02.穴場の温泉

「今の、けっこうきつい揺れだったけど。遼にぃ、まさか脱線とかしないよな、この電車。かなりガタがきてる感じだし」

 乗る時、かなり年季が入っているな、とは思っていた。

 高校生の自分より長い年月、活躍していたであろう汚れっぷりの車両。どれくらいの間隔で、保守点検されているのだろう。

 車両がこんな、ということは、レールの方も相当の古さかも知れない。

 時々、車輪とレールはちゃんとかみ合っているのか? と疑いたくなる揺れがある。さっきの揺れも、まさにそうだった。

「脱線したら、その辺りにいる農家のおっちゃんが助けてくれるだろ」

「おーい、勘弁してくれよ……。農家のおっちゃんに頼らずに、オレは無事に目的地へ行きたい」

 窓から見える景色は、ひたすら田んぼばかり。遙か彼方に、山。

 真夏の厳しい太陽光に攻撃されながらも、青い稲が天に向かって伸びようとしている。見えるのは、それらの緑と空の青。

 そんな情景の中を「線路は続くよ どこまでも」状態で、二両編成の古びた電車が走っていた。

 遼太郎が言うように、もしここで脱線などしたら、最初に駆け付けて助けてくれるのは農家のおっちゃん達だろう。

 もっとも、車窓から見える範囲で人影はなさそうなので、助けが来るまでは時間がかかりそうだ。何もないことを、ひたすら祈るしかない。

「大丈夫よ、誠ちゃん。脱線しても、被害者は少ないわ。あたし達と、運転手さんくらいだもん。今はお客さんも全然いないし」

「……琴音、全然フォローになってないぞ、それ」

 その「被害者」になりたくないのだが。

「こと、正確には電車は運転手さんじゃなく、運転士さんだ」

「遼兄、そういう細かい突っ込み、いいってば……」

 冴月さえづき兄妹のどこか天然な受け答えに、幼なじみの誠一郎は肩を落とす。

 もっとも、昔からまるで変わらない二人ののほほんな性格が好きだからこそ、こうして付き合いも続いているのだ。

 遠くから見れば、オモチャのような電車。それに乗って三人が向かっているのは、山間部にある小さな村だ。目当ては、そこにある温泉。

 一般に売られている温泉ガイドにも載っていないような、いわゆる穴場の温泉がある……らしい。

 教えてくれたのは、遼太郎の大学の友達だ。その友達が温泉好きで、変わり種の温泉もよく見付けてくる。

 今回も、どこからか「ここに、これこれこういう温泉があるらしいぞ」と情報入手してきた。

 同じく温泉好きな遼太郎がそれを聞いて「じゃ、夏休みに行こう」と即決。

 が、直前になってその友達に親類の訃報が届き、行けなくなってしまった。

 遼太郎は「今回は延期、もしくは中止」を考えたが、一応宿も押さえてある。これまたガイドブックに載ってないような、年寄り夫婦がやっている「田舎の生活が満喫できる、田舎の宿」だ。

 キャンセルしたらそこのじーちゃん、ばーちゃんに悪いから、別の奴を誘って行って来い。

 おばあちゃん子の友達からそう言われ、遼太郎は隣のひじり家で暇そうにしている(本人が聞いたら、きっと怒る)誠一郎を誘うことにした。

 他の友達にも、温泉好きはいる。だが、たぶんバイトなんかが入っているだろうし、電話やメールをするより直接話せる誠一郎に言う方が早い。

 特に予定はないから(やっぱり暇だった)ということで、誠一郎はすぐに「行く」と返事。

 それを知った琴音が「ずるいっ。あたしも行きたーいっ」と言い出した。兄妹なので、琴音もやっぱり温泉好きなのである。

 遼太郎が宿に電話すると、女の子が一人増えるくらいなら構わない、と言ってもらい、こうして三人での出発になった。

 一応、遼太郎は車の免許を持っている。自分の物ではないが、家には車もある。

 しかし、行き先は山の中だ。琴音は車に弱いので、そんな所へ車で行けば、着いた頃には温泉どころではなくなっているはず。

 そういった事情もあり、朝から色々な路線を乗り継いで、三人は目的地へ向かっていた。これの一つ前に乗っていた電車の中で駅弁を食べたりし、これはこれで旅行らしくていい。

 しばらく田んぼを眺めながら走っていた電車は、やがて山々の間へ入って行く。トンネルがやたらと多くなり、古いエンジンの音とトンネルを走り抜ける音で、お互いの声も聞こえづらくなってきた。

 いくつもトンネルを抜け、いい加減耳がおかしくなりそうになって来た頃。

「次の駅だ」

 遼太郎が言い、琴音と誠一郎はほっとした。

 いつも「地下鉄って、うるさーい」などと文句を言ってるが、この電車に比べれば静かなものだ、と思い知らされていたのだ。

 まるで路面電車の駅のような、こじんまりしすぎる駅に三人は降り立つ。当然のように、無人駅だ。ここから乗る客は、見当たらない。

 立て付けの悪い音をたてながら、一応自動になっているドアが閉まる。乗務員以外、誰もいなくなってしまった電車は、次の駅へと向かって行った。

 乗る人がいないのに、二両編成にして赤字にならないのだろうか。

「しずか~」

 陽射しは強いが、湿気がないので爽やかだ。

 聞こえてくるのは、風が木々の葉を揺らす音。近くにあるのだろう、川のせせらぎ。あとは、鳥の声。

 自分達の住んでいる場所が、ここと同じ国とは思えない。

「さ、行くぞ」

 遼太郎を先頭に、三人は温泉を目指した。

☆☆☆

 降りた駅は、村の近くにある。家がぽつーんぽつーんと点在するような、本当に小さな村だ。

 そこを通り過ぎ、少し山を登る……と言っても、十五分くらいゆるい坂道を歩く程度。

 昼時という時間帯のせいか、歩き続けても人の姿が見当たらない。

「遼兄、ここって廃村じゃないよな?」

「こんなに畑が手入れされてる廃村なんて、ある訳ないだろ」

「それもそっか。けど、本当にだーれもいないな」

「お昼寝の時間じゃない?」

 琴音のまったり発言に、誠一郎はつまづきそうになった。

「お昼寝?」

「だって、こういう所って時間がすごくのーんびり流れそうじゃない? だから、仕事をしたら、ゆっくりお昼寝しましょうって」

 真面目に仕事をしている村人が聞いたらクレームが来るんじゃないか、と思えるが、何となく「そういうのもありそうだな」と思う誠一郎だった。

 湿気は少なくても、それなりに気温は高い。歩き続けて汗が流れ始める頃、ようやくそれらしい場所へたどり着いた。

 遼太郎の友人曰く「穴場の温泉」だ。

「本当に……穴場だな」

 誠一郎がつぶやく。

 山の木々に囲まれたエリア。そこに、文字通りの露天風呂があった。

 ちょっと穴を掘ってお湯をためました、みたいな場所だ。まさに、穴。

 大きさとしては、六畳一間より一回り小さいくらいか。底には、大小の石が敷き詰められている。

 中央には仕切りのつもりか、簡単に蹴破れそうな薄い板が立てかけてある。入る湯船は同じだが、これで男女を分けている……らしい。これだと、ほとんど混浴状態だ。

 それでも、こんな「穴場」の温泉としては、たぶん広い方だろう。テレビなどで見掛ける「穴」の温泉は、一人入るのもぎりぎり、なんてものもあるから。

 遼太郎が、お湯の中に手を入れた。

「ん、ちょうどいい湯加減」

「ねぇ、脱衣場って……あれ?」

 小さな東屋に少しばかり壁を付けました、という程度の小屋が近くにある。掘っ立て小屋、と呼んでも差し支えなさそうだ。屋根があるのが奇跡、のような気がする。

 こういう場所での用途を考えれば、脱衣場だろう。その気になれば、覗き放題だ。

 遼太郎が、中を確認する。

「村の人が使ってるんだろ。こと、そんなに汚れてないから」

 脱衣カゴどころか、棚の一つすらもない場所で、本当に何もなかった。かろうじて、すのこがあるくらい。倉庫と言われたら、納得しそうな空間だ。

 しかし、これという問題はなさそうなので、遼太郎は琴音にそこで着替えるように言う。

「お、気持ちい~」

 先に入った誠一郎の声が聞こえた。

 琴音も汗で身体にくっつくティーシャツを脱ぐと、急いで湯船まで走り、お湯の中に足を入れる。

 最初に見た時はどんなものかと思ったが、確かにいい湯加減で気持ちいい。

 村の人が洗面器代わりに置いたのであろう、ちょっと水漏れする古い金ダライがあり、それで少しかけ湯をしてから身体を沈める。

「はあ~、いい気持ち」

 周囲には、鳥の声と真夏の濃い緑。時々、涼しい風が通り過ぎる。

 何だか、ものすごいぜいたくをしている気分だ。家では絶対に味わえない、ゆったり感。

「え……?」

 ふと、視界の端に何かが動いたような気がして、琴音はそちらを向いた。

 何かが、近くの草むらへ飛び込んだような気がする。とは言え、一瞬だったので、本当にいたかと聞かれたら、あまり自信はない。

 こんな山の中だから、狸や何かの動物がいるわよね。

 ありえそうなことを考えようとした琴音だが、次の瞬間、人影が見えた……ように思えた。

「きゃあっ」

 影に驚き、思わず悲鳴を上げる。

「どうしたっ、琴音!」

 薄い板の仕切りだけなので、声は筒抜けだ。

 急に琴音が悲鳴を上げたので、誠一郎がこちらへ来ようとした。

「きゃああっ、エッチ!」

 琴音は、反射的にさっき使った金ダライを投げた。

 球技が苦手でノーコンなはずなのだが、琴音が投げた金ダライは見事に誠一郎の顔を直撃する。

 実にいい音が、周囲に響いた。

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2026年1月3日 19:00
2026年1月4日 19:00
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扉の向こう~黒ねこについて行ったら異世界へ~ 碧衣 奈美 @aoinami

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