絶対あの娘は俺が好き!

ArtificialLine

Scene1―ボーイッシュ女子に勘違いさせられた陰キャ

「お?それ新作か!?予約すんのかッ!?」


 彼女と彼の出会いはそんな言葉だった。


 大きな私学傘下の私立高校。普通科の偏差値は並、受験の倍率はそこそこ。

 幾つかの強豪部を抱えており、県内外問わずに入学者が多い地方では有名なその高校には、その性質上様々な学生が集まっていた。

 

 そんな高校に入学した彼―松田洋介は、特筆すべき事もない典型的な陰キャ。

 顔も並。生まれてこの方美容院に足を踏み入れた事は一度もなく、散髪はいつも母親に連れられていく1000円カット。

 服を自分で買うことはなく、身だしなみに気を使うという発想すらない。

 髪はボサボサで艶のない黒髪。肌荒れも酷く、コミュニケーションの経験が乏しいためやたら早口。そして同じくタイピングもやたら早い。

 深夜アニメを好み、薄っすらと周りの人間を見下しつつ、だがそれは自分の現状に対する無意識な劣等感の裏返し。

 SNSは匿名のアニメアイコン。現実の友人との繋がりは一切無く、フォロー1200、フォロワー20。そのフォローの殆どが、同人作家かアニメ関連、加えてセクシー女優とVtuber。

 一切かかわりのない人物の投稿を引用して文句を書きつつt、反論されれば心拍数の跳ね上がりとともに即ブロック。

 松田洋介という学生は、そんな何者にもなれないただの少年だった。


 入学後しばらく、松田は教室にいる背景でしかなかった。

 自分から周りに声をかけることはできず、どんどんと形成されていくコミュニティのあぶれ者。

 だが松田と同じ様な日陰者が数名そのクラスに集まっていたことは、彼にとってはある意味幸運だったのかもしれない。


 1学期が終わる頃には同じ様なオタクの友人ができ、昼休みに集まって流行りのソシャゲの文句をいいつつガチャを回す。

 深夜アニメの話と、Vtuberの話をして、それらに対する浅い批評を行う。

 ほかの話題といえば、クラスの陽キャグループに対する愚痴。


 そんな何者でもない日陰者のグループに所属することのできた松田には、特に気に食わない同級生の女子が存在していた。


「あっはっは!それでバイトの先輩に怒られたん?」


 クラスの中心である男女グループの中でも、ひときわ存在感を放つ彼女。

 大きな笑い声と屈託のない笑みに恵まれた容姿。赤みがかった艶のある長髪をサイドテールにまとめ、セーターとスパッツがトレードマーク。

 体格も大きく、高校1年生の時点で178cm。スラっと伸びた手足に均衡の取れた肉体はまさにモデルそのもの。

 砕けた口調と持ち前の明るさで、男女問わず友人が多く他クラスや上級生、そして教師陣からも信頼を置かれる存在。

 クラスの決め事では積極的に発言し、その人気とカリスマ性で先導する彼女の名前は―蒼井紅あおいべに


 松田は蒼井の事がなんとなく気に食わなかった。

 それはに成れている彼女に対しての劣等感でしか無かったのだが、松田がそれに気がつくことはない。


 昼休みには決まって同じ様なオタク仲間と共に、蒼井たち陽キャグループの陰口を言うのが日常であった。


 そんな日常が崩れたのは、1学期の終わり。もう1週間もすれば夏休みに突入する放課後の教室。

 

 いつもであればオタク仲間と共に駅までの道を歩いているはずの彼は、しかし珍しく図書室に居残っていた。

 その理由はとある男児向けホビー玩具。ベイゴマを男児向けホビーとして昇華した新作商品の予約開始がその日の18時からであった為、待ち時間を潰していたのだ。

 そのホビーはかなり人気があり、特に今回の製品は大人向けの上位品。予約戦争に負ければ、次に手に入るのは早くても半年後。

 電波が不安定になる地下鉄通学の松田からすれば、少しでも予約戦争に勝つ要素を増やす為の選択である。 


 夕暮れに染まる図書室にはまばらに人影があるのみであり、その多くが3年の受験生。教室に居残るのは人の目が気になるが、図書室ならばそんなことはない。


 松田はスマートフォンの画面を見ながら、新作商品の情報をチェックしていく。

 何度も見たページであるが、待望の新作を前に逸る気持ちを抑えきれなかった。

 挙動不審気味にWebページの更新を繰り返しつつ、18時になるのを待つ。

 残り10分。そんな時、松田は背後から声をかけられた。


「お?それ新作か!?予約すんのかッ!?」


 誰かに話しかけられる想定を一切していなかった松田の心拍数は跳ね上がり、机に膝をぶつける。

 彼が驚きながら振り返れば、そこには柘榴の香りを纏った赤髪のサイドテールの女の姿。

 端正な顔立ちに嬉しそうな笑みを浮かべる蒼井紅が立っていた。


「え!?あ、あ、いや。う、うん。そうだけど」


 予想外の人物の姿にどもりながら松田は言葉を返した。それははたから見れば滑稽であるが、当人が気がつくことはない。

 蒼井は嬉しさを表情に貼り付けたまま口を開く。


「やっぱ買いだよな!"ブルードラグーンクリスタルカスタム!"元のブルドラも好きだったけどさぁ!私漫画版の日本大会編でブルドラが覚醒したシーンが大好きなんだよ!」


 嬉々とした瞳で話す蒼井の姿に、松田の脳は混乱するばかりであった。

 まさか寄りにもよって、蒼井の口から自分が好きなシリーズの話がでてくるとは露にも思っていなかったからだ。

 男児向けホビーということもあり、そのシリーズの女性ファンは多くない。更にはその大人向け商品ともあれば、界隈以外の認知が高いとも言えなかった。


「松田って"ベイストライク"好きなんだな!私も好きなんだよ~!」


 蒼井は松田の横の席へ当たり前のように座る。松田からすれば、何がなんだかわからないという状況であった。

 クラスで人気者の女子が自分を認知している。その上に自分が好きな作品の話をしている。女子との交流経験が皆無に近い松田からすれば全てが未知の状況。 


「松田はどのベイが好きなんだ?」


 蒼井はそんな松田の胸中を察することもなく、屈託のない笑みで話を続ける。


「あ、え、えっと。ぼ、僕は"フラッシュリバイアサン"が好きかにゃ」


 あまりの緊張に、松田は言葉を噛んだ。彼の胸中に羞恥と情けなさが込み上げるが、蒼井はそんなことを気にした様子もない。


「おお!わかってるねぇ!"フラリバ"の世界大会の準決勝はカッコよかったよな!プレイヤーの想いに応えて、負け確の状況からの大逆転!あのシーンであたし思わず泣いちゃったよ~!」


 蒼井の具体的な感想に、松田の混乱はますます加速する。

 松田当人がそうであるため、彼は周囲の人物の言動に対して基本的に懐疑的だった。そのため、蒼井のことも"にわか"ではないかと考えていたのだが、彼女の感想は本物のファンのそれである。


「私も新作ブルドラ予約しようと思って図書室で待機してたんだよ!ここだったらクーラーもあるしね~。でもまさか同じ思考のクラスメイトがいるとは思わなかった」


 ハニカミながらそういう蒼井の顔を、松田は直視することができない。そもそも人の目をみて話すことから逃げてきた彼にとって、美形のクラスメイトのの笑みは破壊的であった。

 しかもその女子はクラスの人気者の蒼井紅であり、更には自分と同じ作品のファンである。

 このときには既に、松田の中にあった薄っすらとした蒼井に対する嫌悪感は消え去っていた。

 単純ではあるが、コミュニケーション能力に乏しく女子の友人も居ない彼からすればそれも当然の流れであるのかもしれない。


「松田は結構ベイ持ってるの?」


「う、うん。大体はもってりゅよ」


「いいじゃんちゃんと好きなんだねぇ!じゃあ今度対戦しようぜ!あたし家からドーム持ってくるよ!」


 松田の胸中はかつてないほどの興奮に包まれていた。それは女子が自分を誘ってきたという事に対する思春期特有のものである。

 蒼井から放たれる柘榴の香りが松田の鼻腔をくすぐり、下半身が彼の意志とは無関係に反応する。それを隠すためか、不自然に内股になった。


「い、いいよ。あ、蒼井さんは何使いなの?」


 松田は勇気をもって自分から蒼井に質問をする。女子に対しての質問など、彼の人生で初めてのことであった。


「蒼井さんってかったいな~。紅でいいよ!クラスメイトじゃん!私もその方が嬉しい」


 満面の笑みでそういう蒼井―改め紅の姿に、松田の動悸が跳ね上がる。脳内に支離滅裂な言葉と、言語化の難しい興奮が駆け巡り、頬に熱が籠もった。


「あ、う、うん。わかった、え、えとえ、べ、紅さん……」


「あっはっは!さん付けもいらないって~!」


 紅は松田の背中を軽く叩きつつ笑う。女子が初めて自分から触ってきた。その事実に松田の下半身に更に血流が集まる。


「私も洋介って呼んでいい?下の名前あってるよね?」


 最早松田の脳内は様々な情報が渋滞し、パンク寸前である。

 だがそれでもなんとか言葉を絞り出した。


「え、!あ、うん。いいよ」


「ありがとう~!じゃあこれからよろしくね!洋介!」


 紅は太陽のような笑みで、松田に対し手を差し出す。

 松田はそれをみてしばし硬直。数秒の時間をかけ、それが握手だということに気が付いた。

 だが松田の掌は、初めてまともに女子との交流をしたことで汗ばんでいる。

 彼はスラックスでその汗を握ってから、紅の手を握った。


 松田よりも大きな体格の紅の手は、同じ様に松田よりも大きかった。

 だが女子特有の柔らかさと温もりが握った手を通して松田の脳に衝撃をもたらす。

 彼の下半身には完全に血流が集中し、スラックスには大きなテントが設営されていた。


「あ!あと一分しかないじゃん!準備しないと!」


 紅が松田の手を放し、スマートフォンを取り出す。

 松田も名残惜しさを感じながら同じ様に液晶へと目を落とした。


 時刻表示が18:00になった瞬間に、Webページを更新。あらかじめクリップボードにコピーしておいた登録情報を貼り付け、予約完了ボタンをクリックする。

 サーバーにアクセスが集中しているのか、随分とページ更新に時間がかかったが、松田のスマートフォンには『予約が完了しました』の文字が表示される。

 だがそんな彼に、予約を無事にできた喜びはあまりない。それよりも、先程の紅の手の感覚―初めて女子の手を握った興奮が脳内を駆け巡っていたからだ。


 そんな紅は突然机に突っ伏す。

 そしてしおれた声をあげた。


「んなぁああ~~~~!予約戦争負けたぁ~~!」


 彼女のスマートフォンの液晶には『この商品は売り切れです』の文字。

 先程までの明るさはどこへやら、紅はしおしおとした表情で口を開く。


「洋介は予約できたぁ……?」


「う、うん。できたよ」


「まっじでぇ!?いいなぁ……。じゃあ届いたら見せてよ~」


 松田はそれに対し肯定を示そうとしたが、しばし逡巡する。

 理由は予約した新作のお届け予定日だ。その日付は8月16日。夏休み真っ只中である。


「あ、う、うん。じゃあ2学期始まったら、も、持ってくるね」


 松田の言葉に対し、紅はきょとんとした顔をした。


「え、なんで?夏休み遊べばいいじゃん」


 松田は脳天に稲妻が落ちた様な衝撃を感じる。


(夏休み―遊ぶ―だれと?――僕と紅さんが!?)


 紅の言葉を咀嚼し、松田の脳がようやく動き出した。

 震える声を絞り出すように漏らす。


「え、あ。あ。いい、いいの?」


「だってもう友達でしょ?」


 さも当たり前といった表情でいう紅の顔に、松田の心は完全に掌握された。


「あ、そうだ。連絡先交換しとこ!」


 最早思考をすることも無く、松田の身体は勝手にスマートフォンを操作し、メッセージアプリを起動する。オタク友達と家族以外の誰も登録されていないその画面に『べにまる』という名前が追加された。

 直後"べにまる"からスタンプが送られてくる。

 "ベイストライク"の公式スタンプ、それもヒロインがハートと共に『よろしく!』と言っているもの。

 松田の頭は完全にショートしていた。


「ありがとうねー!家帰ったらあたしのコレクション送るわ!」


 誰の意志なのかも松田は判断つかないが、松田の身体は首を縦に振った。


「そういえば、夏休み中にベイストライクのオフイベあったよね!一緒にいこうぜ~~!」


 怒涛の天開、怒涛の情報量。松田のキャパシティはとっくに限界を迎えて壊れていた。

 まるで赤ベコのように松田の首が頷きを繰り返す。


「あははおっけ~!じゃあその予定もあとで連絡するわ!」


 松田は混乱と至福の極みにいた。まさかカースト最上位の紅と、最底辺の自分がこんな風に話すなんて、想像もしていなかった。

 だがどんなアニメを見ている時よりも多幸感を感じている事だけは、松田にも理解できていた。


「じゃあそろそろ帰ろうぜ~!あたしチャリ通だけど松田は?」


「え。えっと電車だよ」


「じゃあ駅か~!あたしの家も駅の向こうだから、一緒に帰ろう~!あ、ついでに駅前のラーメンよってく?お腹空いちゃってさ~~!」


 松田はこくこくと頷いた。その顔は随分と気持ちの悪い笑みが浮かんでいたが、紅は一切気にした様子はない。


 こうして松田洋介は、蒼井紅に沼って行く事になるのだった。

 

(紅さん、こんなに話しかけてくれるなんて。それに夏休みも会えるっぽいし、ラーメンにも誘ってくれた……もしかして僕のこと気になっていた―とか!?)


 松田はそんな事を考えているが、彼は知らない――

 ――蒼井紅は基本的に誰に対しても同じ様に接するのだと。

 そしてこれが、彼女にとって当たり前な友達の在り方だと。 


 松田洋介が振られ玉砕するまで――あと3ヶ月。




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