悪役令嬢の献身

夏野

第1話

序章

《物語は突然に…》

  -1-

 

 「レイチェル・ウィニード!僕は警告した筈だ!君が改心しないのなら、僕達の婚約は破棄すると!

 それなのに君は変わらなかった!僕にも我慢の限界というものがある!今日を以て、君との婚約は破棄させてもらう!」


 大々的なパーティーでは無いとは云え、それなりに身分の高い者が出席している。突然始まったこの茶番劇の行方は、明日にも市井の隅々まで噂が飛ぶだろう。

 ホールの真ん中で、高らかに声を発したのは このラスクエア王国、王妃の息子である ジェイク・ラスクエア 十七歳だ。その隣に寄り添うように立つのは金髪に桃色の瞳を持つ可憐な少女、ユリア 十五歳だった。その細い右腕は白い包帯に覆われている。


 そして向かいに立つのは、ジェイクの婚約者であるレイチェル・ウィニード公爵令嬢 十六歳だ。タイミングが悪い事に彼女は直ぐに反論が出来なかった。沈黙をもって罪を認めたとジェイクが判断し、ユリアを伴ってパーティー会場から退出してしまう。辺りには ヒソヒソ声を隠す気もない貴族達が、口々に在らぬ噂をでっち上げる。他人の不幸は蜜の味、誰もレイチェルを心配する者は居なかった。

 そもそも、声を掛けられたとしても、呆気に取られているレイチェルには 反応する事が出来なかっただろう。彼等はレイチェルが否定しなかった事で、”ユリアを階段から落とし怪我をさせた” のは事実、と信じてしまったのだ。


 ホールの真ん中に残されたレイチェルは唖然としていた。

 それは、これまでの人生の中で、既視感や違和感を感じながら過ごして来たレイチェルにとって、第一王子ジェイクが放った言葉は、決定的なものであった。

 

 (これは――…!間違いないッ この場面は、乙女ゲーム『真実の愛の行方』の悪役令嬢が断罪されるシーン…!)


 そう、と気付いてしまえば、どうして もっと早く思い出さなかったのかと口惜しくなる。後から後から記憶が蘇り…どうやらレイチェルとして生まれる前に、別の世界で生きていた頃、夢中でやっていたゲームの世界に転生してしまったらしい。

 それも、ヒロインでは無く、当て馬であり、かませ犬でもある 物語の賑やかし、悪役令嬢として、だ………!


 せめて、もっと早く思い出せれば、何とか やりようもあったのに、よりにもよって、この修復不可能な断罪シーンで覚醒するとは ついていない。

 レイチェル・ウィニードは公爵令嬢だ。家名の高さも然る事ながら、他の令嬢を押し退けて『第一王子の婚約者』の身分を手に入れられたのは、彼女が神の祝福を与えられた『癒し手』で、光魔法の浄化を使う事が出来るからだった。しかし、その地位を傘に着て、我儘三昧な暮らしを送る内に、市井で『癒し手』に目覚めた少女が見つかる。彼女の名は ユリア。直ぐにスカイラー伯爵の養子となり、権力を握りたい伯爵によって、ユリアは王宮に出入りする事になる。

 そして ”攻略対象者” である第一王子ジェイクと親睦を深める。その姿に焦りを感じたレイチェルは、ユリアに様々な嫌がらせをして ジェイクの心象を悪くし、遂に自滅する。


「レイチェル…」

 ホールに立ち尽くすレイチェルの肩に ソッと手を触れ、出口へと促すのは、実の兄アーサーだった。そしてレイチェルは ふらつきながらパーティー会場を後にした。



 -2-


 混乱と後悔の中でベッドへ入った割に、グッスリと寝たレイチェルに待ち受けていたのは『勘当宣告』だった。

 朝食後、父親に書斎に呼びつけられたレイチェルは、長々しいお説教にひたすら耐え、「今すぐに辺境伯の所へ行け!」の言葉に、二の句が継げなかった。


 レイチェルを溺愛し、我儘娘に育てたのは 貴方にも責任があるのでは無いか、それなのにこうもアッサリ手を切るなんて、人間性を疑う。しかし、王宮入りが難しくなってしまったのは間違いない、あの剣幕では ジェイクは本当に婚約破棄するだろう。父親の計画が 木っ端微塵に砕けたのはレイチェルのせいでもあるので、軽く謝罪をした後、レイチェルは部屋へと戻り、侍女に簡単な荷造りを頼んだ。

「お嬢様…本当に、出て行かれるおつもりですか…?」

 侍女アンナの心配気な瞳に、レイチェルは頷いた。


「ここで意地を張っても、事態は好転しないわ。ひとまず反省を行動でみせて…。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていましょう。その内、呼びに来てくれる筈だわ。」

 なんと言っても、レイチェルは左手の甲に 桜の花の痣がある、誰もが喉から手が出る程欲しい れっきとした『癒し手』なのだから。

「そうですか…ですが、旦那様が言う『辺境伯』がハード公爵であられるなら…事は重大かと…」

「…”呪われた公爵” か…」

 侍女の言葉に、レイチェルも ふと考えこむような仕草をみせる。


 ”呪われた公爵” という不名誉な異名を持つのは、王弟殿下の一人息子 レオン・ハード公爵 二十歳だ。彼は十六歳で政略結婚をしたが、翌年、妻が子を産むと、辺境の城に異変が起き、妻は天へと召されてしまい、レオンと息子のリックは 何とか一命を取り留めた。しかし美しかった黒髪は色が抜け落ち白髪となり、瞳も薄い灰色になった。それを ”呪い” だと噂がたち、辺境伯の城には人が近付かないらしい。

 傍によると ”呪われる”と……。


 レオンの父である王弟殿下は、この国が魔王の危機に晒されている時に大活躍した英雄だ。その魔王の恨みが、呪いとなって息子に降り掛かっているのではないか、と まことしやかに囁かれている。かつての英雄様は、動けない息子の為に特効薬を探して諸国を巡る旅に出た。レイチェルの嫁ぎ先がこんなに突然決まったのには、ウィニード公爵の目論見がある故だろう。

 出来れば王宮入りをさせたかったが、それが叶わないなら、力のある英雄殿下に恩を売るのも悪くない。レイチェルが『癒し手』である限り、嫁ぎ先はいくらでもある。ウィニード公爵は、出来るだけ高値で希少な娘を売りたいのだ。


 ワザとゆっくり支度をしたのだが、使用人もオロオロするだけで、誰も引き止めに出て来ない。レイチェルを溺愛しているうちの一人である兄でさえ、肩を竦めて見送った。それ程に、王家との婚姻は絶望的なのだろう。

 ユラユラ揺れる馬車の中でレイチェルはため息をついた。ユリアあの女が腹立つのは間違いないが、実はレイチェルは、言う程 酷い嫌がらせはしていないのだ。

 そもそもレイチェルは公爵令嬢と云う、動かざる高い地位に居て、伯爵家の養子とはいえ 元庶民の子供なんかをライバルしする気など無かった。目につく無作法な行儀作法には、嫌味な言い方で叱ったりしたが、突き飛ばしたりだとか、虫を仕込むだとか、そんな事はした事がなかった。


 ユリアが右腕に白い包帯を巻いていたが、あれにも思い当たることは無い。

 全くの濡れ衣である。

 しかし、あの場で直ぐに反論出来なかったのは痛手だ。それどころでは無かったのだから仕方ないが、あの女の自作自演である可能性が高い。そもそも、『癒し手』を自称するのなら、怪我など直ぐに治せる筈である。ワザとらしく包帯などを巻き、存分にジェイクの気を引いたのだろう。

 (ホント、ムカつくわぁ〜あの女……)


 今更、馬車の中で悪態をついても後の祭りである。

 レイチェルは、気分を変えて、乙女ゲーム『真実の愛の行方』のストーリーを思い出す事にした。もう手遅れであるのは否めないが、せめてこの後どうなるのかを知っておきたい。



 

 -3-


 乙女ゲーム『真実の愛の行方』

 レイチェルとして生まれる前の、前世で流行っていたゲームだ。どんな人間であったかは、ボンヤリとしか思い出せないが、普通の 女の子であったと思う。あの頃の私はゲームや漫画が大好きで、お小遣いの殆どを使っていた。数ある乙女ゲームの中でも、特に『真実の愛の行方』はお気に入りだった。

 乙女ゲーム、ヒロインの女の子の名前は、デフォルトでは『ユリア』だが、好きな名前を付ける事も出来る。市井で生まれ育ったヒロインは、いつの間にか右腕の甲に 桜の花びらの様な痣が浮かび上がっている事に気付く。そして、母親が流行病で倒れてしまい、病床の母親に縋って泣いていると、母親は瞬く間に元気を取り戻した。

「これは癒し手だ」

 噂は直ぐに広まった。スカイラー伯爵の養子となり、マナーの勉強を開始する。そこで出会うのは、義弟であるスカイラー伯爵の嫡男 ジョゼフ 十四歳。一人目の攻略対象者だ。

 そしてこの国の第一王子である ジェイク・ラスクエア。

 側姫の息子、第二王子のエドワード・ラスクエア 十六歳。

 騎士団長のダミアン・チェイス伯爵 二十三歳。

 以上、四人と親睦を深めつつ、彼らを攻略して行く。明確な悪役令嬢はレイチェル・ウィニードだけで、どの彼と親睦を深めてもレイチェルが立ちはだかる。しかし、ジェイクルート以外であれば、最後は和解し、親友となるのだ。

 ジェイクルートは最終的に王妃となる為、”和解” という訳にはいかず、追放するしか無かったのだろう。他の人だったらまだ良かったのに…。しかしあの性悪女とは とても和解する気になれない。ゲームをしていた時はヒロイン目線だったが、こんな性格の女の子だっただろうか?

 絶対 友達になりたくないタイプだ。


 そして、四人の攻略対象者以外に、隠しキャラが一人いる。

 それはジェイクルートをいかないと解放されないルートで、ジェイクと共に戦う筈が、魔王側へと裏切ってしまうのだ。そう、隠しキャラは魔王 ダグラス 年齢不詳。

 このルートが巷で大人気で、闇落ちする女子が多かった。見目麗しく、影のある色っぽいイケメンと出逢ったが最後、女子は皆 瞬殺されるのだ。SNSはこの情報で飽和した。

 勿論、私も大いに闇落ちした。二次創作しては、同士と語り合った。まさか、そんな世界に、今 自分が居る、だなんて…。


 ヨヨヨ…、とレイチェルは頭を抱えた。

 断罪が遂行されたのなら、もう物語に悪役令嬢は必要ない。この後はユリアが王妃となる試練を乗り越え、復活してしまった魔王を仲間と共に倒せば、ハッピーエンドだ。魔王ダグラスに闇落ちしなければ…だが。

 もし、ユリアが闇落ちしてしまえばこの国は滅亡する。ユリアにとっては関係ないかも知れないが、この国で寿命を迎えねばならないレイチェルにとっては死活問題である。何とかしなければならない……!

 だって、あの魔王ダグラスの魅力に勝てる奴なんてひとりも居ないんだから…!

 公式が焦るほど、闇落ち女子が多く、ジェイクルートをやり遂げた、と言う猛者は数人しか居なかった。それも本当であるか疑わしい。一応、公式のメインキャラであったはずだ。パッケージでも一人だけ大きく描かれている。それなのに、小さく後ろ姿が黒く塗りつぶされている魔王ダグラスに全てをもっていかれたのだ。商売というものは解らないものである。



 

 悶々と考えはするものの、特に良い手立ては思い付かず、三日程で辺境伯の領地へと レイチェルは到着した。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る