第8話 忘れられた砦

砦までは数日を要した。


だが、かつて砂漠を越えた旅に比べれば、平坦な道はむしろ快適だった。いくつかの街を通り過ぎ、やがて視界の先に、黄土色の土を固めて作られた小さな砦が姿を現した。




無骨な造りの中に、ぽつんと佇む城だけが異様に整っていた。だが近づくにつれ、その城も崩れかけ、廃墟のように風雨に晒されていた。




剣戟の音が響く。 2人は即座に臨戦態勢に入る。砦の前では、兵士たちが魔物に襲われていた。イノシシのような巨体の魔物――クラグホッグ。明らかに兵士たちは劣勢だった。




「行くぞ!」




ドレイクが声を上げ、先頭に立って魔物の群れに飛び込む。みのりは、負傷兵の元へ駆け寄りながら、次々と治癒魔法を施していく。




「こっちへ!砦の中へ!」




みのりの声に、残った兵士たちが次々と退避を始める。ドレイクは殿を務め、最後まで魔物たちを引き付けていた。




全員が砦の中へ入ったことを確認すると、ドレイクは一頭のクラグホッグを蹴り飛ばし、素早く撤退。砦の扉がぎぎぎと重く軋む音を立てながら閉まると、ようやく魔物たちの気配が断たれた。




「助けていただき、誠に感謝します……」




年若い兵士が、荒れた呼吸のまま礼を述べる。 その後方ではまだ混乱が続いていた。負傷者の搬送、扉の補修、指示の飛び交う声――混乱の只中、ひときわ大きな人影が歩いてくる。


白髪の将軍。老齢に見えるが、背は高く、厚い鎧を纏っている。肩のあたりに大きく裂けた傷跡が走っていた。




「アルカトラの第一王子とお見受けする」




みのりとドレイクは思わず一歩退く。




「ご安心を。殿下はご無事です。すでにお二人が犯人でないと声明を出されておる」




将軍の声音は穏やかだった。みのりはその一言に、張りつめていた胸の奥の不安が少しずつ解けていくのを感じた。




「皇子……殿下はどちらに?」


「スイロウよりこちらへ向かっておられます。クラグホッグの群れが大量発生し、援軍としてお越しになるとのこと」




――あの皇子が? と、みのりは内心で目を丸くする。 あの飄々とした態度からは想像もできなかったが、軍の指揮すら執るというのか。




「クラグホッグ……先ほどの魔物の名ですか?」


「そう。だが、以前は単体か多くて十頭だった。だが近頃は異常発生しており、砦の兵力では防ぎきれん」




ドレイクが静かに問いかけた。




「誤解が解けたのは何よりだが、犯人は捕まったのか?」




将軍は表情を曇らせ、肩をすくめる。




「残念ながら、そちらは未だ……こちらも魔物の対応で手が回らぬ状況でな」




その時、悲鳴が響いた。全員が砦の上に視線を向ける。飛行魔物の影が夜空に浮かんでいた。




「……失礼。襲撃のようです。お二人は城の中へ。そこの者、案内を頼む」




将軍はマントを翻し、砦の上へと向かった。


その時――


クラグホッグの生態を思い返す。縄張り意識が強く、集団で行動しない魔物。あれほどの群れで行動するなど、常識では考えられない。みのりは言いようのない不安に、ぞくりと背筋を冷やした。




城内はてんやわんやだった。


兵士が床に横たわり、女たちが薬や布を運び走っている。切断された手足、深くえぐられた傷。みのりは顔を背けるも、治癒のために進み出た。




みのりは治癒魔法が得意ではない。それでも、ドレイクのために一生懸命学び、今では軽傷程度なら治せるまでになっていた。血液を戻すことはできず、出血が多い者は救えない可能性がある。




目で合図を送り、ドレイクが頷く。みのりは震える指で、重傷者の前に立った。




(……怖い。骨が見えてる。嫌だ、逃げたい)




それでも、口を引き結び、詠唱を唱えた。


やがて、一人の兵士の呼吸が落ち着き、医師が深く礼を述べる。


そこへ老将軍が現れた。




「なんと、そちらのお嬢さんは魔法使いであったか」




鎧の裂け目も気にせず、将軍はしっかりと歩いてくる。その姿に、みのりは本当に人間だろうかと疑念を抱く。




「兵士を癒してくれてありがとう。なんと礼を申したらよいか」




将軍は突然、騎士の礼をとり、みのりの手の甲に額を押し当てる。みのりは一瞬驚くが、ユエシャから学んだ知識を思い出し、柔らかく微笑んで言った。




「……貴方の剣が人々を守るように、わたしの魔法もまた、誰かを癒すためにあります。どうか、お気になさらず。」




将軍は目を丸くし、やがて優しく笑った。




「……この国の淑女の礼をご存じなのだな。お言葉ありがたく頂戴いたす。」




砦の外では再び戦闘の音が響き始めていた。


その音を聞きながら、みのりの意識は、ふと、過去のある出来事へと引き寄せられていく。




――あの日もまた、ムレイブの雨がすべての始まりだった。


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