第3話 冬
三年生が、荒れ狂うインフルエンザと闘いながら、健気に高校受験に挑んでいるさなかに、大介たち二年生への、最初の進路説明会が開かれた。まだ早いよ、という不満の声に、受験準備は早ければ早いほどよい、と担任の赤城は切り返した。
放課後、溜まり場にしている、学校近くの公園で、弘毅は早速、不平を述べた。
「早い方がいいったって、早くから始めてるやつらは、幼稚園からお受験してるんだ。俺たち、現時点でもう、出遅れてるじゃないか」
「周回遅れってとこだな。ゆっくり行けばいいんだ。ジタバタしたって始まらない」と、大介。
「周回遅れはイヤだぞ。あれは見てて苛々する」と、ナオシ。
「お前はいいんだよ」と、弘毅が言った。「サッカーで、どこかの私立が拾ってくれるよ」
それはアリだろうな、と大介は思う。今年に入ってから、ナオシのチームは快調だ。
「昴もいい。大体、お前みたいのが、公立中学にいるのがおかしい」
昴は肩をすくめたきり、何も言わない。
「心配なのはお前だ」と、弘毅は大介に向き直った。「出遅れていることを認識しながら、平然と周回遅れを口にする、そういう、ふざけた野郎のことを、赤城は心配してたんだ」
「からむなよ」
「いいや、からむ。お前のためだ。大体、お前、将来、何になるつもりなんだ。その展望も無く、高校を選ぶわけにはいかんだろう」
なりたいものがないわけじゃない。だが、この場で言うつもりはなかった。だから、入れるところに入っておくよ、と言った。
「いいかげんなやつだな」
嘆かわしいと言いたげに、弘毅は頭を振った。
「じゃ、お前は? 将来のことなんか、決めてるのか?」
大介が逆襲すると、弘毅は、もちろんだ、と偉そうに言った。
「俺は医者になる」
あ然とした。弘毅の成績は、常時低空飛行の大介よりも低い。
「だから、俺は将来、医学部に進める高校へ行く」
「ムリ。ぜーったいにムリ」と、ナオシ。
「何がムリだ」
「だって、お前、勉強しねえもん。試験の前日に、平気でゲーセン行くひとだ」
「帰ってから、勉強すればいいんだ」
「するもんか。さっさと寝ちまうくせに」と、大介。
「今まではそうだった。これからは違う」
「だめだこりゃ。完全に、おつむに来ちまった」と大介が言い、なに、と弘毅が気色ばんだところで、昴が口をはさんだ。
「医学部志望は、大島さんのためか?」
かさにかかっていた弘毅が、急に、しゅんとした。
「大島さん、どうかしたのか?」と、ナオシ。
「うん。昨日、見舞いに行ってきたんだけど、なんか、元気ないんだ」
「具合が悪くなった?」
「身体の方は、あれ以上、悪くなりようがないんだ。でも、良くなりもしない。大島さんもそれはわかってる。ips細胞ってあるだろう? あれの研究に国が助成金を出さなくなるかもしれないんだと」
「あの、再生医療に使える細胞ってやつ? なんで?」
「不景気だからだろ。医療研究には、莫大な金がかかるだろうからな」
「でも、必要なんだろ」と大介。
「研究がうまくいけば、もしかしたら、また、歩けるかもしれないんだろ」
「国が何考えてるかなんて、俺にはわからないよ」と弘毅。
四人とも、黙ってしまった。
ほんの一瞬。太陽のおもてを雲がよぎって、視界をさえぎった。たまたま足を載せた石が、その瞬間に動いた。百年も二百年も、ずっとそこにあったような顔をしていたくせに。そんなささいな出来事だったかもしれない。それでも、あの事故は、大島さんの未来を根底からひっくり返した。
「神様って、いるのかな」
ポツンとナオシがつぶやいた。
シュッと鋭い音をたてて、昴がマッチを摺った。細いシガレットに火をつける。
喫煙は、昴の優等生らしからぬ悪癖で、埃っぽいような甘い香りのする外国産の煙草を常用している。刻んだ薄茶色の葉を薄いペーパーに器用に挟み、自分で細くロールした。
「それは好みの問題だ」
目を細めて煙を吐き出しながら、ゆっくりと言う。「君がいてほしいと思えばいる。いない方がいいなら、いない」
「信仰の問題じゃないのか?」と、大介。
「信仰は好みだ」
「ヤバイよ。公共の場所で煙草はよせって、いつも言ってるだろ?」
ナオシが、心配そうにあたりを見回しながら言った。
この児童公園にあるのは幼児向けの滑り台とブランコだけで、めったに人を見ない。まして、寒さで骨がきしむような二月の夕方に、散歩にくる人間がいるはずはなかった。
やがて、弘毅が顔を上げた。
「待ってろ、俺が医者になって、必ずなんとかしてやる」
そんな日は永久に来ない、と、いつもの大介なら突っ込むところだが、今日は差し控えた。希望はあった方がいい。どれほど頼りないものであろうとも。
それよりもお、と弘毅が一際大きな声を出した。「俺たちには差し迫った問題がある。来週は何があるか、知ってるか」
「中間テスト」
大介の答えを、弘毅はせせら笑った。
「そんなつまらんものじゃない。男の意地がかかってる。バレンタインデーだ」
「別に意地なんかかけなくたって、結果はわかりきってる。お前と僕は義理チョコの山。ナオシはもう少しいける。で、ダントツで昴が本命を掻き集める」
「お前って、夢ないのな」
「去年の実績から、簡単に推測できるじゃないか」
「チョコレート、好きならやるよ」と、昴が言った。
「イヤミか? そういう問題じゃないだろ」
弘毅の抗議を、昴はあっさりと退けた。
「好みの問題だよ」
結果は、大介の予想通り。いや、一つだけ、番狂わせがあった。
大介がもらった山のような義理チョコ―どれもこれも、コンビニかスーパーで買ってきたとおぼしい、安っぽいビニール包装―の中に、一つ、目立って違うチョコがあったのだ。他のチョコより大きく、丁寧に赤いリボンが結ばれ、シルクでできた一輪の赤いバラまで添えられているではないか。他の三人の執拗な追及「誰からだ、それ」と、要求「開けてみろよ」と、侮辱「なんかのまちがいとちゃうの?」をはねのけて、大介は大事にチョコを家へ持って帰った。
自室で一人になってから、注意深く包装をはがした。アルミホイルで包まれた、でこぼこの固まりが現れた。こんないびつなハートが、市販品であるはずがない。手作りだ。自然に顔がほころんでくる。記念切手ぐらいの大きさのカードが添えられていた。
「ハッピーバレンタインデー。愛を込めて。一年C組。近藤ゆりか」
近藤って、どんな子だっけ? まったくわからない。いつも喧嘩してる二年の女子どもなら、大概は知ってるんだけどな。明日、一―Cの教室を覗いてみよう。
ゆりかちゃんは、小粒で新鮮な桃の実のようにかわいい子だった。大介がしどろもどろの礼を言うと、ポッと赤くなった。ふっくらした唇から、白い歯が覗く。大介のことは、本命から三番目に好きなのだと言う。時々、お話してもらっていいですか、と言った。大介は、いいよ、と言った。そう言うしか、ないじゃないか。
「ま、女なんて、そんなものさ」
慰め顔に昴が言う。腹が立ったから、返事しなかった。
不恰好なチョコレートは甘かった。口の中でとろけて、すぐに消えてしまった。
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