第3話 たそがれ

 今日は、私の幼少時について少しお話しましょう。


 言葉を覚えた頃の私は、それはもう質問魔で。

 町の名前、地域、物の名称……とにかく片っ端から訊きました。

 情報収集、大事です。


 周囲には「妙な気配の子」と思われていましたが、

 質問攻めでますます怪しまれました。

 好奇心旺盛、の域を越えていたみたいです。


(こちらの私がを自覚した時期については、また後ほど。)


「暇ですねぇ」


 誰もいません。本来なら女中さんがついています。

 着替えや雑事を手伝ってもらうのは楽で歓迎ですが、

 常に誰かがいるのは……どうにも疲れるようで。


 そこでの父に頼み、最低限だけにして頂きました。

 不慣れながら教えていただき、今に至ります。


 さてさて。

 本日、お天気良好、湿気少なめ。


 でしたら――


「いいですよね」


 常に傍にある相方を持ち上げる。

 膝に乗る重み。

 布をかけ、指すりをして、撥を取り、いくつか音をはじいて。


「……いいみたいですね」


 てぃん、と啼く。

 てぃん、てぃん、と慣らす。


「始めさせて頂きます」


 べべべん、と。

 さあ、今日も聞かせてくださいな。



 ***


 あの日はいつものように、1人で三味線を引いていました。

 指を滑らせ糸を押さえ、また滑らせる。


 啼き、啼き、

 高く轟き、

 低く沈む。


 数えきれない音。

 元は三弦、たった三つの糸。


 どれほど弾いたのでしょうか。


 べん、と最後の音を叩き、相方を抱き上げる。

 ふぅーっと長く息を吐き、

 がっくりと頭を落とした。


 ……全然、だめです。


 まだ追いつけない。

 まだ遠い。

 指が重い。


 少しは近づけたでしょうか。

 そう思いたい。

 けれど、それも驕り――?


「いい顔するじゃあ、ないか」

「………………………………へ」

「気づいてなかったかい?」

「い、」


 いつのまに来やがったんですか。


「相変わらず、弾き出すと周りが見えなくなるねぇ」


 その右目が言っている。


 から成長していないな、と。


 あー、あー、そうですね。

 まったくもう。

 あの夕暮れと同じ――



 ***



「知らない曲だねぇ」


 いきなり声がして、三味線を下ろす手が止まった。

 男の声? 侵入者? 父の客?

 廊下には誰もいない。


 ……もしや、忍者?


「庭さ」


 庭――あ、いました。


 黒地に彼岸花の咲いた着流し。紅の帯。

 紫紺の飾り紐。派手。

 そして美しい顔。

 前髪に片目を隠し、木にもたれて腕を組む姿が様になっている。


「どちら様ですか」


 父の客筋ではないですね。

 泥棒でしょうか。

 ワイルドです。

 こんな何もない離れに来るなんて、方向音痴にもほどがあります。


「おんや、人を呼ばないのかい?」


 私が母屋まで届く叫び声を出せるかどうか、ですか?

 なかなか難しいことを仰います。


「悲鳴上げても、誰も来ませんよ」


 離れなので。


「……そうかい」


 あれ、近付いて来ます?

 腕をほどかなくていいですよ。

 木から離れなくていいですよ。

 なぜ目の前に立つんですか。

 手を伸ばして――


「寂しくないのかい?」


 ……はい?


 いやいや、なぜほっぺに手を添えるんですか。

 冷たいですね、血行悪そうです。

 じゃなくて。


「何故、あなたがそのような顔を?」


 泥棒さんは柄の悪い口調なのに、眉を寄せるだけで憂いの色。

 色気がある。なんで。


「何のことだい」


 引っ込んだ。今度は笑ってる。

 凶悪。凶暴。

 鍔広帽子かぶって“海賊”でもやっててください。

 だから顔が近いですって。


「お前さん、名は」


 あなたこそ誰。


 ***



 思えば、初対面からずっと変わらないのは、お互い様。


「なに拗ねてんだ?」

「結局私、あなたの名前を聞いてません」


 こちらは名乗ったのに。


「あっしの名前なんざ、大した意味は持っちゃいねぇさ」

「じゃあ、ずーっと鬼さんですよ?」

「構わねぇさ」


 構いましょうよ鬼さんは。

 名乗る気は本当にないみたいです。


 何が気に入ったのか、あれ以来ちょくちょく来るようになりました。

 といっても不規則。毎日かと思えば、途絶えたり。


 ……仕事とかは?


「あるように見えるかい?」


 堂々と言わないでください。


「あいた」

「口に出てんぜ?」


 ほんと容赦ない。


「いひゃい……んですけど。絶対赤くなってますよね」


 これは文句を言わなければ。


「あなたはいくら細くても性別は男で、手がごついんですよ。力あるんですよ。わかってます?」

「だから手加減してるだろう?」


 ですよね。でももっと減らしてください。


 そんな悪人顔で楽しそうに笑わないでくださいよ。



 にぃんまり、と。

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