今日という日
佐久間泰然
1、今日という日a
朝、寝室でカエルと目が合った。
風に輪郭を撫でられて、窓をほんの少し開けたまま寝ていたことに気づく。
いつもより幾分かハッキリと目が覚めた。
驚きと二度寝の狭間に揺れながら、大人しいカエルをジッと見てみる。
お腹まわりは白く、背中は黄緑、目元を通る褐色の模様が入った小さな生き物だ。
寝返りを打てば潰しかねないほど近い。
何食わぬ横顔を見せるカエルに手を伸ばした。
なるべく優しく、慎重に。
うわっ、手のひらがべたべたする。
少し冷たくて、粘り気のある感触。
あとでしっかり手を洗わなきゃ……。
飛んでいかないよう片手を蓋代わりにして、窓へ運んだ。
窓の隙間に手を入れ、ゆっくり横へ動かした。
小鳥のチュンチュンというさえずりと、朝の空気が肺を満たす。
手のひらを外に出すも、どういうわけかカエルはジッと動かない。
また目が合った。
感情の動きも追えない、静かな目玉が私を捉えている。
ジッと見つめられているような気がして、ほんのちょっとだけ目を横に動かしてしまう。
「おはよう」
静けさの中に突然入り込んできた爽やかな挨拶に、肩から足先が飛び跳ねた。
その拍子にカエルは勢いよく庭の葉へと飛んでいく。
庭先のフェンス越しから聞こえた声に目を動かす。
まだ驚いている私を、クスクスと優しく笑うのは――今年の春に海外から引っ越してきた美少年。金髪で、堀が深い。
名前は確か、マテオ。
「ぐ、グッモーニン……」
躓いたあとに出た私の声は、ネイティブとはかけ離れた発音をしている。
「Hello. Good morning——サツキ、何をしてたの?」
ぐ、分かっていたけどなんて超ネイティブな挨拶。
しかも流暢な日本語で返されるとは、今すぐ窓を閉めたい気分。
「カエルが隣に寝てたから、自然に帰してたところ」
カエルと聞いた途端、マテオは「Oh!」と息を吐く。
フェンスに手をかけて、前のめりになった。
庭から僅かに離れているはずなのに、私はちょっとだけ仰け反ってしまう。
「ボク、カエルが好きなんだ。ほら、これ」
意気揚々に、カバンについているデフォルメされたカエルのアクリルキーホルダーを、私に見せびらかす。
「あ、可愛い」
「でしょ。本物のカエルと朝を迎えられるなんて、羨ましいよ」
「そうかなぁ?」
マテオは爽やかに「もちろん」と頷く。
よほどのカエル好きらしい。
彼の口ぶりからすると、カエルを飼育してるわけではなさそう。
「ところでサツキ、君は学校に行かないの?」
私が今、一番答えづらい部類に入る質問を容赦なく聞いてくる。
「私は――通信制だから、家で勉強」
葉にくっついた先程のカエルに目を向けながら、小さく答えた。
「つうしんせい?」
「自分のペースで勉強しながら、時々学校に通う感じ」
「Online High Schoolってことだね。じゃあサツキ、学校が終わったらまたここに来てもいい?」
どうして近所に引っ越してきたばかりの子が?
ただ通りすがりに数センチにも満たないやり取りをするだけの私と?
そんな疑問が頭を支配する。
「来てもいいけど、なんにも話すことないよ」
「あるさ。せっかく近くに住んでるんだ。友達になりたいし、ボクのことを君に知ってもらいたいんだ」
距離感がおかしいんじゃないか、私は唸った。
カエル好きのマテオ、もうそれだけで十分だと思う。
葉に止まっていた先ほどのカエルが飛び跳ねた。
しかも私に向かって勢いよく、窓のサッシに着地。どうしてまた私の方に来るのやら。
マテオの楽し気な笑い声に、視線を向けた。
笑みで表情がクシャっとなっても美少年は美少年だ。
「その子はサツキのことが好きみたいだよ」
「いやいや、そんなわけ……」
カエルはサッシに張り付いて動かない。
じっと眼玉が私を捉えている。
いつもと違う朝、いつもより長めのやり取り――私は頬を掻きながら、口元を緩めた。
「分かった、マテオ。友達になれるか分からないけど、また話そう」
マテオは安心したように微笑んだあと、「またね」と言って登校する。
変な人だなぁ。
私は窓に腕を乗せ、大人しいカエルを覗く。
「君は、私のことが好きなの?」
返事を待ってみる――カエルは再び小さな庭の葉へ、真っ直ぐ飛んでいった。
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