み込んだ。
「……二度とごめんだ。嘘をつくのは法廷だけでいい」
佐藤がタバスコを一気飲みする。
「ああ。あいつらに勉強させるより、素手で熊と戦う方が楽だ」
堂羅が天井を仰ぐ。
「でも、これでまたしばらくはこの『おもちゃ箱』で遊べますわね」
リベラがマカロンを口に放り込む。
こうして、獄門高校は首の皮一枚で繋がった。
だが、この一件により、生徒たちの間で奇妙な誤解が広まってしまった。
『おい、あの三人……教育委員会すら騙し通したぞ』
『本物の詐欺師だ……逆らっちゃヤベェ』
三人の支配力(恐怖)は、皮肉にもより強固なものとなってしまったのだった。
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