第38話 舞台への支度、未完成の牙

 泉のほとりに、透き通るような歌声が響いていた。

 風がそよぐたび、水面が波紋を描き、空の青が揺らめく。その穏やかな景色の中、妖精族の少女たちと今日も歌の練習をしていた。

 エッタを中心に、歌劇団のメンバーが円を描くようにして座り、それぞれが声を合わせて旋律を紡いでいく。ここでの練習にも、すっかり慣れた。妖精族独特の旋律に戸惑っていた頃が嘘のように、今では音を交わしながら歌うことができる。


「今日の練習はここまでね」


 エッタが優しく微笑みながら告げる。

 全員が一斉に息を吐き、緊張がほぐれたように和やかな空気が流れる。


「はぁ~、今日もよく歌ったわね」


 向かいに座っていた妖精の少女が、ぱたぱたと羽を動かしながら伸びをする。


「でも、だいぶ息が合ってきた気がする!」


 別の少女が嬉しそうに声を上げた。

 エッタが頷く。


「みんな、とてもよかったわ。少しずつ、エルヴァナの夜の舞台に向けて仕上がってきてる」


 その言葉に、歌劇団のメンバーたちは誇らしげに顔を見合わせた。

 妖精族の少女たちが歌の余韻に浸っている中、ふとエッタが笑みを浮かべた。


「さて、クウォン。今日の予定、忘れてないわよね?」


「え?」


「クウォン、今日は衣装合わせよ!」


 歌の練習の流れから、いきなり衣装合わせ? 一瞬、言葉の意味が理解できず、思考が空転する。そういえば朝食の席でそんなことを聞いたような……。


「衣装合わせ……?」


「そうよ!」


 エッタは嬉しそうに微笑む。


「エルヴァナの夜まであと少しだし、衣装がちゃんと合うか確認しないとね」


「ちょっと待って、それって……」


「もちろん、クウォンも含めてよ?」


 その瞬間、何か嫌な予感が脳裏をよぎった。


 ◇    ◇    ◇


 場所は以前、エッタと服を購入した馴染みの仕立て屋。

 花の香りが漂う店の奥へ案内されると、そこには祭りのための特別な衣装がずらりと並んでいた。壁際には虹色の光沢を放つ布や、キラキラしたビーズの小瓶が積み上げられている。


 その中で、店主であるエルウィン族の女性――リリシアが、とびきりの笑顔である一着をトルソーから外していた。


「お待ちしていたわ、クウォン君。貴方のために、『とっておき』を用意しておいたの!」


 差し出されたそれを見た瞬間、思考が数秒ほど停止した。

 月光を織り込んだような純白のシフォン生地。肩から鎖骨のラインを大胆に見せるカッティングに、腰回りを絞る銀糸のコルセット。袖口は羽のように広がり、動くたびに光の粒子を撒き散らすようだ。


 妖精族らしい幻想的な美しさを極めた衣装だが――問題はただ一つ。


「……リリシアさん。これ、どう見ても女性用ですよね?」


 こちらの抗議に、リリシアはきょとんと小首を傾げる。隣にいるエッタも、何を当たり前のことを、という顔だ。


「あら? エルヴァナの儀式における『歌い手』の衣装に、男女の別なんてないわよ?」


「いえ、明らかにラインが女性のそれですが!」


「あらあら。……でもね、クウォン君」


 リリシアは楽しそうに微笑み、衣装をこちらの胸元に当てがった。


「このとろけるような『月光絹』の白に負けない肌と、この繊細な銀糸の装飾が霞むほどの黒髪を持った方が、この界隈にいて?」


「それは……」


「この服を着こなせる者が限られているのよ。服が『着てくれ』って泣いているわ。仕立師として、これを無視することは罪だと思わない?」


「美学の押し付けがすごい!」


 助けを求めるようにエッタを見ると、彼女は面白がるどころか、真剣な瞳でこちらを見つめていた。


「着なさい、クウォン。貴方がその声(うた)で世界を魅了するつもりなら、外見もそれに相応しい『非日常』であるべきだわ」


「エッタまで……」


「それに、貴方の中性的な美しさは武器よ。地球の常識なんて捨てなさい。ここはエルミナスよ?」


 相棒からのもっともらしい説得(?)と、周囲の妖精たちの期待に満ちた視線。

 ……ここで拒否するのは、野暮というものだろうか。深く溜息をつき、その衣装を受け取った。


「……分かりましたよ。着ればいいんでしょう、着れば」


 半ば自暴自棄に試着室へ入り、慣れない紐や留め具に悪戦苦闘すること十数分。

 おずおずとカーテンを開け、店の明かりの下へと歩み出た。


「――どう、ですか?」


 一瞬、店内がぽかんと静まり返った。

 誰かが息を呑む音が聞こえる。沈黙が痛い。やっぱり似合わなかったか、と口を開きかけた、その時だった。


「きゃあああああああっ!!!」


 誰かが上げた悲鳴のような歓声を皮切りに、店中が爆発したような騒ぎになった。


「すごーい!! すっごく可愛いーー!!」


「見て見て! お月様が降ってきたみたい!」


「わああっ、キラキラしてるー! 綺麗ーー!!」


 さっきまで遠巻きに見ていた妖精族の少女たちが、まるで甘い蜜を見つけた蜂のように、一斉にこちらの周りへ飛びついてきた。


「ねえねえクウォン、回ってみて! くるって!」


「袖のヒラヒラ、羽みたいで素敵ー!」


「私、この衣装大好き! クウォンが着るともっと好きー!」


「お人形さんみたい! 連れて帰りたいっ!」


 彼女たちは周りをパタパタと飛び回りながら、無邪気に手を叩いたり、袖のフリルをつんつんと突っついたりして大はしゃぎだ。そこには遠慮も壁もなく、ただ純粋な「可愛いもの」への賛美だけがあった。


「ちょ、ちょっと! 近い、近いって!」


「あはは、クウォン顔赤ーい! 可愛いー!」


 もみくちゃにされながら、助けを求めるようにリリシアを見たが、彼女もまた満面の笑みで頷いている。


「ふふ、やっぱり私の目に狂いはなかったわね。大成功だわ!」


 そしてエッタも、呆れるほど満足そうな顔でこちらを見ていた。


「……完璧ね」


 彼女は歩み寄り、襟元を直しながら、くすりと悪戯っぽく笑う。


「貴方って人は、本当に……。黙っていれば、どこかの深窓の姫君で通るわよ」


「褒め言葉として受け取っておくよ……複雑だけど」


「ええ、最高の賛辞よ。――ほら、あの子たちの目を見てみなさい。貴方はもう、みんなのアイドルよ」


 その言葉に周囲を見渡すと、妖精たちは瞳をキラキラと輝かせ、期待に満ちた顔でこちらを見つめていた。

 その無邪気な笑顔を見せられると、もう文句を言う気力も湧いてこない。

 エルヴァナの夜、自分はこの姿で妖精たちと一緒に歌うことになる。……まあ、ここまで喜んでもらえるなら、それも悪くないか。


「……分かった。この衣装で、最高の歌を届けるよ」


 そう答えると、店中の妖精たちが一斉に両手を上げて飛び跳ねた。


「やったーー!!」


「クウォン大好きー!!」


 まったく。我ながらチョロいものである。


 ◇    ◇    ◇


 鍛冶場の裏手にある試験場に立ち、目の前の丸太を見つめる。ここはニナが鍛えた武器を試し切りしたり、耐久試験を行ったりする場所で、周囲のあちこちには無数の傷跡が残っている。今までも様々な武器がここで試され、生まれてきたのだろう。


「さて、いよいよ試作品のテストだな」


 ニナが腕を組みながら、にやりと笑う。


「クウォン、こいつを持ってみな」


 手渡されたのは、これまでの赤枝とは明らかに違う、新たな武器――ガンブレードだった。


「ほう……」


 片手で持ち上げ、軽く振ってみる。刃は赤枝と同じイグドライド製だが、柄の部分にはリボルバー式の銃機構が組み込まれている。剣としての重さはあるが、バランスはしっかり取られており、そこまで扱いづらくはない。


「こいつはエーテル式の弾丸を使う。火薬式じゃないから、引き金を引くとエーテルの衝撃波が発生して弾丸が発射され、イグドライドの剣の部分がそれを受けて斬撃の威力を増幅する仕組みになってる」


 なるほど、火薬ではなくエーテルを使うことで、エルミナスの環境に適応させているのか。銃の部分は単なる射撃用ではなく、剣撃の補助として機能するわけだ。


「じゃあ、試してみますね」


 まずは、ガンブレードの刃を丸太に軽く当て、そこから引き金を引いてみる。

 カチリ――ドン!

 瞬間、刃がガツンと丸太に食い込み、半分ほどめり込んだ。


「おお……」


 衝撃で刃が瞬間的に押し込まれる形になり、かなりの威力が発揮されているのがわかる。


「ふむ。まぁそんなもんかな」


 ニナが丸太に食い込んだ刃の部分を見ながら頷く。


「じゃあ、今度はちゃんと振って試してみろ」


 頷き、今度はしっかりとガンブレードを構えた。刃を丸太に向け、一気に振り下ろしながら、インパクトの瞬間に引き金を引く――

 ズガァッ!


「うわっ……!!」


 手元に強烈な衝撃が走る。思った以上に反動が強く、剣が跳ね返るように弾かれ、バランスを崩しそうになる。


「お、おい、大丈夫か?」


「なんとか……でも、ものすごく暴れる……!」


 ガンブレードを構え直しながら、手元に残る振動を確認する。確かに丸太を両断できた。しかし、斬撃の補助としては少々扱いが難しい。


「うーん……この程度かぁ……」


 ニナが腕を組み、少し不満そうに唸る。


「結構強いと思いますが?」


「まぁな。でも、ちょっとこいつを試してみろ」


 ニナが取り出したのは、別の剣だった。片刃で、背の部分にシリンダーのようなものがいくつか突いている。


「これは?」


「アスタギア式の斬撃サポート武器だ。背中のスロットには法理術がセットされてて、一番スロットには斬撃を補助する法理術が入ってる。試しにさっきと同じように振ってみな」


 剣を握り直し、さっきと同じように丸太に向かって斬りかかる。

 スパァン!

 見事、丸太は両断。しかも、ガンブレードのような暴れはなく、驚くほどスムーズに切れた。


「す、すごい……」


「な?」


 ニナが自信満々に頷く。


「斬撃をただ強化するなら、法理術を使った方が安定するんだよ。わざわざ弾丸を使って強化する意味がない」


「確かに……」


 改めてガンブレードとこの剣を見比べる。

 弾丸の数しか斬撃の強化を使えないガンブレードと、マナの装填だけで使える法理術を利用した剣。どう考えても、ガンブレードの方が劣っている。


「やっぱり、失敗作……ですかね?」


「いや、そうとも限らん」


 ニナは腕を組んで考え込む。


「法理術を使えば簡単に斬撃を強化できるのは確かだけど、他の技術と組み合わせることで何か別の可能性があるかもしれん」


「別の可能性……」


 このままでは、確かに実用性に欠ける。しかし、まだ試せることがあるのではないか。


「とりあえず、今日のところはここまでにして鍛冶場に戻るか」


「はい」


 ガンブレードを手にしたまま、何かが引っかかる感覚が残る。まるで、解けかけたパズルの最後のピースが見えないような……。

 この武器には、まだ眠っている可能性がある気がする。

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