第10話「学院試験・後編」

「……分かりました。魔法だけで、いかせていただきます」


アリシアが静かに宣言する。その言葉に対し、ルシアスはふ、と短く息を漏らし、

ほんのわずかに口角を上げた——笑みと言うには冷たく、挑発と言うには優雅すぎる微笑。


「そう来なくちゃね。……じゃあ始めようか。本当の戦いを」


二人の間に風が止む。

互いに視線だけで探り合い、指先ひとつ動かさないまま数秒の静寂が落ちた。


(ど、どうしよ……!魔法だけとか言っちゃったけど、魔力全然残ってない……。打てても初級魔法一回。

 でも使ったら私、倒れちゃうしな……)


呼吸だけが荒くなる。焦りを悟られまいと必死に抑え込むが、その心は揺らぐ。


そんなアリシアを見透かしたように、ルシアスは杖を腰の後ろへと回し、


「……来ないのかい? なら、また僕からいかせてもらうよ」


低く楽しげに呟くと同時に、杖の先端をアリシアへ向けた。


「深き海の底より、重きを抱いて来たれ。

 我が手に集いし奔流よ、濁流と為し、すべてを呑み込め」


青い光が瞬き、杖先に魔法陣が展開。

ルシアスが腕を押し出すと——


轟、と、海のような質量を持つ奔流が空気を震わせて解き放たれた。


「えっ……嘘!? 詠唱魔法っ!?」


アリシアが叫ぶ間もなく、蒼淵の濁流は壁のように迫る。


「蒼淵の衝瀾アビスブレイクノア


無慈悲な声と共に、奔流は大地を抉りながら一直線に襲いかかる。

それは海ではない。ただの水だ——だが、あまりにも多い。

奔流は質量を持つ塊となり、押し潰すように迫ってくる。


「待って待って!無理よ!!」


焦燥、恐怖、混乱。

しかし次の瞬間——アリシアの瞳に光が宿った。


(……疑われるかもしれない。でも、この魔法なら……!)


迫りくる魔法へ向かって、腰を低く落とし、右手を前へ。


黒い渦——平たく蠢く闇の口が掌に生まれ、奔流の魔力が吸い込まれていく。


闇魔法魔力吸収(マナドレイン)


本来は魔物や魔族が使う属性。

使えば正体を疑われる危険さえある。それでも。


(これなら……いける!)


右手で魔力を吸い上げながら、左手をルシアスの足元へ向ける。


緑と砂色が混ざった魔法陣が展開され、小さな砂嵐が巻き起こった。

舞い上がる砂が視界を覆い、ルシアスはアリシアの姿を見失う。


「くっ……こんな魔法で僕を足止めできると? 舐められたものですね!」


ルシアスは杖の石突きを魔法陣へ突き立てる。

パリン、と破砕音。砂嵐は霧散した。


しかし同時に——


蒼淵の奔流も跡形なく消えていた。


「……僕の魔法が、消えた?」


周囲を見渡すがアリシアの姿もない。


「どこへ行った……?」


次の瞬間、ルシアスは背筋が凍るほどの魔力を感知した。

ただ強いだけではない——底知れず、清烈で、人智を超えた“圧倒的な力”。


思わず空を仰ぐ。


そこには——空中に浮かび、片手を天へ翳し、巨大な魔法陣を展開するアリシアの姿。


「……っ!」


声すら出ない。

魔法陣は澄んだ氷の音を響かせ、中心に氷塊が形成され始める。

詠唱が進むほどに膨れ上がり、やがて演習場をまるごと覆えるほどの質量へ。


アリシアは静かに息を吸い、詠唱を紡ぐ。


「凍てよ、世界。

 沈めよ、万象。

 天を覆う冠は白銀。大地を赦さぬ永劫の氷。

 祈りの果てに降るは終焉——」


氷塊が完成する。

空の光さえ凍らせる白い巨塊。

見上げた者を、最後まで逃さない。


「……これで決着です。お待たせしてしまい、すみませんでした」


その言葉と同時に、手が振り下ろされる。


「《氷冠の天墜(グレイシャル・フォール)》」


氷塊が落ちる。

避けることも、抗うことも許されない終焉が。


ルシアスはそれを見上げたまま、一歩も動かず立ち尽くす。


手から杖を離し、空へ溶けるように消した。

抗う意志はなく、ただ受け入れるように


「参った、と言っても……もう遅そうですね」


静かに息を吐く。


「——上級魔法よりも更に上、大魔法。……なんて魔力だ。大きさも然る事乍ら、魔法としての完成度も素晴らしい」


氷影が迫り、世界が白に染まる直前。


「……そうです。僕はあなたの魔法に、憧れて——アリシ——」


言葉は氷に呑まれた。

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