第2話 怪しげな訪問者

「相も変わらず、お前さんは暇そうだ」


 嫌味な言葉と、嫌味なほど整った顔立ち。

 この男の人、二十歳前後にも、三十路にも見える。不思議と年齢が読み取れません。

 ……いえ、老けてるなんて云ったら怒られますね。内緒にしておきます。

 

いつも先触れもなく、音も気配もなく、気づけばそこにいる方です。


 片手には煙管。

 朱塗りの羅宇に銀の吸口。細工は花か虫か……とんでもなく高価そう。

 私なら飾ります。いえ、その前に売り飛ばしてしまいそうです。


「また、唐突なお越しで」


 嫌味を返すと、くつ、くつ、と喉の奥で笑われました。

 怪しいのに、綺麗。美形って本当にお得ですね。


「来ちゃあ、まずいかい?」

「まずくても来るでしょう」

「さて、ねぇ」


 飄々と笑うその男こそ、私の江戸時代観をぶち壊してくださるお方。


「あい」


 名を呼ばれ、見上げると、つり上がった口の端。


「茶ァ、くんな」


 ……自分で入れてください。



 ***



 一の糸、二の糸、三の糸。

 指が走り、小ぶりの撥が弾く。


 膝に抱えるのは太い糸が張られた、少し大ぶりの三味線。

 北から取り寄せてもらった、まだ“津軽”とは呼ばれない太棹です。


 では、もう少し先の時代で発祥したはず。

 発祥の過程を描いたアニメを見て、指使いの再現度に泣きそうになったこともあります。


 こちらの母には悲鳴を上げられました。

「芸者みたいなことを!」「瞽女にでもなりたいの!?」と。


 瞽女ごぜさんとは目の不自由な三味線弾きの旅芸人です。

 笛なら……と云われつつも、最終的には父が許してくれました。

 代わりに「縁談はこちらの言う通りに」という条件つき。


 ……あれ? 私、結構、従順に色々こなしてる気がしますが。


「手が止まってるぜ?」


 れ?


「忘れてたって顔だねぇ」


 ……はい、忘れてました。

 そういえばお客様がいましたね。

 縁側であぐらをかき、肘をついて、にやにやと――実に悪い顔。


「すみません、つい」

「かまわないさ」


 帰るように勧めたのに、「弾いてくんな」と返されました。

 頼んでいるのに命令口調。慣れています。

 けれど“わがままな坊ちゃん”とも違う雰囲気。


「他にはないのかい」


 そうでした。「一番難しいのを」と悪意まみれのリクエストでしたね。


「すみません」


 右手の指の付け根がつりそうです。力を入れすぎました。


「つまらねぇな」


 にやにやしながら、ずばっと云ってくださる。

 撥を置き、一礼して三味線を下ろします。

 ふと気づけば外はすっかり夜。


「おんや、心配してくれんのかい?」


 まさか。


「あっしは行きたい時に行きたいところに行くだけさ」


 たとえば――

「あんたのところ、とかな」


 掠れた声が鼓膜を震わせました。返す言葉はありません。


 男は体を傾け、こちらに指を伸ばします。

 夜に誘う女人のように、しなやかな白魚の指。


 唇をかすめ、頬を伝い、首筋をなぞる。


 すぅ、と瞳が細くなる。

 狙いを定めた猫のよう。


 室内にあった微睡みの気配がすっと消え、

 燭台の火がゆらり、と揺れました。


 近づく青灰の瞳。

 その奥でほむらがちらつく。


 まなじりから零れる色香。

 夜に白く浮かぶ肌。

 触れれば壊れてしまいそうな気配と、

 喰らわれてしまいそうな危うさ。


 ――これが、彼が 人ではないという証。


 それでも私は逃げません。


「鬼さん」


 ただ、告げればいい。


「一風堂のお茶、いりません?」


 ぴたり。

 獣の動きが止まり、ぐるぐると視線を彷徨わせ、やがて大きなため息。


「茶菓子は」

「相楽屋さんのお饅頭です」

「餡は」

「もちろん、漉し餡です」


 そうと決まれば、準備をしなければ。

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