第51話 夜明けの誓いと、深まる絆
ゆっくりと、意識が浮上する。
瞼の裏側で、誰かの優しい声が聞こえる気がした。全身を包むのは、心地よい疲労感と、久しぶりに感じる布団の柔らかさ。
(……あれ……俺、工房で……)
そうだ。アークライト家の、あの史上最悪の『汚れ』を洗い流して……それで、確か……。
重い瞼をゆっくりと持ち上げると、最初に目に飛び込んできたのは、見慣れた店の居住スペースの天井と――そして、俺の顔を心配そうに覗き込む、仲間たちの顔だった。
「アラタッ!」
一番近くで椅子に座り、俺のベッドに突っ伏すようにしてうたた寝していたらしいリリアが、俺が目を開けたのに気づいて、弾かれたように顔を上げた。その目には、うっすらと隈ができている。
「よかった……! やっと、気がついたのね!」
「そうですわ、アラタ様! 丸一日、ずっと眠り続けていたのですよ!」
リリアの隣で、セナさんが心底安堵したように、胸に手を当てて微笑んだ。
見れば、クロエも、エリアーナさんも、ベッドの周りに集まって、俺のことを見守ってくれていたらしい。
「……みんな……心配、かけたみたいで……ごめん」
「馬鹿ね! 謝ることなんてないでしょ!」
リリアが、少し潤んだ瞳で、でもいつもの調子で俺の肩を軽く叩く。
「まったく、あんたってやつは……本当に、心臓に悪いんだから!」
その言葉に、仲間たちがくすくすと笑う。
あの死闘が嘘のような、穏やかで、温かい空気が部屋を満たしていた。
まさにその時、部屋のドアが静かにノックされ、一人の男が入ってきた。
「目覚めたか、アラタ殿」
その声の主は、ギルドマスターのレオルドさんだった。
だが、その姿は、俺が初めて会った時の、苦悩と諦観に満ちた彼とはまるで別人だった。背筋はピンと伸び、その瞳には、かつて歴戦の英雄と謳われた頃の鋭い覇気が宿っている。呪いという『汚れ』が洗い流された、本来の輝きを取り戻した姿だった。
「はい、なんとか……。あの小箱は……」
「ああ。見事だった」
レオルドさんは、深く頷くと、俺のベッドの脇まで歩み寄り、改めて深々と頭を下げた。
「改めて礼を言わせてくれ。君は、我が一族を、そしてこの私を救ってくれた、大恩人だ」
「い、いえ、そんな……! 俺はただ、目の前の汚れを洗っただけで……」
慌てて身を起こそうとする俺を、レオルドさんは手で制した。
「これは、ほんの心ばかりの礼だ。受け取ってほしい」
そう言って彼がテーブルの上に置いたのは、ずっしりと重そうな革袋と、アークライト家の紋章が刻まれた一枚の白銀のプレートだった。
「革袋には、今回の依頼料と特別手当が入っている。そして、そのプレートは、我がアークライト家の宝物庫への永久立入許可証だ。君のその『洗い物』の役に立つものが、何か見つかるかもしれん」
(た、宝物庫……!?)
ごくり、と喉が鳴る。
歴史ある貴族の宝物庫。一体、どんな曰く付きの『汚れ』が、何百年も眠っているんだろうか……!
俺の職人魂が、うずき出すのを感じた。
「そして、何より重要なことだ」
レオルドさんは、真剣な眼差しで俺を見据えた。
「これからは、私が君の公的な後ろ盾となろう。息子の……いや、誰であろうと、君の『仕事』を不当に邪魔する者は、この私が許さん」
その言葉は、何よりも心強かった。
ギルドマスターであり、この国で最も権威ある貴族の一人からの、揺るぎない誓い。これで、カインの横槍を、少しは気にせずに済むかもしれない。
レオルドさんは、俺たちが休めるようにと、静かに部屋を後にした。
「……すごいことになっちゃったわね」
リリアが、呆れたように、でもどこか誇らしげに呟いた。
「アラタ様……」
不意に、エリアーナさんが俺の前に進み出ると、その場に静かに跪いた。
「え、ちょ、エリアーナさん!?」
「あなた様のお力は、ただ呪いを解くだけのものではございません。何百年も淀んでいた、歴史そのものを洗い流したのです」
彼女は、涙ぐみながら、確信に満ちた声で言った。
「そのお力は、きっと……」
彼女は一度言葉を切ると、祈るような瞳で俺を見上げた。
「この世界を覆い尽くそうとしている『大地の淀み』から、人々を救う、唯一の希望となりましょう」
世界を、救う……希望。
その言葉の重みに、俺の心臓がずしりと重くなる。
俺は、ただの洗い物屋だ。そんな大それたことができるわけが……。
「まあまあ、そんな難しい話は後!」
俺の表情から不安を読み取ったのか、リリアが明るい声で話を遮った。
「まずは、あんたがしっかり休むのが先よ! 徹夜で戦ったんだから!」
「そうですわ。わたくし、何か温かいものでも淹れてまいりますね」
セナさんも、優しく微笑む。
クロエも、無言でこくりと頷き、俺の枕元を直してくれた。
リリアとセナさんは、俺の顔をじっと見つめている。その瞳には、ただの仲間に対する信頼だけじゃない、もっと熱を帯びた、尊敬と……そして、何か別の感情が入り混じっているように見えた。
(……なんだか、すごいことになっちゃったな)
彼女たちの優しさに、気恥ずかしさと、胸の奥が温かくなるような感覚を覚えながら、俺は内心で呟いた。
家族に勘当され、一人ぼっちで凍え死にそうだった、あの夜が嘘のようだ。
最高の『洗い物』を成し遂げた達成感。
そして、その仕事を信じ、支えてくれる仲間たちの存在。
夜明けの光が、窓から差し込み、部屋を優しく照らしていた。
長い夜が終わり、新しい朝が来たのだと、誰もが感じていた。
この温かい平穏が、ずっと続けばいい。
俺は、心の底から、そう願っていた。
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