第5話

堕落教師・雪之丞の借金地獄

 獄門高校、2年Z組。

 朝のホームルームだというのに、担任の平上(ひらうえ)雪之丞は、教卓に突っ伏して死んでいた。

「……うぅ、頭痛ぇ。誰か、水……いや、迎え酒をくれ」

「先生、また二日酔いかよ」

「ていうか、酒臭ぇぞ!」

 生徒たちのブーイングにも、雪之丞は動じない。いや、動けない。

 彼はフラフラと顔を上げ、最前列にいた佐藤健義の手を握った。

「おぉ、佐藤会長ぉ……。頼む、500円貸してくれ。昨日の麻雀でスッテンテンなんだ。給料日には返すから! 3倍にして返すから!」

「……先生。利息制限法の上限を超えていますし、公務員が賭博罪を自白するのはやめてください」

 佐藤は冷たく手を振り払った。

 隣で堂羅デューラが、汚物を見るような目で見下ろしている。

「クズだな。教育者の風上にも置けん。切腹して詫びろ」

 後ろで桜田リベラが、優雅に紅茶(持参)を飲みながら笑う。

「あら先生、500円なんて言わず、私が50万ほど融資して差し上げましょうか? ……担保は『先生の臓器』か『一生涯の隷属』で結構ですわよ?」

「ひぃっ! リベラちゃんの目がマジで怖い!」

 雪之丞はガタガタと震え、逃げるように教室を出て行った。

「ほ、保健室行ってくる! 自習にしとけよー!」

 ◇

 その日の放課後。

 事件が起きた。

「た、大変だ! 今月の給食費と修学旅行の積立金が、職員室の金庫から消えている!」

 井上校長の悲鳴が校内に響き渡った。

 ざわつく校内。そして、全員の脳裏に一人の人物が浮かんだ。

 借金まみれの担任、雪之丞である。

「……状況証拠は真っ黒だな」

 佐藤は眼鏡を光らせた。

「業務上横領罪。刑法253条、10年以下の懲役だ。……生徒の金を盗むとは、法曹を目指す者として見過ごせん」

「逃がすかよ。地獄の果てまで追い詰めて、古流剣術のサビにしてやる」

 堂羅が竹刀(没収品)を片手に立ち上がる。

「あら、待って。もし彼が犯人なら、弱味を握るチャンスじゃない? 私たちの手駒(ポーン)として使えそうよ」

 リベラが悪だくみの顔をする。

「公務執行妨害で逮捕よーっ!」

 いつの間にか混ざっていた早乙女蘭が、鎖手錠をチャリチャリ鳴らす。

 こうして、最強の生徒たちによる「先生狩り」が始まった。

 ◇

 校舎裏の焼却炉前。

 雪之丞はそこにいた。だが、様子がおかしい。

 彼は数人の男たちに囲まれていたのだ。

「おい平上ぇ。また『今月は待ってくれ』か?」

「教育委員会にバラされたくなかったら、耳の一個でも置いてけや!」

 柄の悪いスーツの男たち。街金(ヤミ金)の取り立て屋だ。

 雪之丞は、地面に土下座していた。

「す、すんません! ホントに金がないんです! あと3日……いや、1週間待ってください! 靴でも舐めますからぁ!」

 物陰から見ている佐藤たちは、呆れ返った。

「……情けない。あれが担任か」

「見ていられん。介錯してやるのが慈悲というものだ」

 男の一人が、雪之丞の頭を革靴で踏みつけた。

「あぁ? 舐めるなら今すぐ舐めろよ。……おらっ!」

 グリグリと地面に顔を押し付けられる雪之丞。

 その時。

 雪之丞のポケットから、何かが落ちた。

 封筒だ。中には札束が入っている。

「あ? なんだこれ、金持ってんじゃねえか!」

 取り立て屋が封筒を奪う。

 表書きには『2年Z組 給食費』と書かれていた。

「ああっ! それはダメだ! それは生徒たちの……あいつらの飯代なんだよぉ!」

 雪之丞が叫び、男の足にしがみつく。

「俺の金ならいくらでもむしり取っていい! でもそれだけは……それだけは返してくれぇ!」

 佐藤たちの目の色が少し変わった。

(……盗んだんじゃない。あいつ、借金の返済に追われても、生徒の金には手を付けずに守っていたのか?)

「うるせぇ! 金に色はねぇんだよ!」

 取り立て屋が、雪之丞の腹を蹴り上げた。

 さらに、別の男が鉄パイプを振り上げる。

「死ねや、クズ教師!」

 ――その瞬間。

 空気が、凍りついた。

 ドォォォン!!!

 鈍い音が響き、鉄パイプを持っていた男が、何の前触れもなく吹き飛んだ。

 焼却炉の壁に激突し、動かなくなる。

「……は?」

 残りの男たちが呆然とする。

 そこには、ゆっくりと立ち上がる雪之丞の姿があった。

 先ほどまでの卑屈な笑みは消え、その瞳には、底冷えするような殺気が宿っていた。

「……言ったよな? 『金に色はねぇ』って」

 雪之丞が、だらりと腕を下げる。自然体(無構え)。

 だが、その全身から立ち昇るプレッシャーは、達人のそれだった。

「俺の金は汚ねぇ金だ。好きにしろ。……だがな、生徒の給食費は、あいつらの血肉になる神聖な金だ。それに触れたその汚ねぇ手……」

 ヒュッ。

 雪之丞の姿が消えた。

 次の瞬間、封筒を持っていた男の目の前に現れていた。

「……置いてけ」

 バキィッ!!

 目にも止まらぬ正拳突き。男は悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちた。

 残る男たちがナイフを取り出すが、雪之丞はあくびをするようにそれを躱し、的確に急所だけを打ち抜いていく。

 空手三段。そして裏社会の喧嘩殺法。

 圧倒的な暴力の前に、取り立て屋たちは1分とかからず全滅した。

 ◇

「……ふぅ。肩凝った」

 雪之丞は、倒れた男たちのポケットからタバコを抜き取り、火をつけた。

 そして、落ちていた給食費の封筒を拾い、埃を丁寧に払う。

「……見てたんだろ? 出てきなよ、生徒会長ちゃんたち」

 雪之丞が焼却炉の影に声をかける。

 佐藤、堂羅、リベラ、蘭がぞろぞろと出てきた。

「……驚いたな。空手三段とは聞いていたが、あれは実戦(ころしあい)の動きだ」

 堂羅が冷や汗を流しながら言う。

「先生、かっこいい……かも?」

 蘭が頬を赤らめる(チョロい)。

 雪之丞は、いつものダメ教師の顔に戻ってヘラヘラと笑った。

「いーや? 俺はただの二日酔いのオッサンだよ。……で? これ(暴力沙汰)をネタに、俺を脅すのかい? リベラお嬢様」

 リベラが進み出る。

「ええ。教育委員会に通報されたくなければ……これからの『改革』に協力していただきますわ」

 リベラは封筒――給食費の入ったそれ――を指先で突き返した。

「そのお金は金庫に戻しておきなさい。……借金の分は、私が無利子で立て替えてあげます。その代わり、体で(労働で)返していただきますけれど?」

 佐藤も眼鏡を押し上げた。

「正当防衛の成立要件は満たしています。……あなたのその腕っぷしと、大人の汚い知恵。我々の『法治改革』には必要不可欠だ」

 雪之丞は紫煙を吐き出し、やれやれと頭を掻いた。

「……うわぁ、エリート様は怖ぇなぁ。……わーったよ。毒を食らわば皿までだ。一蓮托生、付き合ってやるよ」

 こうして、最強にして最悪の顧問、平上雪之丞が仲間に加わった。

 彼はニヤリと笑う。

「ま、担任として言わせてもらうとな……お前ら、もう少し青春しろよ? 眉間のシワ、増えてんぞ」

 そう言って差し出されたのは、取り立て屋から巻き上げた(?)缶コーヒーとチョコレートだった。

 意外と気の利くその大人に、三人は少しだけ心を許したのだった。

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