炎を目指す。それは始まりの一歩

虚構人

第1話

世界は終わっていた。何度も、何度も。


空は常に灰色で、太陽なんてものは誰も覚えていない。地面はひび割れ、黒い霧が這い回るように漂い、時折その霧の中から歪んだ影が這い出して人を食らう。街なんてものは残っていない。残ってるのは、崩れた石ころと、血の匂いだけ。


人々は争う。食うために、生きるために、ただ壊すために。昨日まで味方だった奴が、今日には喉笛を裂いてくる。そんな世界だ。神も希望も、最初からいなかった。あるのは虚無だけ。すべてを飲み込む、冷たい虚無。


そんな世界で、少女は目覚めた。


場所は、どこかの廃墟の地下。崩れた神殿のようなところ。壁には古い文字が刻まれているけど、誰も読めない。少女は裸だった。白い肌に、長い銀色の髪。瞳は深い紫で、まるで夜の底を映しているようだった。


名前は、まだなかった。


少女はゆっくりと立ち上がった。体は痛まない。寒くもない。むしろ、何も感じない。ただ、胸の奥に小さな火が灯っているような、そんな感覚だけがあった。


「……ここは、どこ?」


声を出してみる。かすれた、乾いた声。でも、確かに自分の声だ。


周囲を見回す。暗い。遠くで、何かが叫んでいる。人の声じゃない。もっと獣じみた、絶望の叫び。少女は裸のまま歩き始めた。足元に転がっていた布切れを拾って、体に巻く。それが服というものだということは、本能でわかった。


階段を上る。埃と血の匂いが強くなる。外に出ると、そこは荒野だった。地平線まで続く、ひび割れた大地。空には黒い渦がゆっくりと回っている。遠くで、火の手が上がっている。誰かがまた、誰かを焼いている。


少女は歩き始めた。理由はない。ただ、歩かなきゃいけない気がした。胸の奥の火が、そう言っている。


しばらく歩くと、最初の「人間」に遭遇した。

男だった。ボロボロの鎧を着て、片手に錆びた剣。顔は半分腐っている。少女を見つけると、目をぎらつかせて笑った。


「おお……珍しいな。こんなところで女が一人か。運がいいぜ」


男は剣を構えた。少女は立ち止まった。何も言わない。ただ見つめる。


「黙ってりゃいい。痛くしねぇよ……多分な」


男が飛びかかる。剣が振り下ろされる。


次の瞬間、男の体が真っ二つになった。


少女の手には、何もなかった。でも、確かに何かが空気を裂いた。男の血が飛び散り、地面に黒い染みを作る。男の上半身が、まだ生きながらえて這う。

「な……何だ、お前……怪物か……?」


少女は首を傾げた。


「怪物?」


初めての言葉。自分の声じゃないみたいに、冷たい。


男は笑った。血を吐きながら。


「そうだよ……お前みたいなのが、この世界を終わらせたんだ……虚無の使者だ……」


そして、男は死んだ。


少女はまた歩き始めた。男の言葉が、頭に残る。


虚無の使者。


それが、自分なのか?


さらに歩く。荒野を越え、焼け落ちた村を越え、戦場を越える。どこに行っても同じだった。人たちは殺し合い、奪い合い、泣き叫び、最後には皆、虚無に飲み込まれる。


でも、少女は死ななかった。傷つかなかった。むしろ、歩くたびに胸の火が強くなっていく。


ある夜、少女は丘の上に立った。月もない空の下で、遠くに光が見えた。赤い光。大きな炎。そこでは、何百人もの人間が戦っている。旗を掲げ、叫び、死んでいく。


「反乱だ」


突然、後ろから声がした。


振り返ると、そこに老女が立っていた。ぼろぼろのローブを着て、杖をついている。目だけが、異様に澄んでいた。


「また、あいつらが王を殺そうとしてる。でも、どうせ無駄だ。王も、反乱軍も、皆同じだ。明日には新しい王が立って、また殺し合いが始まる」


老女は少女を見つめた。


「お前……普通じゃないな。何だ、その瞳は」


少女は答えた。


「わからない。私は、目覚めたばかりだから」


老女は笑った。初めて見る、優しい笑いだった。


「そうか……お前は、まだ汚れてないんだな。この世界に、こんな子が残ってたなんて」


老女は少女に近づいた。手を差し伸べる。


「名前、つけてやるか?」


「……名前?」


「ああ。お前みたいな子には、似合う名前がある」


老女は空を見上げた。黒い渦が、ゆっくりと近づいてくる。


「『ネイア』だ。虚無の果てに立つ者、って意味さ」


少女——ネイアは、その名前を口の中で繰り返した。


ネイア。


なんか、いい響きだった。


「私は、どこに行けばいい?」


ネイアが尋ねると、老女は遠くの炎を指さした。


「あそこに行け。何かが、お前を待ってる」


「何か?」


「さあな。でも、お前が歩き始めたってことは……この虚無に、終わりが来るのかもしれない」


老女はそう言って、消えた。霧のように。


ネイアはまた歩き始めた。今度は、炎の方向へ。

胸の火が、燃え盛っていた。


この世界は、終わってる。


でも、もしかしたら——

私が、終わらせるのかもしれない。

虚無を。争いを。すべてを。


それとも、私が新しい虚無になるのか。


まだ、わからない。


ただ、歩くしかない。


ネイアは、混沌の中心へ向かって、歩き続けた。

銀髪をなびかせて、紫の瞳で、虚無を見つめながら

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