第6話

 ある日の昼休み、僕は図書室で自主勉強をしていた。こういうことをするようになったのは自分でも驚きの変化だ。あの約束を果たす為、今の自分に必要な参考書が何なのかを探る為というのもある。しかしながら、今の自分に足りないのは何かの参考書というよりも圧倒的に勉強時間な気がする。

 理解できない箇所は今の所、その都度先生に聞きにいくだけで今の所は間に合っているし。何なら通りがかった先生に積極的に声をかけられるまである。教師という性分の関係上、意欲のある生徒に対しては色めき立つものなのかな。かと言って今の所勉強が順調かと言われると、別にそうでもないと思う。そこは何というか、受験戦争に参戦できる人とできない人の差を感じずにはいられない。まあ、小遣いも無い以上、購買部でおやつを買って時間を潰すこともできないわけだし。他にすることも無いことも事実。スマホは使用禁止だし。僕たちも部活にスマホを使うときはあるけど、放課後に関しては暗黙の了解なのか規制が緩い気はする。まあそれでも昼休みに隠れてスマホで騒ぐ人たちは後を絶たない訳なんだが。教室はそんな人たちが騒がしくしていて、お世辞にも勉強ができる環境ではない。だからこうして地味で人も少ない図書室で勉強をしている訳だ。そんな図書室に珍しい来客があった。

「おーい、小張く〜ん。頑張ってるねえ。」

 大井さんだ。図書室なので声は抑えめにしてくれている。あの書店での出来事で僕に気を遣わせているのではないかと聞いて来たけど、僕はそれをやんわり否定した。確かに大井さんの影響で進学について考える時期が大分早まったとは思うけど、少なくともこの図書室で勉強しているのは僕自身の意思だからね。これが他の人だったら、口だけ何とでも言って実際に勉強に手を付けることも無かったと思う。

 そういえば、僕の勉強については色々あった訳だけど大井さんは将来について何か考えているんだろうか?すると大井さんは将来の夢を語ってきた。いつかはファッションデザイナーになりたいのだそう。それも演劇の衣装や現実離れしたファッションショーに出てくるような服を中心にやっていきたいとのこと。そこまで行くにはただ衣類メーカーに就職するだけでなく知名度も高めていく必要がありそうな気はする。まあどの道、大井さんらしい派手な夢だ。きっとその夢に向かって頑張っているのだろう。しかし、そういうことなら演劇部なり服飾部なりそういう分野に関係のある文化部に入らないのだろうか?…と、そもそもこの学校にその様な部活は無かったんだった。だけどわざわざ部活を自分で立ち上げるほどだ、そのような部活を差し置いどうして卓球部をと思ったものの…。

「ん?卓球に興味湧いたから。」

 そうだった。大井さんはこういう人だった。それに加えてではあるけど、大井さんは大きな夢や目標があったとしても必ずしもそれ一色の人生である必要性は無いと考えているようだ。確かにファッションデザイナーを目指す上で服飾の経験は豊富であるに越したことは無いけど、それ以前に人は服飾の他に色々な要素が存在する社会に生きている。ファッションデザイナーになる以前に社会人、人間だという点を重要視しているということかな。それに、こういう切り替えの良さが結果的に本業に良い影響を与えることもあるだろう。正直、そういうことを表立ってできる大井さんが羨ましくもある。もしも僕が、卓球部を基準に学校を選ばなかったら…どんな世界があっただろうか。この卓球部に入る前の頃がそれに近いか。高校に進学してから暫く卓球には関わっていなかった。でも、友人と呼べるような人こそいないながら、そこそこ充実していた様な気はする。地獄から解放された分、楽になっただけな気もするけど。

 そう言えば、今の大井さんと野石さんはどうだろう?卓球部が始まってからはトップクラスで話す機会が多い。関係自体も悪い方では無いとは思う。でもそれは、ただ部活の仲間だからそうなっているだけで…それは友愛の類なんだろうか?プライベート寄りの付き合いは…あの約束がそれか?中々、人間関係って難しいな。上っ面だけの会話なら僕でもできなくはない。でも、信頼感というか心の繋がりの構築に関してはよくわからない。小学時代の卓球クラブの人たちも、全員歳が大分離れてたしなあ。陽キャなら、そんな僕には難しいことも平然とできるんだろう。それは僕より圧倒的に考えずにできるのか、あるいは僕以上に考えてのことなのか。大井さんは他の女子たちと駄弁っているところをよく見かける。少しの沈黙を破って、友達作りのコツを大井さんに尋ねてみた。でも帰って来た答えは…よくわかんない、と。ノリで話してる、と。何となく予想してた通りの答えだ。こういうのは本人の自覚の外にある要素も関わってくるだろうし。そして大井さんも仲良くしてる人はいるのかと訊いてきた。高校に入った直後は今の自分でも分かるくらいに口調がおかしかったしなあ。コニュニケーションが得意ではないのは初対面に近い状態の者でもわかっただろう。その影響か、よく話すような人もいなかった。昼休みも学校のどこかでぼーっとしていることが多かった。特定の雑草の様子を見にいくという奇行を行っていたこともあった。 「その雑草、今はどうなっているの?」

 もう刈り取られている。他の雑草とまとめて。刈り取られるまでは中々綺麗だったんだけどね。見込みのあるものでも、雑草というだけで、あるいは誰かにとって価値が無いならまとめて処理される。人の才能も、案外そんなものかもしれない。大井さんは息で返事をして、また少しの沈黙が流れた。昼休み終了の予鈴までもう少し時間はあるけど、大井さんは図書室から出ていく素振りを見せない。こんなところにずっといても楽しくないだろうと言ってみると、大井さんはこう答えた。

「たまにはこういうのも良いかなって。それに、私って一応卓球部の部長だよ?部員のことを良く知るのって大切な事だと思ってさ。」

 それを聞いて、僕は何となく大井さんに対して親近感のような何かを感じた。適当に返事をしたところで予鈴の鈴が鳴った。そろそろ清掃の時間が始まる。今の僕はこの図書室が担当に割り当てられている。その為、勉強道具は適当な場所に移して清掃後に教室に持って帰っている。司書にそう勧められている。だから一旦教室に戻ることも無い。すると大井さんは僕の代わりに勉強道具を僕の席に戻そうかと提案してきた。大井さんは今教室が担当なのだそう。僕の机は特に散らかっているということも無いので、その好意に甘えることにし、見送った。

 午後の授業も終わり、放課後。今日も3人だけの部活が始まる。設立から幾らか経って、2人はもう立派に試合を行えるまでになった。実力の程はまだ僕には及ばないにしろ随分喰らいつくようになってきた。僕の方も感を取り戻しつつあり、日々回復あるいは成長を感じている。そういうこともあって、対戦時は2人の実力に合わせて手加減している状態ではある。3種のラケットも中学時代は周りの小言を恐れてあまり使い分けられなかったけど、今はそれを気にすることもない。それでも、ラケットを握る時はその時のことを思い出してしまい、多少息が苦しくなる。もう気にすることもない事なのに、どうしてこういうことばかり忘れられずにいるんだろう。今後を左右する単語や問題の解き方はすぐ忘れてしまうのに。覚えたいことと忘れたいことを自由にコントロールできたら、どれだけ楽になれることか。そんなふうに葛藤していると、ある質問を受けた。

「小張くんって、どのラケットを使ってる時が一番強いの?」

「どのラケットでも手加減しているのは、私でもわかる。たまに変な返し方するし。」

 正直、どれが一番強いかはあまり意識していなかった。強いて言うなら、高校時代卓球が億劫になってきた頃には比較的文句を言われにくかったフレアのシェークばかり使っていた。経験の量で言えばそれだろうか?正直、直感というか手応えではどれが上とかはよくわからない。

「たまには本気の小張くんをみてみたいな。」

 実際、もう手心を入れ続けることもないだろう。最大限の戦いをしてみようか。今回は日本式ペンのを使おう。基本、試合中にラケットを変更することはラケットが破損したでもなければ認められない。逆に言えば試合外、あらかじめ相手を知っていればその戦術に対して有利なラケットを選ぶことができる。個人的にそういうのは気が進まないのだけれど、大井さんは困難な対戦をお望みのようだ。なら遠慮するのは逆に失礼と言うものだろうか。できるだけのことをしよう。

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