第8話「心労困憊 セシル・フロウレル」
夜、ギルドが閉まる直前に、1人の女性が相談課のカウンターを訪れた。
「こんばんは……。まだ大丈夫でしょうか」
「ええ、構いませんよ。そちらにおかけください」
女性は淡い金髪を肩の下まで伸ばし、後ろで軽くまとめている。
落ち着いた青灰色の瞳で、優しい表情だが疲れがにじんでいた。
「その、大したことではないんですが、話を聞いてほしくて……」
「はい。私は相談課職員のノードと言います。どうぞ気兼ねなく話してください」
冒険者ライセンスを提示してもらい、確認する。
セシル・フロウレル。20階級【ヴィンテ】。
冒険者登録は半年前。
穏やかな声は、しかしどこか張りつめていた。
大したことではないと言うが……おそらく、大したことだ。
「セシルさん、随分お疲れのようですが……」
「あ……はい。やはり、わかってしまいますか……」
セシルは肩にかけた荷袋の紐を握りしめる。
「最近、なんだか疲れてしまって」
「その様子ですと、疲れの原因もわかっているようですね」
こくりと、小さく頷き。しばらく迷ってから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「わたし、パーティの雑務を……ギルドとのやり取りや、依頼の現地の人との調整……後始末も、気付けばいつも引き受けていて。なにか揉めごとがあれば間に入ったりも……」
「セシルさんが1人で……?」
返事の代わりに視線を下げ、指先に力がこもる。
「最初は“役に立てている”って思えて嬉しかったんです。でも……だんだん、つらくなってきて……。最近は断る理由を探そうとしてしまうんです。断ることなんて、できないのに」
「なぜ、断ることができないと?」
「それが……わたしの役割で、わたしがやらなきゃ、パーティが回らない……から……」
言葉を詰まらせ、俯いてしまう。そしてカウンターの上に、涙がこぼれ落ちた。
「でも……もう無理……って声が、頭の中で消えない……」
セシルは顔を上げ、
「ノードさん。断ろうと思うのも、無理だと感じるのも、わたしが怠けているからでしょうか? もっとがんばらなきゃ、いけないんでしょうか……」
俺は目を見開き、息を呑んだ。
彼女の顔は、まるで死の宣告を待つような怯えた表情だった。
「っ――怠けている? セシルさんが? ……とんでもない! むしろがんばりすぎですよ!」
その言葉を聞いた瞬間、セシルの緊張が緩み、大きく息を吐く。
「そうですか……そう見えましたか……」
これはマズイ状態だな……自分を追い詰め過ぎだ。
彼女はそのまま言葉を続ける。
「ずっと……“みんな喜んでる”“これがわたしの役目だ”って言い聞かせてました。がんばれば、まだできるんだって。
でも最近は、朝起きるのもつらくて。冒険者ギルドに向かうだけで、胸がぎゅっとなって……こんなの情けない、みんなに迷惑かけるって、自分を責めてました」
「そんなことありませんよ。さっき言ったように、セシルさんはがんばりすぎです」
「がんばりすぎ……」
少しだけ柔らかい表情を見せたが、すぐに目を伏せてしまう。
「自分でもそうかなって、思ってはいたんです。けど自分で思うのは違うかなって……言い訳じゃないかなって。だから……誰かにそう言って欲しかったんですね、わたし」
彼女は顔を上げ、震える声で尋ねる。
「でも、もしがんばりすぎなら……わたしはどうしたらいいんでしょう。パーティは……どうすれば……?」
パーティの事情、セシルの状態。どちらもだいたい把握できた。
ここからが正念場だ。しっかり彼女のケアをしなければ。
「パーティの雑務は断ってしまいましょう……と言いたいところですが、それができていれば苦労はしませんよね。
ですがセシルさん、おそらく仲間は、断られてもそれほど気にしないと思いますよ。あなたががんばっていることは、きっと知っているはずです」
「そうでしょうか……」
「たとえ断るのが難しくても、そう思うだけでも違いますよ。もしもの時は、断っても問題ないと」
「もしもの時……ですか」
「はい。その考え方が、あなたの『逃げ道』になる」
セシルは口の中で小さく“逃げ道”と、噛みしめるように呟く。
「……不思議です。まだなにかしたわけじゃないのに、わたしには逃げ道があると考えると……少し、胸が軽くなりました。でも……」
「……まだ不安ですか?」
「はい……みんなの期待を裏切るのが、怖いです」
「わかります」
ちらっと、受付側に目を向ける。
俺のスキルのことは一部の人しか知らないが、みんな俺の判断を信じ、期待してくれていた。
それなのに――3年前のあの日、俺はその期待から逃げ出した。
「でも安心してください。裏切られたとか、がっかりされたりとか、自分が思っている以上に、されないものです」
「がっかり、されない……? そうなんですか……?」
「むしろ、無理をさせてたんじゃないかって心配するんじゃないですか? 仲間のことは、あなたの方が詳しいはずですが」
セシルはすぐには返事をせず、視線を落としたまましばらく沈黙する。
「……確かに、そうかもしれません」
ゆっくりと顔を上げる。
その表情は、さっきよりもほんの穏やかになっていた。
「わたし、すぐに断ることはできないかもしれないけど……全部引き受けなくてもいいんだって、自分に言い聞かせてみます」
「はい。それがいいと思います」
「ノードさん……今日は本当にありがとうございました」
セシルは頭を下げ、立ち上がろうとする。
「ああ、待ってください。まだ続きがあります」
「え? なんでしょうか……?」
「セシルさん。この街の端に、ギルドが管理している療養施設があるのは知っていますか? 冒険者や職員なら有料で使えます」
「療養施設ですか……知りませんでした」
「そして、相談課が必要だと判断した場合、その冒険者に無料で使ってもらうことができます」
「はぁ……」
「セシルさん、あなたはその療養施設に入ってください。これは本気で言っています。あなたの状態は、それほどひどいのです」
「え……えぇ? い、いえ、そこまでじゃ……。怪我もしてませんし、動けないわけでも――」
驚き、戸惑い――しかし俺の真剣な目を見て、ことの深刻さを悟っていく。
「……わたし、そんなに……?」
「はい。正直、先ほどの話だけでは……パーティに合流しても、やっぱり断れなくてつらい気持ちが積もっていくでしょう」
ここまでのやり取りで、心を少し軽くすることはできた。
だけどそれは今だけ。
おそらく、さっきまでの追い詰められた状態にすぐに戻ってしまう。
「ですので、最低3日以上、できれば1週間は施設で休養してください。ゆっくり心と体を整えましょう」
「で、でも……その間パーティのみんなは……」
「あなたがいなければ、仲間の誰かが雑務をするでしょう。……いいですか、セシルさん。これはあなたが休息を取り、仲間があなたの大変さを知るいい機会です」
「わたしの、大変さ……」
セシルはそれでもまだ不安そうに、こちらを見る。
「わたしがいなくても、パーティが回ったら……わたしは、不要に……」
「なりませんよ。むしろ泣きながら謝って、復帰を喜んでくれると思います」
「……あっ……」
彼女の顔がくしゃっとなり、涙がこぼれだす。
「わたし、本当に弱いですね……そう言ってもらえて、やっと……安心できるんですから」
「そんなことありませんよ。きっと、誰だってそうです」
自分ひとりじゃ、立ち直れないことはある。
誰かの手が必要な時もあるんだ。
「ノードさん、改めてありがとうございます。わたし、療養施設に入ります。しっかり休んできますね」
「はい。……セシルさん。あなたと仲間は、この休息で気付くはずです。あなたがすべて負担する必要はない。分担することができる。
それができてこそ、本当のパーティなんですから」
「……本当の、パーティ……」
その言葉を胸の中で繰り返すように、深く息を吸う。
「……そっか、誰か1人が全部やることで成り立つパーティは、すごく脆い形ですよね。どうして、そんな簡単なことに気付けなかったんだろう……」
顔を上げたその表情には、静かな納得があった。
「わたしもわたしです。もっと、仲間を頼らなきゃ……本当のパーティと言えない。戻ったとき、少し気まずい部分もあると思いますが、それでも……みんなとちゃんと話し合います」
「ええ、それがいいと思います」
セシルは立ち上がり、深く一礼する。
「ノードさん。わたし、ちゃんと休んで、“一人で抱え込まない冒険者”として、戻ってきますね」
「はい。復帰をお待ちしていますよ」
セシルは療養施設に入るため、そのまま受付の方に説明を受けに行った。
「結構、ギリギリだったな……」
限界を超えてしまい、心に傷を負ってしまったあとだったら……さすがに俺の手には負えない。休養ではなく、本格的な治療が必要になっただろう。パーティもどうなっていたか。
俺は、あんな風に追い込まれたわけじゃないけど……。
自分1人で背負って、どうにも行き詰まって、自暴自棄になりかけていたところを、ギルド長に拾ってもらった。
そしてそんな俺が、こうやって冒険者の手助けができている。
誰かの手を借りて立ち上がることは、悪いことではないのだ。
この先なにがあっても、それだけは忘れてはいけない――。
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