第2話

その日一日、朝の光景が頭を離れなかった。

会議室の白い壁に映るスライドを眺めながらも、男の軽やかな体の軌道が脳裏で反復されていた。

「――で、この二案目は?」

上司の片岡が、プロジェクターの画面を指す。

そこには私が作ったキャンペーン案が映っていた。

「全体としては悪くない。ただ……あれだな。いつもの矢田くんだね。

攻めないし、外さない。クライアントは安心すると思う」

「……はい」

安定感。

この会社にいる限り、これ以上の褒め言葉はないのかもしれない。

だが、胸の奥のざらつきは濃くなるばかりだった。

会議が終わると、若手の藤井が追いかけてきた。

「矢田さん、さっきの二案目なんですけど……正直、去年のキャンペーンと構造が似てません?」

心臓が跳ねた。

「いや、ターゲット層が違うから――」

「そうなんですけど、見せ方が……その、すみません。生意気なこと言って」

藤井は気まずそうに去っていった。

私は自席に戻り、過去の資料を開いた。

――似ている。

骨組みも、切り口も、言葉の選び方まで。

自分では「安定」だと思っていたものが、ただの「繰り返し」だったのかもしれない。

席に戻ると、前の席の別の若手社員が声を潜めて言った。

「二案目、僕は好きですよ。現実的で、ちゃんと成果出ますって」

「……ありがとう」

その言葉は嬉しいはずだった。

しかし「現実的」という評価が、私自身をどこかに押し込めていくようで、素直に喜べなかった。

夜、帰宅すると、玄関脇の黒いケースが目に入った。

ギターだ。大学時代に使っていたもの。

ライブハウスのステッカーが半分剝がれたまま残っている。

スマホを開くと、SNSのタイムラインに大学時代のバンド仲間の投稿が流れてきた。

小さなライブハウスでの写真。汗まみれの笑顔。

「久しぶりにやった!やっぱ楽しいわ」

コメント欄には「また誘ってくれ」「次いつ?」と並んでいる。

私は画面を閉じた。

誘われることはもうない。

就職してから「忙しい」を理由に断り続けた結果だった。

(どうでもいいものなら、捨ててるはずだ)

そう思って灯りを消した。

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