第3話 国外逃亡計画

 目が覚めた瞬間、胸の奥がふっと軽くなるような、やけに澄んだ朝だった。まるで昨日までの騒ぎが全部、嘘みたいに思えるほどに。


 ぼんやりと身を起こした僕に気づき、大柄なジャックが「小僧が目を覚ましたぞ」と、周囲を起こすように車内の壁を軽く叩いた。


 その声に続いてレックスが寝袋から体を起こし、「起きたかパンピーボウイ」と、相変わらず馬鹿にした調子で言ってくる。胸の奥がちくりとするくらい、嫌な言い方だ。


 そんな空気の中、睡蓮が儚げな表情で口を開いた。


 「橘君は今からこの日本を出てアメリカの本部まで君を連れて行く。言っておくがこれは命令だ。拒否権はない」


 その真剣な声音に、僕は少し距離を置くようにして「わかったよ。行けばいいんでしょ、行けば」と答えた。


 睡蓮はすぐにジャックへ向き直り、「飛行機は何時出発だ」と問いかける。


 ジャックは眉間に皺を寄せ、「5時間後だ。それまで奴らが襲ってくる可能性は十分にある。気を引き締めろ」と、静かに緊張を帯びた声で言い放った。


 さらに睡蓮が「この車、どれぐらい飛ばせる」と尋ねた瞬間、僕は思わず心の中で“そんなことしていいのか”とツッコミたくなる。


 僕と同じ思考に至ったのか、レックスが慌てたように声を荒げた。


 「勘弁してくださいよ姐さん。ここは日本だぜ? うちらの国みたいに計らいは一切聞かない。ましてや相手はテロリストときたもんだ、何仕掛けてくるか分かったもんじゃない」


 僕はおそるおそる口を開く。


 「あの質問よろしいでしょうか……なんで僕、狙われてるのでしょうか」


 すると三人は、ほぼハモるようにして同じ言葉を返してきた。


 「なんでだ?」


 思わず心の中で“わからんのかい”とツッコミを入れたくなる。


 「てっきりレックスさんが禁術のことを知っていたから、把握していたのだと思いました」


 僕の言葉に、レックスは一転して真剣な表情を浮かべた。


 「待て。禁術ってなんだ? もしかしてお前、禁術になんか関係しているのか」


 その鋭い視線に、僕は“あ、これ地雷踏んだ”と悟りつつ、「いえ」と、言葉をしぼり出す。――していない。少なくとも、知るはずもなかった。父が死ぬまでは。


 アストランティア、助けてくれ。

 そんな弱音が喉まで込み上げる。


 しばらくこちらを見つめていたレックスは、やがて小さく息をついた。


 「よし。嘘はついてないみたいだ」


 その瞬間、僕は腰が抜けそうになり、シートに倒れ込んだ。


 その空気を断ち切るように、睡蓮が横から静かに口を挟む。


 「お前のことはアーベラ本人から直接聞いている。何も心配することはない」


 そう言って僕の肩をそっと叩く。その仕草は驚くほど優しく、目つきだけは誰よりも真剣だった。


◆◆◆


 揺れる車内の中、私はひとり考え込んでいた。――彼に、あの“50年前の出来事”を話すべきなのか。


 「あの、何か考えごとでも」


 不意にかけられた声に、胸が跳ねる。だが話せるわけがない。心の奥にしまい込んだまま、私は短く返す。


 「いや、何でもない」


 彼は好奇心が強い。まだ兵士として戦場に立つ年齢ですらないのに、命を賭して戦えだなんて、とても言えるはずがない。ましてやあの50年前の出来事なんて口か裂けても言えない。

 それでも――こんな無茶な話を持ち出すのは、どうせあのゲボカスが考えそうなことだと、妙に納得してしまう自分がいる。


 「あのクソ女……」


 思わず口から漏れた独り言に、彼は少し首を傾げた。


 「小鳥遊さんは、アストランティアさんのこと、かなり恨んでるみたいですね」


 そう言われて、私は頭を抱え、深いため息をつくしかなかった。


 「ああそうだなアーベルは昔から余計なことしかしない体質でな今では排除対象になっている」


 一方で、彼の方はというと、そんな私を見つめながら、どこか不思議そうにしていた。


 (僕の恩人を傷つけた相手なのに……どうしてだろう。なぜか、この人のことは信用できる気がしてしまう)        

 

 「そのアーベルさんから契約の内容とか聞いていないですか」


 そんな空気の中、運転席のジャックが突然、鋭い声で叫んだ。


 「伏せろ、お前ら!」            


◆◆◆


 突然、車の屋根が轟音とともに吹き飛んだ。裂けた金属の隙間から吹き込む風が、この状況がもう“事故”では済まないことを嫌でも知らせてくる。

 運転席のジャックが怒鳴った。


 「お前ら生きているか! 生きてるなら武器を持て、敵が来た!」


 視線の先では、軍服の皮を被った――だが明らかに軍ではない――武装集団が、獲物を囲い込む狼のようにこちらへ迫ってきていた。


◆◆◆


同じ頃。

 赤と黒が支配する部屋は、薄暗く知性と狂気が同居する“実験室”のようだった。壁一面には机以外何もなく。その中心に座す男――アーランド――は、その全てを支配する絶対者というより、混沌を楽しむ狂った人間に近かった。


 彼は銀のフォークで分厚いステーキを切り刻み、その赤い肉汁をまるで標本を観察する学者のような目で眺めてから、舌でねっとり味わいながら言った。


 「どうしたのかね桑田君。まだ朝食を食べてる途中だぞ」


 穏やかな声音なのに、どこか語尾に湿った狂気がしみついている。

 桑田は、主の笑みの奥にある“冷たい何か”に触れた気がして、喉を鳴らしてから報告した。


 「先ほど標的を発見いたしました」


 その瞬間、アーランドの指先がぴたりと止まる。

 次の瞬間、長い腕がしなるように伸び、机上の皿を乱暴に薙ぎ払った。

 散った肉片は彼の足元へ転がり、まるで“不要になったサンプル”のようだった。


 「それは本当なのか」


 問いかける声は低く、恐ろしく静かで――その静けさこそ、本物の脅威だった。


 「誠に事実でございます、アーランド様」


 そう告げると、アーランドの瞳がぎらりと光る。

 その目には、学術的興味、異常な執着、そして獲物を dissect(解剖)する前の悦楽が宿っていた。


 「見つけたぞ、モルモット。今度こそひっ捕らえてやるぞ、ひゃーはははは!」


 笑声は高く、長く、そしてどこか知的な旋律を帯びていた。

 論理と狂気が混ざったその声は、部屋の赤黒い壁に反響し、まるで“破滅の実験”の開始を告げる鐘のように響き渡った。


◆◆◆


 「この数はちとまずいなレックス、睡蓮はまだ先の戦闘で装備を整えられていない――今、万全の状態でこの坊主を安全に空港まで連れて行けるのはレックスお前だけだ。頼んだぞ」


 焦りをにじませながらジャックは吐き出すように言う。


 「おい、睡蓮戦えるか」


 その問いに応じて、睡蓮はボロボロになった刀を引きずり、もう片方の手に短刀を握りしめて一歩前へ出た。


 「問題ない。殲滅だ」


 その自信に満ちた表情を見て、ジャックの肩からほんの少しだけ緊張が抜けた。


 「おい坊主、本部に着いたら言ってくれ。俺たちは少し遅れると」


 続いて睡蓮が鋭い声音で告げる。


 「私が道を切り開く。その間にお前は駆け抜けろ。二十キロ離れた先に空港行きのターミナルがあってた筈だ。そこまでそいつを抱えて走り抜けろ」


 言い終えると同時に、睡蓮の気配が一気に戦闘用へと切り替わる。レックスもまた普段のふざけた調子を捨て、剣呑な目つきで僕を見る。


 「抱えるって、どう抱えるんだ」


 「そんなの決まってるだろ」


 レックスは当然のように僕の身体を肩へ担ぎ上げた。視界が一気に跳ね上がる。             

  

 「気合れろパンピーボウイ」


 ムッときたが、それ以上に――この極限状況を冷静に裁く彼らの姿に、思わず胸が熱くなった。


 「少し速いかもしれないから舌噛むなよ」


 次の瞬間、レックスは全魔力を両脚に集中させる。


 「ビートビートビート!」


 地面が砕けるような衝撃とともに、彼の身体が弾丸のように前へ跳んだ。走り出す直前、ジャックに向かって短く言い残す。


 「死ぬなよ」


 一直線に駆け抜けるレックス。その背後で、焦ったテロリスト集団が「追え、お前ら!」と怒号を上げるが――。


 しかし、彼らが踏み出した先には睡蓮がいた。


 たった一閃。

 叫びも、反撃も許さない。

 ――睡蓮は追跡者全員を、瞬く間に返り討ちにした。


◆◆◆


 僕は役立たずだ――そんな思いが胸の奥でじわじわと広がっていく。結局、他人の背にしがみついて運ばれているだけ。自分の無力さが自己嫌悪に変わり、胸が苦しく締め付けられた。


 「……あいつら、バスジャックとかしないですよね」


 不安を抑えきれずに漏らすと、レックスはわずかに顔をしかめて答える。


 「わからん」


 その瞬間、レックスの足が鋭く停止した。背後を振り返る気配と同時に、低く吐き捨てるような声がこぼれる。


 敵が数十人ほど固まって立っていた。彼らは予想外の遭遇だったのか、「待機班の俺らがなんで……」と動揺の声を上げている。


 「……やっぱりそうなるか」


 レックスの声に覚悟が宿る。次の瞬間には、彼の雰囲気が完全に戦闘用へ切り替わった。


 「おい雑魚ども、今すぐ道を開けろ」


 低く鋭い声。普段の軽さは微塵もない。その迫力に、前方のテロリストたちは目を泳がせ、恐怖を隠すように慌てて銃を構える。


 ――0.1秒。


 ただそれだけの時間が過ぎた瞬間には、敵の影は一人残らず地に伏していた。

 レックスの踏み込みが、風より速く、雷より鋭く、一帯を薙ぎ払ったのだ。


 直後、空に不吉な影が差し込む。複数のミサイルがこちらへ一直線に迫っていた。


 僕はレックスの肩の上から空を指さし、叫ぶ。


 「上!」


 呼吸を一気に整え、体の奥底から魔力を絞り上げる。放たれた爆撃魔術が光の柱となって天へ伸び、飛来するミサイルをまとめて撃ち抜いた。


 「やるなパンピーボウイ」


 満足げな声を残し、レックスは再び僕を肩へ担ぎ直す。


 そして――。


 地を蹴る音が爆ぜた。


 景色が一気に後方へ流れ去る。

 凄まじい加速とともに、レックスは再び一直線の軌跡を描いて走り出した。


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