第4話 融けゆく雪と黒いカマロ
2025年12月2日 火曜日、午前10時
苗場スキー場周辺。前日の降雪は落ち着き、太陽が時折顔を出す曇天が広がっていた。昨日とは打って変わり、雪は湿気を含み、道路脇には雪解け水が流れている。
そんな雪と泥にまみれた景色の中に、一際異彩を放つ車が停まっていた。
黒いシボレー・カマロ。最新型だが、メタリックの車体は周囲の光を全て吸収しているかのように重々しい。
運転席に座るのは、来栖健一(42歳)。仕立ての良いダークグレーのコートを纏い、目元には細身のサングラス。彼の外見は、リゾート地の客というより、都市のビジネスマンのようだった。しかし、彼の瞳は、周囲の喧騒とは無縁の、鋭い集中力と冷たい警戒心を宿している。
来栖は、ダッシュボードに置かれた一枚の古い写真を眺めていた。写っているのは、30年ほど前のスキーウェアに身を包んだ男と女。そして、その写真の下には、今回のターゲットの情報が書かれたメモがある。
ターゲットの名は**「草壁」**。元特殊部隊員で、現在は「雪山の神話」を語る隠遁者。
「厄介な場所を選んだものだ」
来栖は溜息をついた。彼の仕事は常に清潔で効率的であるべきだ。雪山は、痕跡が残りやすく、天候に左右されるため、プロの殺し屋にとっては最悪のフィールドの一つだ。
来栖はカマロを降り、苗場プリンスホテルのリフト券売り場周辺を歩いた。観光客やスキーヤーに紛れ、彼は自然な動作で周囲の監視カメラの位置、警備員の数、そして何よりも**「草壁」**という男が残した痕跡を探していた。
彼の視覚は、一般人が見逃す微細な情報を見つけ出す。
リフト券売り場の壁の隅。来栖は立ち止まった。
そこには、わずかに擦れたような傷があった。スキーのエッジか、あるいはブーツのバックルだろう。そして、その傷の隣には、ほんの微かに、乾ききっていない泥と雪の混ざった独特な汚れが付着していた。
「ブーツの裏か…」
来栖はしゃがみ込み、その汚れを指先でごく少量採取し、すぐにコートのポケットにある小型の分析キットに入れた。この泥は、このエリア特有のものではない。おそらく、山間部の古い非圧雪路で付着したものだ。ターゲットは昨日、相当な悪路を歩いたか、あるいは車で走行したことを示唆している。
さらに、彼はレンタルショップの前の掲示板に貼られた「忘れ物」の張り紙に目を留めた。「イエローのスキーウェアのボタン」。
「イエロー…」
来栖の記憶力が、昨日、草壁が誰かと一緒にいた可能性を示唆する。草壁がイエローのウェアを着るはずがない。
ターゲットは単独ではない。護衛か、弟子か。いずれにせよ、目撃者を増やしたくない。
来栖はカマロに戻り、エンジンをかけた。V8エンジンの低い唸り声が、リゾート地の静けさを一瞬で引き裂く。
彼はターゲットが潜んでいそうな、リゾート地から離れた山間部のロッジや、古い温泉宿へと続く道を散策し始めた。
カマロの高性能な足回りが、雪解けでぬかるんだ路面を正確に捉える。車内には、静かにクラシック音楽が流れているが、来栖の意識はすべて外の景色と、彼の手に握られたターゲットの情報に注がれていた。
草壁が狙われている理由は、彼が過去、ある国際的な組織の機密情報を盗み出したことにある。その組織は、バイオテクノロジーに関わっており、宇都宮で発生した餃子ウイルス騒動にも深く関与していると、来栖の裏ルートからの情報には記されていた。
ターゲットの写真を見つめ直す。
「どうやら、雪山ごっこを楽しんでいる場合ではなさそうだ、草壁」
来栖は、カマロのハンドルを握る手に力を込めた。彼はこの地域に詳しい協力者との接触時間を早める必要があると判断した。
やがて、カマロは一つの古い山小屋の前で停まった。小屋の窓ガラスは割れ、廃墟のようになっている。しかし、来栖はその前を素通りせず、車を降りた。
小屋の入り口の雪の上に、わずかに二つのスキー板の跡が残っている。一方はカービング、もう一方は古いタイプのもの。そして、その跡の横には、昨日と同じ独特な泥の汚れが残されていた。
「ここが、草壁が教えを説いていた場所か」
来栖は静かに微笑んだ。その笑みには、獲物を見つけた殺し屋特有の冷酷な満足感が滲んでいた。
「苗場は広い。だが、お前の痕跡は、雪が融けても、俺の目からは逃げられない」
来栖はカマロに戻り、一気にカマロを加速させた。スキーリゾートの華やかな風景を後に、黒いカマロは、山奥の暗い森へと続く道を静かに、そして迅速に進んでいった。
📱 越後と美濃、二つの戦場
『戦国バトルロワイヤル』:大桑城の戦い
親との「大桑城の戦い」を終えた日、誠は心が空っぽになったような感覚に襲われていた。自宅という「城」の支配権は確保したが、その代償として家族の絆は修復不可能なほどに断絶した。
夜、誠は自分の部屋で、スマートフォンを取り出し、熱中している位置情報ゲーム**『戦国バトルロワイヤル』**を起動した。彼の現在の「領地」は、現実の宇都宮の自宅周辺だ。
ゲーム内で誠が選んだ勢力は、皮肉にも、彼が夢で見た斎藤道三が仕えた
誠が挑んでいたのは、史実における道三の冷酷な下剋上の極致、**「
ミッション:大桑城の戦い
敗北条件:
味方(土岐頼芸)の討死
プレイヤーの武将(土岐頼純)の討死
裏条件(特別設定): 斎藤道三の謀反失敗(道三の武将生命の維持)
誠は驚愕した。
これはゲームのアップデートで追加されたばかりの、異様な「裏条件」だ。通常、この戦いは道三が主君の土岐頼純を謀殺し、美濃を掌握するシナリオである。しかし、この設定では、道三を謀反に失敗させ、生き延びさせることが、土岐家(誠の勢力)の勝利条件にすり替わっていた。
「道三を倒さないと……父が死ぬ?」
誠は背筋が凍りついた。昨夜の夢、そして今日の現実の父との対峙。その記憶がゲームの画面に強くフィードバックされた。ゲームの裏条件が、彼の潜在意識の叫びを形にしているかのようだった。
誠(土岐頼純)は、道三の裏切りに気づき、彼を討つというシナリオでプレイを開始した。
しかし、道三の知略値は異常に高かった。誠が道三の軍勢を叩き潰そうとすると、画面にシステムメッセージが飛び出た。
「道三の知略により、味方武将『稲葉一鉄』の忠誠度が低下しました。敵に内通の気配」
「道三は、プレイヤーの行動を予測済みです。罠が発動!部隊の移動速度が低下します」
道三の容赦ない知略が、誠の軍を翻弄する。
「まるで、**『設計図』**のようだ……父さんが、僕の行動を全て見透かしていたように」
道三は、誠の現実の父と同じく、完璧な「設計者」だった。この「設計図」を打ち破らなければ、誠の勝利はありえない。
誠は、道三の動きを逆に利用することを決めた。道三が罠を仕掛けた場所へわざと少数部隊を送り込み、その隙に、道三の本隊が最も手薄になるであろうルートへ主力部隊を迂回させた。
それは、自分の収入を無視してまで家を大きくしようとした父の「見栄」という弱点を突き、**「破産」**という最終手段で勝利した、現実の戦い方と同じだった。
ゲームのBGMが激しくなる中、誠の主力部隊が道三の本陣に迫る。
「斎藤道三に大打撃!重傷を負いました!」
「ミッション成功条件達成:斎藤道三の武将生命を維持しました」
「土岐頼純の勝利!美濃の支配権を回復!」
誠は静かに息を吐いた。勝った。道三(支配者)を討ち取らず、かといって許さず、その力を借りずとも、自らが勝利するという、**「第三の道」**を見つけた。
その瞬間、画面の隅に小さな通知が表示された。
「特別報酬:越後の地勢図(暗号化) を獲得しました」
なぜ、美濃の戦いで越後の地勢図が? 誠は首を傾げた。
苗場との符合
親との戦いに勝利し、ゲームでも「支配者」からの自立を達成した誠は、再び苗場へと戻る。彼は、この二ヶ月間で得た冷徹な「覚悟」を、そのまま職場に持ち込んだ。
そして、苗場の山で目撃した黒塗りヘリと、地中探査の「特別な客」の秘密が、ゲームから得た**「越後の地勢図(暗号化)」**と、奇妙に結びつき始める。
12月16日深夜。誠は、黒塗りヘリが着陸した第3ロマンスリフト付近で、重機による掘削の音を聞いた。
彼は雪に伏せ、カメラを構えながら、昨夜のゲームで獲得した**「越後の地勢図」を思い出していた。それは、ただの地形図ではなく、特定の座標に、古代の文字のような奇妙なマークが記されていた。その一つが、なんと第3ロマンスリフトの山頂駅近く**を指していたのだ。
誠は急いでスマホを取り出し、ゲームの地勢図の座標を、現実のGPS情報と照らし合わせた。
間違いない。この座標、この場所に、あの黒塗りのヘリコプターが降り、**地下の「匂い」**を探る作業をしている。
「これは、偶然じゃない……」
あのヘリコプターが投下した円筒形の装置は、単なる観測機ではなく、地下深くの**「何か」を正確に探知するための、軍事的な精度を持つ機器に違いない。そして、彼らが探しているものは、もしかしたらこのゲームの地勢図が示している「古代の遺構」や「埋蔵物」**ではないか?
誠の目の前に広がる苗場の雪原は、親の支配下にあった自宅のように、外部の巨大な権力と利権によって、静かに侵略されていた。
彼は、カメラのファインダー越しに、作業服の男たちが掘削している現場をズームした。
「親父を打ち破った『覚悟』は、この山を守るために使う」
誠は、**シャッターを切った。**それは、彼が「特別な客」と、その背後にいる藤田部長に対し、宣戦布告をした瞬間だった。
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