第32話 屈辱から生まれる陰謀
◇
王城の一角に構えられた、アークライト侯爵家の執務室。
重厚なマホガニーの机、壁一面を埋め尽くす書棚、床に敷かれた深紅の絨毯。その全てが、この国のギルドを束ねる名門の威光を示していた。
だが、その部屋の主であるべきレオルド・フォン・アークライトの姿はなく、代わりに、彼の息子であるカインが、一人、窓辺に佇んでいた。
「…………」
カインは、ガラスに映る自分の顔を、無表情に見つめていた。
煤で汚れ、屈辱に歪んでいたあの時の顔ではない。今は、いつものように完璧に整えられた、Sランク鑑定士としての顔だ。
だが、その奥底で燃え盛る、どす黒い炎は消えていなかった。
(皿井ィィィ……アラタァァァァッ!!)
思い出すだけで、奥歯がギリリと音を立てる。
あの日の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
自分の予言とは真逆の、奇跡の光。
あの汚物を聖人と崇め、熱狂する愚かな民衆。
そして、自分に向けられた、侮蔑と嘲笑の嵐。
『死を予言した大嘘つき』
『インチキ鑑定士』
投げつけられた罵声の一つ一つが、彼のプライドという名のガラス細工を、粉々に打ち砕いていった。
あれ以来、彼は街を歩くことすらままならない。どこへ行っても、クスクスという忍び笑いと、憐れむような視線が背中に突き刺さるのだ。
「……許さない」
カインの唇から、地の底を這うような声が漏れた。
「絶対に、許さない……!」
あの男のせいで、自分が血の滲むような努力で築き上げてきた全てが、汚された。
アークライト家の名誉も、Sランク鑑定士としての権威も、地に堕ちた。
父、レオルドですら、最近は自分を失望の目で見ている。
「だが……それも、今日で終わりだ」
カインは、窓に映る自分に向かって、歪んだ笑みを浮かべた。
力でねじ伏せられないのなら、権力で縛り上げればいい。
個人として勝てないのなら、国家という巨大な機構で、蟻を踏み潰すように、圧殺すればいい。
「見ていろ、皿井アラタ。お前が次にひれ伏すのは、民衆の前ではない。この僕の、足元だ」
彼は踵を返し、執務室の扉を開けた。
これから始まるのは、復讐のための、そして秩序を取り戻すための、聖戦なのだ。
◇
王城の最奥に位置する、貴族たちのための議場『円卓の間』。
蝋燭の光に照らされた厳かな空間に、王国の中枢を担う大貴族たちが顔を揃えていた。
今日の議題は、ただ一つ。
突如として現れた、規格外の力を持つ浄化師――皿井アラタの処遇について、である。
「……にわかには信じ難い話だ。死の呪物とまで呼ばれた古代遺物を浄化するだけでなく、その祝福で街一つを癒すなど……」
「我が領地でも、あの光の恩恵を受けたという騎士から報告が上がっておる。もはや、彼の力が本物であることは疑いようがない」
「問題は、その力をどう扱うか、だ。あれほどの力を持つ者が、野にいることの危険性は……諸君らも理解できよう」
貴族たちの間で、不安と、そして微かな欲望の入り混じった声が交わされる。
その時、一人の青年が、静かに席を立った。
カイン・フォン・アークライトだ。
「――皆様、ご静粛に」
凛とした声が、議場に響き渡る。
全ての視線が、彼に注がれた。中には、侮蔑の色を隠さない者もいる。だが、カインは意に介さなかった。
「皆様のおっしゃる通り、皿井アラタの持つ【万物浄化】の力は、本物です。私自身、その目で確認しました。あの力は、まさしく神の御業と呼ぶにふさわしい」
カインは、潔くアラタの力を認めた。
その意外な言葉に、議場がざわめく。
「ですが、皆様。だからこそ、危険なのです」
カインの声のトーンが、一段階、低くなる。
「神の御業とは、すなわち、人の身に余る力。出自も定かではない一介の平民が、独占してよい力では断じてありません。考えてもみてください。あの祝福の光は、使い方を誤れば、呪いを広範囲に拡散させる兵器にも転用できるやもしれません。もし、彼が敵国に寝返ったら? あるいは、その力を悪用する輩に唆されたら? この国は、たった一人の男によって、根幹から揺るがされることになるのです!」
カインの熱弁は、貴族たちの心の奥底にある、得体の知れない力への『恐怖』を巧みに刺激した。
「秩序なくして、国家は成り立ちません! そして、規格外の力は、秩序の最大の敵! このまま彼を野放しにすることは、国家の安寧に対する、重大な裏切り行為に他なりません!」
議場の空気が、完全にカインの言葉に呑まれていく。
「そこで、私は提案したい! 国家の威信にかけ、この国に『王立浄化ギルド』を設立することを!」
カインは、高らかに宣言した。
「国が認めた浄化師を登録制とし、全ての浄化依頼は、新設するギルドを通してのみ、受け付ける。そして、皿井アラタをその初代ギルドマスターとして招聘し、彼の力を、我々国家が管理・統制するのです! そうすれば、力の乱用を防ぎ、さらにはその恩恵を国全体へと正しく分配することができる! これこそが、この国を、民を守るための、唯一の道であると、私は確信しております!」
大義名分。
彼の言葉は、全てが国家と民のためを思った、正論に聞こえた。
だが、その真の狙いは、ただ一つ。
アラタの力を合法的に奪い取り、自分の管理下に置くこと。
彼を、国家という名の鳥籠に閉じ込め、二度と自分に逆らえないようにすること。
それが、この陰謀の全てだった。
もちろん、反対意見も出た。
「しかし、それではギルドマスターであるレオルド殿の面目が……」
「民の英雄を、国家が縛り付けるとあれば、反発も大きいのではないか?」
だが、カインは周到だった。
「父は……あの男の奇跡に、少々、惑わされているようです。ですが、アークライト家が国家に忠誠を誓う家門であることに変わりはありません。私情で国益を損なうことなど、父も望んではいないはず」
「反発? 結構。秩序とは、時に痛みを伴うものです。ですが、目先の感情に流され、未来の禍根を残すことこそ、我々為政者の怠慢ではないでしょうか!」
彼の巧みな弁舌と、事前に済ませておいた根回し。
そして何より、貴族たちの心に巣食う「強大な力への恐怖」と「独占欲」が、彼の最大の味方だった。
紛糾した議論の末、空気は、徐々にカインの提案へと傾いていった。
◇
会議が終わり、貴族たちが去っていく。
カインは一人、静まり返った『円卓の間』に残り、その中央に立つ。
彼の口元には、冷たい、歪んだ勝利の笑みが浮かんでいた。
(第一段階は、成功だ)
あとは、王の裁可を仰ぐだけ。
それさえ通れば、皿井アラタは、ただの便利な『道具』となる。
あの忌々しい浄化の力は、全て自分が管理し、意のままに使うことができるのだ。
「待っていろ、皿井アラタ……」
カインの呟きが、がらんとした議場に、不気味に響いた。
「貴様のその力、根こそぎ奪い取り、僕の足元にひれ伏させてやる……。お前のような汚物が、僕のような『本物』の上に立つことなど、この僕が決して許さない」
華やかな日常が続く『アクア・リバイブ』の裏側で。
嫉妬と憎悪に燃える一人のエリートが仕掛けた、巨大な陰謀の歯車が、今、静かに、そして確実に、回り始めていた。
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