2 普通の人々

 なるべくお給料が高い病院に就職したかった。絶対に自宅からは通えない距離で。



「27番の方、入ってください」

「はい!」


 2022年8月上旬のその日、医学部医学科の6回生だった私は大阪市内の都心部にある市中病院のマッチング試験を受けていた。


 医学生には就活はないというのはとうに昔の話で、令和の医学生は希望する病院に就職するために在学中から複数回の病院見学や人脈作りに励む。


 第三志望のこの病院は病院実習が忙しくて1回しか見学できなかったけど、筆記試験はよくできたと思うしきっと望みはあるはずだ。



 リクルートスーツに身を包んで受験者用のパイプ椅子に腰掛けると、向かい側のテーブルに肘をついている中年男性の面接官2名は私を頭から爪先まで眺めていった。


 部活の先輩からの情報に従って指示されるまで笑顔で座っていると、面接官は慣れた様子で面接のやり取りを始めた。



「それじゃ簡単に自己紹介をお願いします。時間がもったいないので将来の進路とか志望診療科も一緒に教えてください」

「分かりました。私は湖南医科大学医学部医学科6年生の日比谷光瑠と申します。大学では柔道部に所属していて、将来は市中病院の第一線で働く臨床医になりたいと考えています。志望診療科はまだ具体的に決めていませんが、外科系や麻酔科に特に興味があります」


 この病院は初期研修終了後に美容医療に進んだり系列でない大学病院の医局に入ったりしそうな医学生を露骨に嫌うと聞いていたので、私は自分が女子なのに外科に強い興味があるということをアピールしようと思っていた。


 柔道部の練習や試合には6年近く真面目に取り組んできたし、特に興味があるのは麻酔科だけど外科医の道を考えてもいいとは思っていた。



「なるほどねー。女の子だけどちゃんと臨床の第一線でバリバリやりたいっていう希望はいいと思います。見学には来てくれたかな?」

「ええ、実習スケジュールの関係で一度だけになってしまいましたが救急医療部を見学させて頂きました。貴院の救急体制について松山先生がご親切に教えてくださってとても勉強になりました」

「うんうん、ちゃんと指導医の名前も覚えてくれてて嬉しいです。部活の実績とかも聞いていいかな?」


 この病院は筆記試験の点数よりも医学生個人のキャラクターを重視すると聞いていたので、私はこういう質問にもちゃんと答えを用意していた。


 そのまま向かって右側に座っている面接官と和気あいあいと会話が進み、体感で8分ほどが経過した所で先ほどまでほとんど話していなかったもう一人の面接官は私のエントリーシートに視線を落とした。



「色々とお話頂いてありがとうございます。そういえば……日比谷さんは湖南医科大学の6回生だよね」

「? ええ、そうですが……」


 私が少し不思議に思って答えた瞬間、向かって左側に座っている面接官は頭を傾けて腕組みをした。



「あのさあ……例の3人って学年内でどんな感じだったの?」

「えっ?」

「ほら知ってるでしょ、阿部君と細川君と鳥羽君だったかな。普段からちょっと変だった感じ?」

「……」


 面接官が口にしたそれぞれの名前は、今年の私にとって最も思い出したくない3人の名前だった。



 今年の5月に湖南医科大学医学部医学科の6年生男子3名、つまり私の同級生の男子学生3名が大学のある滋賀県大津市内で重大な事件を起こした。


 まだ初公判も始まっていなくて私も伝聞でしか知らないけど、阿部と細川と鳥羽は彼らの一人がアルバイト先で知り合った女子大生を飲み会の二次会と称して自宅のマンションに連れ込んだ。


 そして泥酔した女子大生を3人でレイプして動画を撮影し、目が覚めた女子大生が警察に駆け込んだことで彼らは一夜にして性犯罪の容疑者になった。


 ということになっている。



 実際のところがどうだったのかは彼ら自身と被害者の女子大生にしか分からないし、報道の直後に厄介払いで学年ラインを追い出された彼らに直接事情を聞こうとも思わなかった。


 だけど彼らが以前から女の子を連れ込んだ動画を共有するためのグループチャットを作っていたことは確からしいし、「延焼」を防ぐためにそのグループチャットに入っていた他の男子学生については徹底的に学内で情報が統制されている。



 同級生の立場から見て、彼らは本当に普通の男子医学生だった。


 だからといって、湖南医科大学の同級生である以前に一人の女性である私にとってあの事件は「反吐ヘどが出る」という表現しかできなかった。



「どんな感じ、と言われましても……」

「ほら、何かあるでしょ。女好きって言い方は古いけどさ、特殊性癖なんじゃないの? 国公立だけど実家は開業医とか病院の副院長で、運動部のイケメンなのに普通あんなことしないでしょ」

「そんなの……私の面接に関係ないじゃないですか!」


 面接官が私に聞いてきたことは、事件を面白半分で見ていた世の中の普通の人々も気にしていたことだとは思う。


 彼らの実家は私と違ってお金持ちで、湖南医科大学は国立大学だから学費は医学部医学科でない他の国公立大学と大差なかった。


 だから誰もが不思議に思う。女の子と遊びたければ普通に彼女を作るなり雄琴温泉に行くなりすればよかったのに。



 だけど、なぜこんな場面で女性の私がその質問をされなければならないのか。



「っ……ごめんなさい、でも私の口から同級生のことをぺらぺらと話せません」

「ああそうだよね、同級生……だもんね。デリカシーのないことを聞いて申し訳なかったです」


 気まずそうに質問を打ち切った面接官に、私はどれだけ腹が立っても面接官に対して見せてはいけない態度を自分は見せたと気づいた。



 そうして私は、マッチングで第一から第三志望までの市中病院に就職できなかった。



 あんな質問をしてきたのはその病院だけだったし、湖南医科大学で起きた事件だけが原因とはとても言えない。


 だけど、直接交流があった訳でもない3人の同級生のせいで希望する病院に就職できなかったかも知れないと考えるだけで私はずっと苦痛だった。



 マッチングの結果が出た後に卒業試験に合格した私は年が明けて医師国家試験を受験して、全受験生の上位30%以内の成績で医師免許を取得した。



 そして私が2023年4月から就職したのは、これまでの人生で縁もゆかりもない大学病院だった。

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