第33話 繁盛と、忍び寄る影

「はい、次の方どうぞー!」


 リリアの快活な声が、店の外まで響き渡る。

 俺の店『アクア・リバイブ』は、あの日以来、まさかの超人気店となっていた。店の前には毎朝、開店前から長蛇の列ができ、それをリリアが交通整理するというのが、すっかり日常の光景になっていた。


「アラタ様、次はこちらの『呪われた短剣』にございます」

「……はい、分かりました」


 工房では、エリアーナさんが依頼品を種類別に仕分けし、俺に手渡してくれる。彼女の完璧なサポートのおかげで、俺は浄化作業だけに集中することができていた。正直、めちゃくちゃ助かっている。


「ふぅ……」


 俺は短剣を手に取ると、軽く息を吐いて精神を集中させる。

 【万物浄化】の目で視ると、柄頭に埋め込まれた小さな宝石が、どす黒い呪いの『核』となっているのが見えた。以前の俺なら、短剣全体を浄化エネルギーに浸して、根本から洗い流そうとしていただろう。だが、今の俺には、もっとスマートなやり方がある。


(見つけたぞ、『汚れ』のど真ん中……!)


 俺は右手の指先に、意識を集中させる。

 浄化エネルギーを、針のように細く、鋭く凝縮させていく。

 まるで、頑固な醤油のシミに、専用洗剤を一滴だけ垂らすように。


「《シミ抜き -スポット・クリーン-》」


 俺の指先から放たれた極細の光線が、寸分の狂いもなく、呪いの『核』である宝石を撃ち抜いた。

 パリン、と。まるでガラスが砕けるような、微かな音が響く。

 すると、短剣全体に蜘蛛の巣のように張り巡らされていた呪いの回路が、連鎖的に崩壊し、霧のように消え去っていった。


「お、おお……!?」


 依頼主である屈強な冒険者が、目を丸くして驚いている。


「な、なんてこった……。あれだけ高名な神官様たちが匙を投げた呪いが、たった一瞬で……!」

「はい、終わりました。本来の性能も、これで問題なく発揮できるはずです」

「あ、ありがとうございます、聖人様! このご恩は一生忘れません!」


 深々と頭を下げて去っていく依頼主の背中を見送りながら、俺は内心でガッツポーズを決めていた。


(気持ちいい……! なんて効率的で、美しい『洗い方』なんだ……!)


 『古代樹の雫』のおかげで手に入れたこの新技は、俺の職人魂を最高に満たしてくれた。

 そんな俺の横顔を、エリアーナさんがうっとりとした眼差しで見つめている。


「素晴らしいお力です、アラタ様。その精密さは、まさに神の御業……」

「ひぃっ! い、いえ、そんな大したことじゃ……!」


 美しいエルフに真正面から褒められると、俺のコミュ障ハートは耐えられない。

 そんな俺たちの様子を、カウンターの方から、二対の視線がジトッと突き刺さっていた。


「……な、なによ。あたしだって、アラタのサポートくらいできるんだから! ほらアラタ、お茶!」

 リリアが、ドンッ! と威勢よく差し出したお茶は、なぜか泡立っていた。何の成分が入ってるんだ。


「わ、わたくしだって……! アラタ様、こちらの依頼品のリスト、まとめておきましたわ!」

 セナさんが差し出してくれた羊皮紙は、なぜかインクが滲んでほとんど読めなかった。


(うぅ……気持ちは、ありがたいんだけど……)


 華やかで、ちょっと騒がしい。

 そんな平和な日常が、ずっと続けばいいと、この時の俺は本気で思っていた。


 ◇


 その日の午後。

 ギルドへ情報収集に行っていたリリアが、店のドアをバンッ! と乱暴に開けて戻ってきた。

 その顔は、明らかに不機嫌だった。


「ただいま……」

「お、おかえりなさい、リリアさん。何かあったんですか?」

「……ちょっと、ムカつく噂を聞いただけよ」


 リリアは、カウンターの椅子にドスンと腰を下ろすと、腕を組んで忌々しげに吐き捨てた。


「最近、ギルドで変な噂が流れてるのよ。『国家が浄化を管理する』だの、『王立の新しいギルドができる』だのって」

「王立の……ギルド?」


 俺が聞き返すと、近くで聞き耳を立てていたセナさんが、ハッとしたように顔を上げた。


「まさか……。リリア、その話、詳しく聞かせていただけますか?」

「なんでも、浄化の依頼は、これからは全部その新しいギルドを通さないとダメになるらしいのよ。つまり、あたしたち冒険者が、個人的にアラタに依頼することが、できなくなるかもしれないってわけ」

「なっ……!?」


 その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。

 工房に、重い沈黙が落ちる。


(個人依頼が、禁止……?)


 正直、依頼が殺到してパニック気味だった俺からすれば、少し依頼が減るのはありがたいかもしれない、なんて一瞬だけ思ってしまった。

 だが、すぐにその考えを打ち消す。

 俺が洗うべき『汚れ』は、ギルドを通すような大層なものばかりじゃない。冒険者が個人的に持っている、思い入れのある武具にこびりついた、小さな呪いだってある。

 そういう人たちが、困ってしまうじゃないか。


「……ふざけないでよ! あたしたち冒険者の自由を、国が縛るって言うの!?」

 リリアが、拳をカウンターに叩きつける。

「穏やかではございませんわね……。その噂の出所は、十中八九……」

 セナさんの視線が、鋭くなる。彼女の脳裏には、きっと俺と同じ人物の顔が浮かんでいるのだろう。カイン・フォン・アークライトだ。


「……アラタの、邪魔」


 クロエさんが、ボソリと、しかし確かな怒りを込めて呟いた。

 そして、エリアーナさんは、窓の外を静かに見つめながら、悲しげに言った。


「……やはり、こうなりましたか。あなた様のその比類なき力は、多くの者の、暗い『欲望』をも、引き寄せてしまう……」


 カインの陰謀が、俺たちの知らないところで、着々と進んでいる。

 その噂は、単なる噂では終わらなかった。

 その日の夕方、依頼にやってきた一人の獣人冒険者が、不安そうな顔でこう言ったのだ。


「浄化師様、頼む! 俺のこの斧も見てくれ! 国のお偉いさんたちにアンタを取り上げられちまう前に、今のうちにって、仲間たちと慌てて来たんだ!」


 街の空気は、確実に変わり始めていた。

 俺たちが自由に浄化できる時間は、もう、残り少ないのかもしれない。

 そんな漠然とした不安が、俺たちの心に、じわりと広がっていった。


 ◇


 その夜。

 全ての依頼を終え、俺たちは店の後片付けをしていた。

 昼間の喧騒が嘘のように、静まり返った店内に、エリアーナさんが淹れてくれた薬草茶の香りが、優しく漂っている。

 だが、俺たちの口数は、いつもより少なかった。昼間の噂が、重くのしかかっているのだ。


 その、静寂を破るように。


 コン、コン。


 店の扉が、控えめにノックされた。


「あら? もう閉店時間なのに、誰かしら」

 リリアが、訝しげな顔で扉に向かう。

「すみませーん! 今日の営業はもう終わりで……」


 リリアが言いかけた、その時。

 扉の向こうから、重厚で、聞き覚えのある声が響いた。


「――私だ」


 その声に、俺たちは全員、動きを止めた。


「ギルドマスターの、レオルド・フォン・アークライトだ」

「「「「「ええええええっ!?」」」」」


 俺たちの驚愕の絶叫が、夜の静かな店内に木霊した。

 リリアが慌てて扉を開けると、そこには、フードで顔を隠し、明らかに周囲を警戒しているレオルドさんの姿があった。


「突然すまない。少し、人払いをしてくれないか」


 彼の表情は、いつもの威厳に満ちたギルドマスターのものではなく、何かに深く思い悩む、一人の男の顔をしていた。


「アラタ殿に……極秘で、お願いしたいことがあるんだ」


 彼の真剣な眼差しは、これから語られる話が、昼間に聞いた不穏な噂よりも、さらに深く、そして根源的な問題であることを、確かに予感させていた。

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