薬の器、毒の脚。
廣戸 憂
序章 「薬の鎧」
てっきり
目が覚めたら到着しているものだとばかり思っていた。
彼は照明もなく真っ暗な箱の中、毛布一枚にくるまって体の節々の細かな痛みとともに目を覚ました。
ひと際大きな揺れがあったからだ、あまりいい寝覚めとは言えない。
体が痛むのはトレーラーの荷台が睡眠に適した場所ではないからか。
それとも疲労がダメージとして現れてきたためか。
緩衝材の薬っぽい香りと仄かな金属の香りがする荷台の中、もそっと体を起こし、両手を挙げて軽く伸びをする。
彼が起きる原因になったひと際大きい揺れ以降、荷台は元の断続的な細かい揺れに戻っていた。
止まるような気配は無い、先ほどの大きな揺れはきっと地面の凹凸によるものだろう。
疲労もあってあまり信用できないかもしれないが、寝る直前の耐え難い疲労感に比べると彼の体感ではそこそこ長い時間寝た気分だった。
ざっくり3、4時間といったところだろうか。
彼と別に「荷台にもう1つ積まれているもの」のこともあり運転手は気を遣っているのだろう、トレーラーは安全運転寄りな速度に抑えている、気がした。
そのため目的地に着くのが普段よりも少し遅くなることは想定していたが、彼の感覚ではもう到着してもおかしくない頃合いだ。
彼は自分がくるまっていた緩衝材用の少し埃っぽい毛布を避けて脇に寄せると、その場に胡坐で座り直し、手首に巻かれた携帯端末を起動する。
暗闇に慣れていた目は端末の光を拒んだようで少し眩しそうに眼を窄める。
端末は今の日付、時間を映し出す。
23時34分、概ね体感通りの時刻だった。続けてGPSのマップを起動する。
マップは今トレーラーが走っている周囲の地図と、現在地の位置をピンで示す。
「……おや?」
そう小さく呟いた彼はマップを閉じると再び端末を操作し、今度は誰かに通話を掛けた。
数コールののちに相手からの返答が帰ってくる。
『すまん、さっきの揺れか?ちょっと道に凹みがあったみたいだ、気にしなくていいぞ。』
通話先ではガタガタと車両内の振動の音と一緒に女性のものと思われる声が端末越しに話しかけた。
「いや、たまたま目が覚めただけだから、こっちもこれといって異状はないよ。」
『ならいい、……と言いつつなんだが、もうしばらくかかるからまだ寝ててもいいぞ。』
「それなんだが、コーレルブルグの本社に向かっているんじゃなかったのか?マップを見るとかなり西側に遠回りしているように見えるけど……」
彼がそう問うと、通話先では一瞬キョトンとしたような間が空き、直後に何かに納得したような語調で先程の女性の声が続いた。
『ああ、違う、目的地は本社じゃなくて研究所だ。』
「研究所?本社と同じ所じゃないのか。」
『本社はでかい工場を持ってるけど調べものならグウェインズロードの研究所が専門なんだとさ。』
「グウェインズロードっていうと……カテルシュタットの?」
『おう、そうだ、親父も今夜中に向かうってさ。』
「はあ、……んなるほど。研究所って言ってたのはカテルシュタットの事だったのか。」
『だからまずは本社じゃなくてウェストモンテの空港だな。街を突っ切ってもいいんだけどこの時間は渋滞するから郊外から回る方が早いんだ。』
「納得したよ、まさか飛行機移動になるとは思ってなかったけど。」
彼は脱力したように声を漏らすと、再び携帯端末を操作する。通話先の彼女の言う目的地までは彼らが出発した村からトレーラーが走ってきた道のりを十何倍もした距離がある。陸路はつながっているだろうが、とてもじゃないが車両で行く距離ではない。飛行機に乗り換える様だ。一度空港で降りるとしても彼女が言う通りもうひと眠りできるくらいの時間がありそうだ。
『コーレルブルグの方だと思ってたのか、悪い。』
「いや、問題ない。長く休めるのは助かる。」
トレーラーを運転する通話先の彼女の隣、助手席にはもう一人座っている筈だが……話に混ざってこないということは恐らく眠っているのだろう。先ほどのことを思うとかなり疲労がたまっている筈だ、無理もない。
しかし長時間一人で運転していた通話先の彼女は話し相手もなく退屈していたのだろうか。
久しぶりに誰かと会話出来てどこか楽しそうだ。
「適当に休憩とってくれよ、空港とはいえあと一時間くらいはかかるだろ。」
『……』
彼なりの彼女へのねぎらいの言葉のつもりだったが、帰ってきたのは沈黙だった。
「なんだよ」
『お前があたしの心配?……どっか頭でも打ったか?』
「……ああ、お前の荒い運転のおかげで多分どっかしら打った。」
『なんだと、これでも超安全運転のつもりだ。てかそもそも積み荷の方に乗るってあんたが言ったんだろう?だからあたしはリンデを膝にのせて一緒に助手席座りなってあれほど……』
「人の膝の上じゃリンデも満足に休めないだろ。あといくらリンデでも4時間膝の上は僕の足が折れる。」
『まぁひどいわ、女の子を膝にのせて「足が折れる」だなんて!リンデが聞いたら泣いちゃうかも』
「お前じゃないだけまだましだけどな、お前だったら1分と持たずに折れそうだ。」
『てめえ着いたら本当に折ってやるからな覚悟しとけよ。』
彼は自分が笑い交じりに冗談を言い合えるほどには回復したことに気づく。
彼女のトレーラーで移動できたのは本当に不幸中の幸いだった。
『あたしは昼間にめちゃくちゃ昼寝してたから余裕だ。あんたは死ぬほど疲れてんだろ。どうせ研究所では質問攻めなんだし、休めるうちに休んでおいたほうがいいんじゃねえの。』
「そうだな。しかし少し目が覚めてしまった、ちょっと「こいつ」を眺めてからにする。」
『わかった、荷台は揺れるからよ、ほどほどに。』
「ああ。」
その言葉を最後に通話は切断され、彼は端末のライトを点灯し荷台の内壁を照らす。
そのまま壁を伝っていき、角まで来ると恐らく……。
あった、荷台内の明かりのスイッチにたどり着いた。
スイッチを押下すると先程まで歩くことすら憚られるほどの暗闇だった荷台がぱっと明るくなる。
彼は相変わらず暗闇に慣れた目を軽く細めつつ、本来なら荷下ろし後緩衝材以外ほぼ空で帰る予定だった荷台の中で最も場所を取りつつ、まるで本物の荷物の様に一切音を立てない「それ」に目を向ける。
彼が寝ていた正面に横たわる「それ」は。
石のような灰色の、見上げるほど大きい巨人のような「鎧」だった。
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