🌙月

 下弦の月が低く夜空に浮かぶ静かな夜。シューマン共振が振動を断ち、私は連日睡魔に襲われていました。地球が混沌の渦を起こし、洗濯機のなかで水に囲まれ、深くもぐるような日のことでした。


 スマホが震え、手にすると娘ふたりの写真がチラリと見えました。同級生の元夫からの連絡でした。相談事があるんだが、と言いよどみました。


『時間ええかな?』

「いいよ」

『丘のうえのハンニバル・レクターに、相談したい』

「聞こうか」

『愚痴になるけど』

「書くよ」

『まあええよ』


 友人の娘ハナコの話でした。娘は借金に窮し、元夫の取引先社長にまで金の無心をしていました。元夫はすで数百万を貸しつけ、雇用主兼スポンサーとして彼女の労働力と生活を握っています。社長には「金を渡さないで」と釘を刺したそうです。


 彼女は日本全国を巡り、推し活をしていました。先日、仕事のシフトを放り出し、何日も連絡が途絶えたと聞きました。一部始終を聞き、病気だなと思いました。


『俺は怒ってへんし、金が返せんときは待つからなって何度も言うたわ。報告ないのが一番困る』

『なるほど』


 家族環境は、大柄なスポーツ万能な夫婦、仕切り上手な夫、スラリと可愛らしく呑気な奥さん、という組み合わせ。家庭で罵詈雑言、暴力が当たり前とのことです。


 三人兄弟の末っ子が、問題の娘ですが、暴力にさらされ、逃げ上手で口達者。一見、やり手風に見える話ぶりで、ハキハキと動きも素早い。弁当屋のリーダー職を与え、家も与え、駅のスポット販売を任せました。借金については、父親である友人にも伝えたが、あいつは馬鹿だからと言い、怒られるのはわかっているから、娘は実家には寄りつかない。


 ハナコについて話がある、と金の無心は断った社長から連絡がありました。

 元夫は先回りして友人の奥さんに打診したが、「社長からは借りていない。カードの請求はある」と、事態の重大さに気づいていない様子。


 ままよ、と社長に連絡すると、新たな問題が。今回辞めるスタッフのおばあちゃんが、ハナコらに厳しく詰められ、さらに悪いことにハナコは彼女からも、多額の借金をしていたと告発されたのです。「退勤して訴えるらしい。これをどう解決する?」と問われたのでした。


『どう思う?』

「精神病院一択だね」

『ここまできて、それかい』


 推し活が原因で借金が止まらない。ホストにハマる姫や、ドラッグと同じ。

 ホストでナンバーワンになるような人は、普通の人間ではないの。ものすごく大きな穴が空いて、ブラックホールみたいに吸い込む。似たタイプの人を惹きつける。見ている分にはいいけど、人じゃない。生きてるドラッグだね。


 それで、お金じゃぶじゃぶ使って、それでも欠落感は消えない。モラハラのお父さんがいるなら、相当の切り替えができないと、弱い人に力を行使するかもしれないね。


 今ハナコさんは、穴のなかにいる。言葉は、1ミリも届かない。華やかな明るい方へ向かうけど、妄想の世界、日常を反転して闇にしてる。依存症、かな。専門家を頼って、断酒会みたいなプログラムを家族ぐるみでやらないと、変わらないんじゃないの。

 

 リアルを生きてないでしょ。親が、現状を認識して病院にでも放り込んで隔離しないと変わらないところまで来ているのでは。唯一の光が推し活なら、薬を断たないといけないけど、誰もそこを指摘しないし、怒るだけで、根っこの問題を見ないよね?

 家族の問題は、一番弱いところに出るんだよ。


『そうか。ちょっと刺さったわ』

「ところで、相手は、なんて言うグループ?」

『聞いたことないわ。女の子のグループらしいな、三組いる』

「気持ちの昇華のための活動かもね。アイドルを自分に置き換える。アイドルは太陽、自分は、月」

『消化ってなんやねん』


 スマホの向こうで、笑っているような気配。

 ……私は、彼女を同情する立場ではない。でも、一応言っておく。


 消化じゃない、昇華。ネガティブな感情を、ポジティブな行動や活動に転換すること。心理学でいう『防衛機制』だね。

 あちこちから借りた借金が、無意識下で相当ストレスになってると思う。今の仕事は指導や、指示する立場で、重めの仕事。未来も見えない。推し活で身を捧げることが、自分が輝くことに置き換わってる。


「だから、ハナコ両親を説得して、専門家の指示を仰ぐといいと思う」

『そうか……じつは、さっき、その嫁さんから連絡があってな。ハナコがこっそり家に帰ってきて、へそくりくすねて走って逃げたらしいんや。「捕まえろ」って、父親が暴れて、晩飯と皿が散らばってるんやて』

「隔離一択だね。放置しようとしてる君は、ある意味サイコパス。いつから、自分が正常だと思ってた?」

『いやいや、こんだけ手を尽くしてるのに、なんで俺が悪者よ?』

 と、ため息。


「良かれと思って、本人たちの問題を先送りさせてると思う。任せる仕事だけど、負担ありすぎじゃない?」

『仕事は、できてるで』

「今、彼女の脳みそはね、借金の算段でリソース半分以上は持っていかれてるよ。どんなにコミュニケーション上手の天才でも、苦しくなる。心理用語でイネイブリングって言うんだけど、問題を肩代わりせず本人に戻す。専門家に連絡。落ち着いて考える時間を、与えるって言うのがいいと思う」

『そうやなぁ。ちょっと考えるわ』

「さて。丘の上のハンニバル・レクターからは、以上です」


夜風が抜けていく丘のうえで、すべての人に穏やかな朝が来ることを願った。



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丘のうえの魔女。(2200文字・カクヨムコン11短編)♯8 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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