第57話 宝物庫は『汚れ』の天国

レオルドさんに案内され、俺たちはアークライト家の広大な屋敷の一角、ひときわ重厚な鉄の扉の前に立っていた。

 ここが、アークライト家の宝物庫。何百年もの歴史を持つ大貴族のお宝が眠る場所。


「さあ、アラタ殿。中へどうぞ。ここにあるものなら、何を使っていただいても構わん」


 レオルドさんが厳かに言うと、護衛の騎士が重々しい音を立てて錠を開け、扉を押し開いた。

 キィィ……という、長い間開かれていなかったことを物語る軋み音と共に、扉の向こうから、むわりと空気が流れ出してくる。

 それは、古い紙と、金属と、そして何百年分もの埃が混じり合った、歴史の匂いだった。


「うわっ……すごい埃……。ゴホッ、ゴホッ!」


 リリアが思わず鼻と口を押さえる。セナさんやエリアーナさんも、その濃密な空気に眉をひそめていた。

 だが、俺は違った。

 その空気を、俺は胸いっぱいに吸い込んだ。


(……ああ、なんて芳醇な香りなんだ……)


 これは、ただの埃じゃない。

 歴史という名の『熟成された汚れ』の香りだ。俺の職人としての魂が、歓喜に打ち震える。


 俺は、まるで聖地に足を踏み入れる巡礼者のように、おそるおそる、宝物庫の中へと一歩、足を踏み入れた。

 中は、薄暗く、広大な空間だった。

 壁際には、無数の武具が立てかけられ、棚には豪華な装飾品や、用途の分からない古遺物が所狭しと並べられている。

 その全てが、分厚い埃の層に覆われていた。

 だが、俺の【万物浄化】のスキルは、その埃の奥にある『本質』を見抜いていた。


(……見える、見えるぞ……!)


 あの隅に立てかけられた、一振りの黒い剣。持ち主だった騎士の無念が、怨念となってこびりついている。まるで、こびりついた血糊のような、粘着質の汚れだ。

 あそこの棚に置かれた、美しい銀のティアラ。何代も前の当主夫人が身につけていたものだろうか。他の女への嫉妬の念が、宝石の輝きを完全に曇らせている。これは、洗い流すのが難しい、精神系の染みだ。

 床に転がっている、古びたランプ。何かの魔物が封印されているのか、微弱な呪いのオーラを放っている。カビと油が混じったような、複雑な汚れの構造をしている。


 呪い、怨念、嫉妬、無念、そして、何百年分もの純粋な埃……!

 あらゆる種類の『汚れ』が、この空間に凝縮されている。

 ここは……。

 ここは、俺にとっての……。


「……天国だ」


 思わず、心の声が漏れた。

 俺は、ゆっくりと顔を上げた。瞳は爛々と輝き、口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいた。

 そして、俺は両手を天に突き上げ、心の底から叫んだ。


「天国だぁぁぁぁッ! ここは! 『汚れ』の天国ですよぉぉぉッ!」


 俺の絶叫が、静かな宝物庫に木霊する。

 後ろにいた全員が、完全に固まっていた。


「……は? あ、あんた、今、なんて……」


 リリアが、信じられないものを見る目で俺を見ている。

 セナさんは、ポカンとした顔で口を半開きにしている。

 クロエは、こくりと一度だけ頷いた。……え、肯定してくれたの?


「ア、アラタ殿……? 王冠の浄化に役立つものを、探しに来たのでは……」


 レオルドさんが、困惑した声で俺に問いかける。

 そうだ、そうだった。本来の目的はそれだった。

 でも、そんなことは、もうどうでもよかった。

 目の前に、これほどまでの『洗い甲斐』がある獲物の山が広がっているんだ。それを無視して帰るなんて、洗い物屋の名が廃るというものだ!


「す、すみません、レオルドさん! 王冠の件は、後で! 後でやりますから! まずは、この目の前の『汚れ』を、俺に洗わせてくださいッ!」


 俺はそう言うが早いか、一番近くにあった、黒い怨念を放つ剣へと駆け寄った。


「ちょ、アラタ! 待ちなさいよ!」


 リリアの制止の声も、俺の耳には届かない。

 俺は、その剣を両手でそっと持ち上げると、うっとりとした表情で、その汚れ具合を観察し始めた。


「素晴らしい……。この怨念の凝縮具合、まるで魚のはらわたを三日間放置したような、熟成された匂いがします! これは、まず表面の物理的な汚れを落としてから、《浸け置き洗い》でじっくりと芯まで……!」


 ブツブツと独り言を呟きながら、俺は右手に浄化の光を灯す。

 俺が剣の表面を優しく撫でると、こびりついていた怨念が、まるで黒い煙のように霧散していく。

 やがて、その下から現れたのは、寸分の曇りもない、鏡のような白銀の刀身だった。


「まあ……! なんて清らかな光……」


 セナさんが、うっとりとした声を上げる。

 浄化された剣は、本来の輝きを取り戻しただけでなく、その刀身から、ほのかに聖なるオーラを放ち始めていた。


「はぁ……最高だ……」


 俺は満足のため息をつくと、その剣を丁寧に壁に立てかけ、すぐさま次の獲物――嫉妬に曇ったティアラへと向かった。


「次は君だ! 君のその醜くも美しい『汚れ』、俺がピカピカにしてあげるからね!」

「あ、こら! アラタ!」


 リリアが呆れたように叫ぶが、もう俺は止まらない。

 ティアラを手に取り、その宝石の一つ一つを、指先で丁寧に磨き上げていく。《シミ抜き》の要領で、嫉妬の念の核だけをピンポイントで浄化していく。

 カビと油の汚れが混じったランプは、《泡洗浄》で内部から洗浄する。

 持ち主の血を吸った呪いの鎧は、浄化液をイメージして汚れを分解し、洗い流す。


 俺は、まるで水を得た魚のように、宝物庫の中を駆け回り、次から次へと、歴史の『汚れ』を洗い流していった。

 その光景を、仲間たちとレオルドさんは、ただ呆然と見守っていた。


「……はぁ。もう、好きにさせとくしかないわね、こうなったら」

 リリアが、やれやれといった風に肩をすくめる。

「アラタ様……本当に、楽しそうですわ」

 セナさんは、うっとりとした眼差しで、浄化の光を放つ俺の姿を見つめていた。


 俺が浄化を進めるにつれて、宝物庫の空気は、目に見えて変わっていった。

 淀んでいた空気は清浄になり、埃っぽかった空間は、神聖な気配すら漂わせ始めた。浄化されたアイテムから放たれる聖なるオーラが、この空間そのものを、一つの聖域へと変えていたのだ。


「……すごいな」

 レオルドさんが、感嘆の声を漏らしたのが聞こえた。

「彼は、ただ浄化しているだけではない。この宝物庫に眠る、全ての遺物の『魂』を、洗い直しているかのようだ……」


 どれほどの時間が経っただろうか。

 俺は、ほとんどのアイテムを浄化し終え、満足感と心地よい疲労感に包まれていた。

 宝物庫は、俺が入ってきた時とは比べ物にならないほど、清らかな光に満ち溢れている。

 ふと、俺の視線が、部屋の隅で止まった。

 そこは、まだ俺が手をつけていない、最後の場所。

 山のように積まれたガラクタの一番下。

 ひときわ分厚い埃を被り、他のどのアイテムよりも、鈍く、そして悲しげな『汚れ』を放っている、一枚の大きな銀盤が、静かに眠っていた。


(……なんだ、あれは……)


 他の怨念や呪いとは、明らかに質の違う、何か特別な『汚れ』。

 俺の洗い物屋としての本能が、あの銀盤こそが、この宝物庫に眠る、最後にして最大の『大物』だと、強く告げていた。

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家族から「社会のゴミ」と罵られ、【洗い物】だけが役割だった引きこもりニートの俺が、【万物浄化】スキルに覚醒し、唯一無二の『聖具師』として世界一の専門店を経営することになった件 人とAI [AI本文利用(99%)] @hitotoai

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