セーターの温度
浅野じゅんぺい
セーターの温度
今夜の街は、雪の予感だけが静かに漂っていた。
暖房の届かない部屋の冷たさが、ゆっくり肌に染みてくる。
こういう夜は、どうしても君を思い出す。
もういないはずなのに、気配だけは部屋のどこかに残っていて、
胸の奥がじわりとざわついた。
新しいセーターをかぶった瞬間、
ざらついた毛糸が首に触れ、
古着屋で君が笑ったあの光景が一気に蘇る。
「これ、絶対似合うって」
軽い声なのに、優しさだけはまっすぐだった。
首元の少し痛いざらつき。
その小さな痛みでさえ
“まだ終わってないよ”と囁いてくる気がして、
俺は息をそっと止めた。
机の上のスマホと、湯気を揺らすホットワイン。
たったそれだけで、部屋の温度が少し上がった気がした。
窓を開ける。
夜風が頬を撫で、あたたかかった記憶をゆっくり冷ましていく。
遠くの車の音まで胸の奥を揺らし、
あの日の帰り道を呼び起こす。
「冬って、悪くないね」
かじかんだ手を俺のポケットに滑り込ませた君。
照れた横顔は、今でも簡単に思い出せる。
街灯に照らされた雪の粒は、
ほんの一秒だけ時間を止めていた。
あの瞬間だけは、世界の温度が確かに君に寄っていた。
なのに俺たちは、言うべき言葉をずっと飲み込んでいた。
安心したくて、遠回りばかりして。
あの沈黙の一秒は、今も胸のどこかで疼いている。
スマホが震えた。
──「今、星きれいだね。見てる?」
たった一行なのに、
固まっていた場所がふっとほどける。
思い出の中にいたはずの君が、
“今”に触れてくる。
その声の奥の不安まで、全部知っている。
「見てるよ。……また、一緒に見たい」
震えた指で送信した。
短い言葉でも、伝えたいことは全部詰め込んだ。
窓際で空を見上げる。
星の光が、いつもより澄んで見える。
セーターのざらつき。
夜風の冷たさ。
ホットワインの香り。
全部が胸の内で、静かにほどけて、また結び直される。
その瞬間、気づく。
俺の冬はまだ、君の名前で温まろうとしている。
──だから、終わらせたくない。
セーターの温度 浅野じゅんぺい @junpeynovel
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