永遠に通過する停車駅
深夜0時前
最終の特急電車に乗った。
会社での残業を終えた俺は、重い疲労に耐えながらボックス席の窓際に座った。
車内には俺以外に誰もいない。
特急は俺の降りる駅を含め、この時間帯は途中のいくつかの駅を通過する。
ぼんやりと窓の外を見ていた。
トンネルを抜けた。
窓を見ると、次の停車駅のホームが急速に近づいてくる。
降りる駅ではないが、電光掲示板の駅名を見るために目を凝らした。
駅名表示が通り過ぎた――「鹿ヶ谷駅(しかがたにえき)」――
特急は減速することなく、停車駅を通過した。
この時、なぜ停車駅で止まらなかったのか、奇妙な違和感を覚えた。
駅を通過した直後、ノイズ混じりの低い女性の声で、車内アナウンスが流れた。
「次は、鹿ヶ谷。鹿ヶ谷です」
思わず顔を上げた。
聞き間違えでなければ、たった今、通過したばかりの駅名だ。
それに今、停車駅を通りすぎたところなのに、次の停車駅のアナウンスが早すぎる。
窓の外を視線で追いかける。
再び、外が明るくなり始めた。そして、同じホームが急速に近づいてくる。
電光掲示板には、再び――「鹿ヶ谷」――の文字。
電車は減速せず、またしても通過した。
二度目の通過を終えると、アナウンスの声は明らかに感情を帯びていた。
「次は、鹿ヶ谷。鹿ヶ谷です。早く……早く降りて……」
聞いた事のないアナウンスに、心臓が警鐘を鳴らし始めた。
急いで席を立ち、車掌室のある車両に向かった。
だが、車掌室のドアは固く閉ざされており、ノックしても反応がない。
自分の座っていた車両に戻ろうとしたとき、通路側の窓ガラスに目をやった。
三度目の「鹿ヶ谷」
電車が通過した時、ホームのベンチに誰かが座っているのが見えた。
すぐに振り返るが、電車はすでにホームを通り過ぎているはずだ。
しかし、またしても外が明るくなり始める。
四度目の「鹿ヶ谷」
今度は駅のホームが、まるでスローモーションのように見えた。
ベンチに座っているのは、髪の長い、白いワンピースを着た女性だ。
確認できたのはそれだけだった。
五度目の「鹿ヶ谷」
今回も駅のホームが、スローモーションのように見えた。
さっきの女は俯いていたが、電車が近づくと同時に、ゆっくりと顔を上げた。
女の顔には、目も鼻も口もなかった。
のっぺりとした皮膚の下に、何か大きなものが蠢いているような不気迫な凹凸があるだけだ。
そして、女の座るベンチの足元には、黒く変色した古いトランクが山積みに、いくつも置かれていた。
電車が女の横を通過する瞬間、女の首が、俺が乗る車両の窓を追いかけた。
「次は、鹿ヶ谷。鹿ヶ谷です。なぜ…まだ降りない……なぜ…降りない……降り…て…おね…が……」
アナウンスは、ついに嗚咽のような音に変わった。
座席に戻ることなく、次の車両との連結部に身を隠した。
恐怖のあまり、次の「鹿ヶ谷」の通過を見たくなかった。
しかし、電車は何度も何度も「鹿ヶ谷」を通過する。
通過する度に、アナウンスの声は怒りと哀願が混ざり合っていく。
俺は耐えきれなくなり、連結部から出て近くの窓から、意を決して外を見た。
何度目の「鹿ヶ谷」だろうか。わからない。
ホームの様子は大きく変わり、ホームの壁や柱は古びて、苔が生え、トランクの山が、線路の端まで広がっていた。電光掲示板の文字は、もはや「鹿ヶ谷」とは読めず、それは俺自身の名前のように見えた。
電車がその「駅」を通過する瞬間、近くの車両のドアが、ガタリと一瞬だけ開きかけた音を聞こえた。
一瞬だけ開きかけたドアの隙間から、何かに押し込まれるように、強く湿った空気が流れ込んできた。
「…り………」
いつの間にか見覚えのある、黒く変色した古いトランクが1つ、俺の近くに置かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます