雪月華抄 

中村Y字路

祖父からの手紙

2008年4月10日

画家・雪村月華(ゆきむらげっか)、

御年八十にて、逝去。


以下、

晩年の作品『櫻来坂』と共に添えられていた

遺言より抜粋。


『青子(せいこ)へ


本当は雪村青子様、と書こうかと思ったが、

孫のお前に今更、とも思ったので、

散々悩んだ挙句、いつもの呼び名で書くことにする。


翠(すい)が亡くなった日は、櫻が満開で、

夜、大森病院まで走ったあの櫻来坂では

櫻の花びらが狂ったように舞っていた。

後ろから来るお前のことなどまるで気にせずに

一心に坂道を駆け上っていたら、

一瞬自分が何処にいるのかわからなくなった。

七〇七号室に着いて、

眠ってるように見える翠の顔を眺めていたら、

刻まれた皺一つ一つがとても愛しく思えた。


五十年。


連れ添った期間が歴史として、

翠の皺に刻み込まれている。


私は翠を見る度に安心したものだ。

自分の顔では、

その歴史を認識することが不可能だった故、

鏡を見る度に不安だったのだ。


翠の皺のある肌を愛しい、と思い、

一向に皺の増えない己の肌を気持ち悪い、と思い、

それでも、こんな自分を

青子は、いつもにこにこと「お祖父ちゃん」と呼んでくれていて、

それだけで涙が出そうになる。

皺に刻まれるそれぞれの歴史。

私にはそれがない。

では、自身が長く一歩一歩八十年も歩いてきたことの証明は

一体何処にあるのだ。


青子。

お前が生きていてくれることこそ、

私が生きてきた証拠に他ならないよ。

お前の成長が、

私の歴史を確かなものだったと証明してくれるのだ。

ありがとう。

青子がこの世に生まれてくれたときは

心底嬉しかった。

お前の父である馨や母である鴇子の葬儀の時、

泣き疲れて眠ってしまった幼いお前の小さな身体を抱いたら、

その熱さに、まだ乳臭い匂いに、

胸を突かれて泣けてきた。

それから、翠と私とで

お前をしっかり守って

生きていこうと誓ったのだ。

青子のためなら、

この命を投げ打つこともできると

思ったものだ。


まぁ、そんなことを言ったって、結局、

私の方がもちろん先に逝くことになるわけだが。


…今のは笑うところだ。わかっているか?


青子、泣くんじゃないぞ。

私は画家だから、いくら泣いたって

「感受性豊かで、この感受性を売り物にして、作品を制作しているのだ。

文句を言うな」と云えるが、

お前は泣くと、

顔が腫れるし、不細工になるからいけない。

ただでさえ、雪村の血で丸顔だというのに。


泣くな、笑え。

無理は先刻承知。

ただお前には笑い顔で人を幸せにするという才能があるのだ。

だから、笑え。

なるべく泣くな。


以上。




結局いつも、何が書きたいのか、わからん文章になってしまう。

だから、私は絵筆の方を選んだのだ。

また、今更ながら気付いたよ。


青い月夜の華散る日に。

翡翠の夢を見ながら。

鴇色の朝を向かえ、

馨り立つ未来を見据え、

ここを去る。


雪村月華』

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