転生先が自作の黒歴史小説とか聞いてない! ~残念王国への追放だけは絶対回避します~

猫野 にくきゅう

第1話 転生先は自作の黒歴史

 公爵令嬢リリアンヌ・フォン・シュタインは、頭を抱えていた。

 豪奢な天蓋付きベッドの上で、のたうち回るほどに苦悩していた。


 婚約破棄を突きつけられる前日、前世の記憶を取り戻したからではない。

 自分が「悪役令嬢」であることに気づいたからでもない。


 ここが、かつて私が前世で書き殴ったweb小説の中だと気づいてしまったからだ。


 小説のタイトルは『チン=ポコリン戦記 ~光と闇が交錯する至高の愛憎劇~』。  

 投稿サイトのPV数は「3」。

 一話の閲覧数だけが「3」のまま、それ以降は全く増えなかった。


 青春の苦い思い出。


「よりにもよって、何でこの作品なのよ……!」


 『国名を面白くすれば、きっと笑えるわ』。

 そんな思い付きで書き始めた「一発ギャグ」のような小説。


 まあ、実際――

 書いてる時は、腹を抱えて笑っていた。


 けれど、まさか自分が悪ふざけで書いた世界に転生してしまうなんて!


 私が転生したこのリリアンヌは、明日の断罪イベントを経て、そのふざけた名前の国へ追放される運命にある。


 そして見初められてしまうのだ。

 チン=ポコリン王国の王子様に……。


 もし原作通りに進めば、私は王子と結婚することになる。

 国賓として挨拶するたびに、外交文書に署名するたびに、その辱めを受けるのだ。


「嫌よ! 絶対に嫌!」


 ベッドの上で私は決意した。

 本来のシナリオでは、追放先で素敵な王子と恋に落ち、元婚約者を見返す「ざまぁ」展開が待っている。


 だが、そんなものはどうでもいい。

 私の目的はただ一つ。


 断固として、隣国への追放を回避すること。



 ***


 翌日。

 王宮の大広間。 煌びやかなシャンデリアの下、大勢の貴族たちが固唾を飲んで見守る中、その時は来た。


「リリアンヌ! 貴様がエミリア・ブラウンにした数々の嫌がらせ、もはや看過できん!」


 壇上で叫んでいるのは、私の婚約者であり、この国「デス=ロード王国」の第一王子、グレイトアーサー・デス=ロードだ。

 

 王子の隣には、男爵令嬢エミリア・ブラウンが震えながら寄り添っている。


 彼女は正統派ヒロインだ。

 ピンクブロンドの髪、潤んだ瞳。

 私が設定した通りの「守ってあげたくなる女の子」そのものだった。


「貴様が行った悪逆非道の数々! エミリアの上履きを隠し、教科書の端に落書きし、さらには彼女の前で無意味に高笑いを続けたこと、知らぬとは言わせんぞ!」


 会場がざわつく。


(そこは原作通りね。話の内容も思い出してきたわ)


 本来のシナリオなら、ここで私は「身に覚えがございません!」と白を切り、王子の怒りを買って国外追放が確定する。


(ここで、運命を変えてやる!)


 グレイトアーサー王子が息を吸い込む。

 次に来るセリフは決まっている。「よって貴様との婚約を破棄し、国外追放とする!」だ。


 それを言わせてはいけない。


 私はドレスの裾をつまみ上げる。

 そして――


「申し訳ございませんでしたああああ!!」


 土下座をして謝った。

 額を床に擦り付け、許しを請う。


「……は?」


 王子がマヌケな声を出す。


 ホールに響き渡る静寂。

 王子も、ヒロインのエミリアも、周囲の貴族たちも、見たこともない土下座という謝罪方法に言葉を失っている。


 土下座は暴力だ。

 有無を言わせぬ迫力が、そこにはある。


 事実関係を争う気はない。

 何しろ私は、本当に(設定上)手ひどい嫌がらせをしていたのだから。


「私が全て悪うございました!」


 私は演技でも何でもなく、涙ながらに絶叫した。

 追放されたくはないのだ。


「どうか、どのような罰でも受けます! 死刑でも、鞭打ちでも構いません! ですから、追放だけは! 国外追放だけはご勘弁ください!」


 グレイトアーサー王子が後ずさる。

 彼は設定上、基本的に頭が悪い。予想外の対応に完全に調子を狂わされ、高圧的な態度を維持できていないようだ。


「み、見苦しいぞリリアンヌ! し、しかし、そこまで反省しているというなら……」


 揺らいだ。

 いける。


 私は勝利を確信する。


「……あの、グレイトアーサー様……。リリアンヌさんは、きっと魔が差しただけなんです……」


 その時、鈴を転がすような声が響いた。


 エミリアだ。

 彼女は潤んだ瞳で王子を見上げ、私の肩に優しく手を置いた。


「もう十分です。彼女はこんなにも深く反省しています。このような壮絶な謝罪までして……。私、もう許してあげたいです」


(エミリア……!)


 なんと良い子なのか。

 さすが正統派ヒロイン。


 悪役令嬢の私を庇うその姿は、後光が差しているようだった。彼女の純粋な心に、私の薄汚れた計算高さが少しだけ痛む。


 エミリアの言葉に、グレイトアーサー王子はバツが悪そうに場を収めた。


「……エミリアがそこまで言うのなら、仕方あるまい」


 王子はコホンと咳払いをして、高らかに宣言した。


「分かった。国外追放は取り下げる。その代わり、貴様は公爵家から勘当。この王宮で、一生メイドとして働き罪を償え!」


 メイド。

 一生、平民としてこき使われる身分。

 普通なら屈辱的な転落人生だろう。


 私は顔を上げた。

 涙で濡れた顔で、しかし心の中では満面の笑みでガッツポーズを決めた。


(やったー! 追放回避! さようなら、チン=ポコリン王国! これからは平穏なモブキャラ生活が待っている!)


 私は深く頭を下げた。


「有難き幸せにございます!」


 その声は、これ以上ないほど晴れやかだった。



 ***


 リリアンヌが、メイドとしての新生活に胸を躍らせていた頃。

 隣国、チン=ポコリン王国の王城の一室にて。


 一人の青年が、報告書を片手に眉をひそめていた。

 窓から差し込む月光が、彼の整った美貌を照らし出す。


「……ほう。デス=ロード王国の公爵令嬢が、婚約破棄の末にメイドに落とされた、か」


 彼は報告書を机に置くと、不機嫌そうに口角を下げる。


「……運命が、歪んだ音がする」


 彼は立ち上がり、窓の外、隣国の方向を見据える。


「待っていろ。不当な扱いを受ける哀れな令嬢よ。この私が、必ず救い出してやるからな」


 リリアンヌの知らぬところで――

 彼女が回避したはずの「運命」が、動き出そうとしていた。

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