墨の軌跡

逢坂らと

墨の軌跡

――文を作るのに欠くべからざるものは、

何よりも創作的情熱である。


――完全に自己を告白することは、

何びとにも出来ることではない。

同時にまた、自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。


――打ちおろすハンマーのリズムを聞け。

あのリズムが在する限り、

芸術は永遠に滅びないであろう




芥川龍之介は天才だった。

誰もがそう言うであろう。


ただ、芥川本人はこう言った


「僕は芸術的良心を始め、

 どういう良心も持っていない。

  僕の持っているのは神経だけである」


そしてこうとも言った。


「我々はしたいことの出来るものではない。

 ただ、出来ることをするものである」



――――――――――――――――――――

私は1人の名もなき作家でした。

作家といえど出版しているわけではなく、

ただただ小説を書いては周りの人、

一部の人に見せて周るのでした。


そして、ある日の晩、

家の前に何かが転がっているのを見ました。


怪しく思って寄って見てみると、

それは1つの小槌こづちでした。


小槌といえば何か幸せをもたらすものだろう。


きっと誰かが落とした大事な小槌に違いない。


けれど、一体誰が?


私は山奥の小さな小屋に住んでおりました。

なかなか人は通りません。


すると、

その小槌に、あるものを発見しました。


「芥川」


そう、記してあったのです。




私は芥川先生の文学が嫌いです。


そもそも、

太宰治だざいおさむの文学が嫌いなのですが、

その人の憧れであるのなら、

もっと嫌いなのです。


私の先祖は太宰治と仲が良かったようです。

芥川とはあまり関わりはなかったようですが

私の先祖の残した日記には…

こう、書いてありました。


「太宰治ははながデカかった。

 まるで芥川の『鼻』みたいに」


「海辺で出会ったあの少年は

 どこか『杜子春とししゅん』に似ていた。

 だから私と太宰は仙人せんにん真似まねをして

 そいつに話しかけた」



それらを私が読んだ時、

なんと情けないのだ、と思った。


作家であるのにも関わらず2人とも、

そろいも揃って芥川におどらされているのだ。


それは尊敬そんけい…と言う言葉で表せないほどの

踊らされ方だった。


出てくる例えはみんな芥川作品だった。

太宰こそ成功したが、

私の先祖はしょぼいものでした。


でてきた作品がどれも、

芥川の二番にばんせんじなのです。



つまらないでしょう?



私の両親や祖父母はそれを笑っていましたが

私はちっとも笑えなかったのです。





正直に言ってしまうと、

芥川家の末裔まつえい

芥川咲夜あくたがわさくやの作品は薄っぺらだと思います。

才がない。


けれどあの人は有名になったし、

賞も取っていた。



なんでかって?だよ



芥川の子孫だからあんな風になれたのだ。



だが、俺はどうだ。


しょぼい、ださい、つまらない。


どれもこれも先祖…鮠崎はやざき次郎じろうのせいだ。


あいつが芥川の二番煎じではなく、

ちゃんとしたを作ることができていたらきっと我ら鮠崎家の未来は明るかった。



それでも私は筆を動かした。

どこぞの偉大なる作家よりも

よく、休まずに筆を動かしていたに違いない。





太宰の顔は本当に青サバに似ていると思う。

その親友で、

私の従兄弟大伯父いとこおおおじである

鮠崎次郎は河豚ふぐに似ている。


はやなのに河豚ふぐだって?

やかましい。


しかし次郎の性格は小判鮫こばんざめみたいなものだろう。





作家のくせに本当に情けない。

当時の作家は大抵、そもそもの家が金持ちである。

私の家も昔は随分と金持ちだったらしい。

ただ、全ては従兄弟大伯父いとこおおおじのせいだ。


我ら鮠崎家一族は、

太宰治に近かったのにも関わらず、

廃れていった。作品が売れなかったからだ。




これはもう…芥川ののろいと言っても良いだろう。





話を戻すが、そして、今、

私の元に芥川の小槌が届いたのだ。


どうすれば良いのだろうか。

振ればいいのだろうか。


振ってみたが何も起こらない。


つまんねぇな


そう思ってしばらく箪笥たんすの上に置いていた。





その次の日だった。

箪笥の上から突然小槌が降ってきたのは。


あいたっ


私はそう叫んで、上を見上げた。

小槌が落ちてきた。


すごく痛かった。ものすごく、痛かった。


けれど自然と私は机に向かって原稿用紙を取り出した。


そしてそのフラフラな頭のまま、

私は一心不乱いっしんふらんに文字を連ねた。





それから2日は経っただろう。

長い、長い物語が完成した。


これだ。私が今まで書けなかったものは。

これだ。これで出版社に持っていける。



私は急いで出版社に原稿を提出した。

その後、小さな雑誌で掲載けいさいされたのだが、

大人気となり、

あちこちからそれを書くように依頼が来た。


今までにないほどの金が手に入った。


しばらくは遊んで暮らせる———————。









さて、

人というのはいずれ物事に飽きるものだ。

私の傑作けっさくも飽きられて、

今ではすっかり耳にしなくなった。


新しいものを書いて欲しいと出版社には言われた。


そして私は得意げになってその話を受け、

机に向かった。






自分でもそう思うくらいの作品が生まれた。


書けない。傑作が作れない。


私はすごく焦っていました。

どうすれば良いのだろう。


そして私は、あることを思い出しました。


芥川の小槌です。


前回、小槌は落ちてきました。

物は重力に逆らえません。すごい力でした。

あの作品を超えるのにはその時よりも強く頭を打たないといけません。


私は頭蓋骨ずがいこつをかち割るような勢いで

私の頭を叩きました。


フラフラでした。

めまいがしていました。






それは3日目の朝でした。

小説は書き終わりました。

私は意識が朦朧もうろうとしてきて、

そのまま倒れました。










—————————————————

鮠崎次郎の子孫、

鮠崎峯吉はやざきみねきちは亡くなりました。


死因は頭を強く打ったからだと考えられています。



芥川咲夜の最期さいごによく似ていました。


しかし、峯吉は字を連ねていました。




その作品は、

芥川龍之介『杜子春とししゅん』にそっくりでした。


そしてその最後に、

血文字の文が書かれていました。


【仙人になりたい】







——かの芥川龍之介は言いました。


『我々はしたいことの出来るものではない。

ただ、出来ることをするものである』


『完全に自己を告白することは、

何びとにも出来ることではない。

同時にまた、自己を告白せずには

如何いかなる表現も出来るものではない』




死の間際まぎわに峯吉は気づいた。


自分の書いた文章…少なくとも、

売れた物は…芥川の二番煎じ、

そして従兄弟大伯父いとこおおおじである

鮠崎次郎の二番煎じであったのだと。





次郎も峯吉も、

仙人芥川になりたかったのである。




【終】




(をはち様【白紙の傑作】を読んで。

 書かせていただきました。

 をはち様へ、

 素晴らしい作品をありがとうございます。)

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墨の軌跡 逢坂らと @anizyatosakko

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