第2話

『心を入れ替えた悪役令嬢』

《冷えた白亜の城》

 -1-


 「そんな話は聞いておりません」

 長旅を馬車に揺られて三日。ハード公爵家が住まう城へと辿り着いた悪役令嬢レイチェル・ウィニードに、この城のメイド長と思われる貫禄ある婦人は 一行を出迎えはしたものの、すげ無く言った。

 父親が癇癪を起こした後、直ぐにコチラへと向かったので、連絡が遅れているのかも知れないが、そもそも 今、この城の主人は病に伏せっており、その父親である王弟殿下殿も、特効薬を求め諸国を巡っている。連絡が滞ったとしても なんら不思議は無い。


「あら、そうなの。でも私はここへ来るように言われて来たのよ。直ぐに部屋を用意して頂ける?」

 不機嫌そうなメイド長の言葉に少しも怯むことなく、公爵令嬢として上から指示を出すレイチェル。

「申し訳ありませんが、今 この城は人手が足りておらず、掃除も行き届いておりません。外の使用人用の小屋でしたら、直ぐにご案内出来ますが。」

「!」

 公爵令嬢に向かってこんな言葉が返って来るとは思わず、侍女は驚きの余り口を開けた。

「ええ、それで良いわよ。」

「お嬢様?!」

 主人に代わり文句を言おうとした所で、主人であるレイチェルが意図も簡単に承諾してしまったので、侍女は目を白黒させて叫んだ。

「急に来たのはコチラなんだし、そこしか部屋が無いのなら仕方ないでしょ。」

「しかし、お嬢様…!公爵令嬢が使用人の小屋などと…ッ」

 アッサリ受け入れたレイチェルを メイド長は少し驚いた顔で見つめたが、前言撤回する気は無いようで ゴホンッと咳払いをひとつすると、二人を外の小屋へと案内した。


 そこは思っていたよりも清潔で、余り広くは無いがキチンと片付けられた部屋だった。公爵家のウォークインクローゼットくらいの広さだが、ベッドも設置されていてこの城で働く使用人は、大事にされている印象を受ける。

「全く…ッ。幾ら連絡が無かったとはいえ、公爵家の城なんですから、客間のひとつやふたつ、常に用意してあるはずですよ…ッ。それを…」

 ムカムカが収まらない侍女は腕組みをして文句を言う。

「そうねぇ〜、もし私が主人だったら、あんなメイド長は即刻クビにするわね。」

「そうでしょう?! だったら何故、受け入れるなんて事を…!」

 怒鳴りつけて部屋を用意されるくらい レイチェルにとっては何でもない。今までであったなら、間違いなくそうしていただろう。それを良く承知している侍女は首を傾げる。

「アンナ…、私はここへ”反省してます感”を出す為に来たのよ。忘れたの?」

「…いいえ、でも、それとコレとは…だって、お嬢様はこれから コチラの御当主様たちを治療なさるのですよね?。お世話になる相手に、こんな仕打ちをするだなんて…!」

 憤慨して侍女が答える。

「…んー、まあ確かにそうね。ムカつくわね。でもそれは一旦、置いておきましょ。どうせ、そんなに長い時間滞在する訳じゃ無いし。直ぐにお父様が呼びに来るわよ。」

 お嬢様がそう仰るなら…と、侍女は渋々 引き下がった。そして温かな紅茶を淹れる為、小さなキッチンに立つ。簡単な食事なら問題なく出来そうなスペースがある。

 レイチェルはベッドに腰掛け、窓から見える雪景色に心を踊らせた。

 たった三日、北に進んだだけで 王都では見られないような美しい雪景色が広がっている。ここは王弟殿下が魔王を討伐した後に貰い受けた土地で、一年の半分は雪に埋まっているような所だ。どうしてこんな不便な土地を選んだのかは知らないが、静かな生活を送るのにはピッタリの場所だった。降り始めた雪は僅かに道路や木々を白く染めている。雪を見るのは久しぶりのレイチェルは、飽きること無く窓の外を眺める続けた。



 -2-

「さて!それじゃ、そろそろご主人様にご挨拶と行きましょうか。」

 侍女の淹れた美味しい紅茶で 旅の疲れを癒したレイチェルは、パンッと手を打って宣言した。旅支度をといていた侍女も頷いて後を着いてくる。レイチェルは豪華で大きな玄関扉をもう一度 くぐった。煌びやかとはいえないが、品の良い調度品で纏められた玄関ホールは、美しいが何処か寒々しい印象を受ける。外が冬景色のせいだろうか。

「御当主様、ハード公爵にお会いしたいの。案内して下さる?」

 レイチェル達が玄関ホールに立つと、直ぐにどこからかメイド長が現れる。

「ご主人様は現在、伏せって居られます。」

 レイチェルの申し出にも、さっきと同様、毅然とした態度で応じるメイド長。

「勿論、解っているわ。」

「それならば、ご遠慮ください。ご主人様は誰にもお会いしません。」

「あのね…貴女、私を何だと思っているの?。主人にお伺いもせず、断る権利が貴女にあるとでも?」

 悪役令嬢らしく、睨みを効かせて権力をチラつかせても、メイド長は顔を青くしただけで、断固として態度を変える事は無かった。

「お嬢様は今日からこの城のですよ!言葉には気を付けなさい!」

「アンナ…」

 侍女がレイチェルの横から声を荒らげる。

「こ、公爵夫人…?それは、クレイヴ様…、いえ、王弟殿下様もご承知の事なのですかッ?!」

「当然ですッ!」

 鼻息荒く答える侍女に、レイチェルは眇めた瞳を寄越したが、反論はしなかった。仮に、父親が呼び戻さなければ、それは事実になるからだ。

 まだ信じられない…と呟くメイド長に、レイチェルは言った。

「貴女が信じようが信じまいが、私には関係ないの。私は私のすべき事をするわ。さッ、案内してちょうだい。」

 レイチェルに強く言われ、メイド長は渋々 奥にある寝室へと彼女たちを案内した。そこは陽の当たる、一番良い場所を選んでいるように思えたが、外が冬景色のせいか、ここもまた 寒々しい印象が拭えない。ドアの前には護衛が居た。物々しい雰囲気である。

 甲冑を着込んだ護衛がレイチェル達を訝るように目を眇める。メイド長は、新しく公爵夫人になる方だと説明したが、それでも護衛の険は取れない。

 (全然、歓迎されてない!)

 レイチェルは思った。この警戒心は何なのか?仮にも、新たなる公爵夫人がやって来たと云うのに、この扱いは何なのか?

 (私が悪役令嬢だと聞き及んでいるから?それとも、この城に入ってくる人間全てを警戒しているの?)

 どっちにしても、レイチェルはれっきとした公爵令嬢であり、こんな扱いを受ける地位に居ない。これが王都であったなら、すぐさま不敬罪で牢屋送りにしている。

 それは扉を開けた後にも続いた。

 この城の当主、レオン・ハード公爵が静かに横たわるベッドの横、椅子に腰掛けていた老人は、レイチェル達が入室するとジロリと睨みながら立ち上がった。

「…何用です…」

 静かな声ではあったが、強い拒絶を含んだその声音に、レイチェルはまたしても驚いた。

 (私、公爵令嬢なんですけど?)

 今まで、チヤホヤと、甘えた声で縋ってくる者は多けれど、こんな風に扱われた事は無い。もし、前世の記憶を思い出して居なかったら、ここで怒鳴り散らしていた所である。侍女も 不躾な態度に、顔を真っ赤にさせて ワナワナと震えている。しかし、レイチェルが何も言わないので、我慢していた。


「私は、レイチェル・ウィニード。ハード公爵様の一助と成るべくやって来ました。」

 レイチェルは静かに老人に応えた。その名を聞いた老人は驚きを口にする。

「《レイチェル・ウィニード》?! まさか あの、『癒し手』の?!」

「どうやら、ご存知のようね。」

 内心ホッしたものの、キツイ表情は変えずにレイチェルが言った。

「勿論です、医者を生業にしとるモンで、貴女の名を知らぬ者はおりません。貴女は、我々が長年苦労して治療している患者を瞬く間に治してしまわれる…まさに、神のようなお方だ…」

 老人はハード公爵の主治医だったようで、レイチェルの名を聞き 酷く驚いたが、まだ訝しんでいるようだ。メイド長は二人のやり取りを聞き、大きく空いた口を両手で塞いでいる。

「しかし、貴女には……以前、ご連絡を差し上げたはずですが…断られてしまったと記憶しております。どうして今になって…」

 その話をレイチェルは知らなかったが、『どうして今』なのかは簡単だ。婚約が破棄されたからである。

「それは…私が公爵夫人となったからです。」

 しかし不名誉な話をする気はなく、堂々とレイチェルはそう宣言した。何故か侍女が得意気な顔をしている。

「!それは、レオン様とご結婚される、と云う事ですか…?」

「ええ、そうよ。だから、ハード公爵様の今の状態を教えてくれるかしら?」

 ハード公爵は”呪われた公爵”として有名で、大抵の者は呪いを受けるのを恐れて近寄らないが、爵位目当ての不届き者も多い。『癒し手』を騙って 入り込もうとする輩も僅かだが、いる事は居るのだ。

「…貴女様は――第一王子殿下と婚約されていたはずでは?」

 老医者は疑い深い。下手にご主人様に近寄らせて、命を奪われてしまっては一大事である。仕方なく、レイチェルは口を開いた。

「――婚約は、破棄されたわ。コレでいい?」

「それで直ぐに、レオン様とご結婚ですか?些か、唐突過ぎるような…」

「急がなければいけない…そうではなくて?」

 老医者は、ハッとした顔になる。レイチェルのカマかけだったのだが、レオンの病状は一刻を争うようだ。黙ってひとつ頷き、道を譲る。レイチェルは横たわるレオンのベッドへと進んだ。


 真っ白な髪はボサボサ、血の気のないシワシワの肌、固く閉じられた瞳の周りは黒く、紫色になってしまった唇からは ヒューヒューと呼吸が漏れる。

 まさに危機一髪、あと少しでも遅ければ、彼は この疲れ果てた体から魂だけで抜け出してしまいそうである。良くここまでの状態を維持出来たと、レイチェルは老医者に感服した。

 ベッド脇の椅子に腰掛けたレイチェルは、ソッと枯れ枝のようになった真っ白のレオンの手を取り、包み込むように両手を被せた。そして、レオンの身体を、くまなく魔力を巡らせて状態を見る。細胞は粉々になる手前で、癒しの力を流して修復する。すると左手の甲にある、桜の花びらの痣が、金色の光を輝かせる。


 それを見た老医者とメイド長は、また大きく驚いた。『癒し手』の存在は知っていても、その祝福に預かれる人は少数で、その奇跡を目撃出来る人間は限られていた。その為、『癒し手』を偽る不届き者も多いが、桜の痣が金色に光らなければ、それは直ぐに露見する。

 一時間程、レイチェルは癒しの力を、壊れそうなレオンの身体に流し続けた。癒し手だから一気に治せるわけでは無い。毎日、何度にも渡って、少しずつ修復しなければ、逆に壊れてしまう事だってある。


「良しッ、とりあえず今はこんなモンね。」

 レイチェルはソッとレオンの手を、毛布の中へと戻して振り向いた。そこには静かに控える侍女アンナと、深々と頭を下げる老医者とメイド長の姿があった。

「無礼な態度をとりまして、真に申し訳ありません。」

 二人が謝罪する。

「…なるほど?私がだと、解ったようね?」

 意地悪そうな顔でレイチェルが応じる。

「試すような事をして、申し訳ありません。しかし、私供は本当に、奥様がいらっしゃるとは聞いて居らず。ご主人様を護らねばならぬ立場にありまして。どんな罰でもお受け致します。」

 顔を上げないまま、メイド長が言う。

「そう…なら、後で考えておくわ」

 許すのは簡単だし、さして怒っても居ないのだが、これは何かに使えるかも知れないと、レイチェルは返事を保留した。

「ワシも同じ気持ちです。まさか、この目で奇跡を見れる日が来ようとは……」

 老医者は感動してフルフル震えている。もう本当に、レオンの身体は、後何日持つかも分からなかったのだ。

「…部屋の換気をこまめにして、足元を温めて、それから水分を、ひと口ずつでも良いから マメに摂らせた方が良いわね。一時間ごとに治療をしに来るから、貴方は良く彼の様子を見ていてくれるかしら?まあ、私に言われるまでも無いと思うけれど…」

「奥様、全て貴女の言う通りに致しましょう」

 顔を上げた老医者の瞳は潤んでいる。

「あのね…確かに私は凄いけど、ここまでハード公爵の身体が持ったのは、貴方の知識と頑張りがあったからでしょう?貴方とは対等でいたいわ、今後の治療方針も一緒に決めましょう。」

「は…はい……」

 まさか、そんな言葉を掛けられるとは思わず、老医者はそれだけ言うのが精一杯だった。ここまで必死に治療して来たのだろう、やっと、維持では無く 回復の道が見えて、老医者の両目からは涙が滴り落ちる。

 泣かせるつもりは無かったのだが、何とも気まずい雰囲気になってしまい、レイチェルはメイド長へと目を向けた。

「顔を上げて。今度は息子さんの所へ案内してくれるかしら?」

 バッと顔を上げたメイド長は驚きに両目を開く。

「リック様…ッ、ご主人様の息子様まで、治療して下さるのですか?!」

「当たり前じゃない。私は『公爵夫人』になったんだから。」

 その言葉を聞いて、メイド長はまだ治療もしていないのに「ありがとうございます、ありがとうございます…ッ」と涙ながらに言った。


 どうやら、ここの使用人は ご主人様方を非常に敬愛しており、不吉な噂や不届き者から 必死で守って来たようである。身分を考えれば、それは大変な思いだったろう。自分より上の爵位方に楯突くのは、極刑にされても文句は言えないのだ。レイチェルはここの使用人達に対する見方が変わった。それは、プンプンに怒っていた侍女アンナもであった。


 

 -3-

 

 白を基調とした品の良い部屋で、やはり父レオンと同じく真っ白に変わり果ててしまった息子のリックが眠っている。こちらの子供は父親よりも病状は軽く、今日明日 死ぬ、と言った具合では無かった。何よりである。

 先程と同じように、レイチェルはベッド脇に腰掛け、ソッと手を握り、治癒の力を流した。同じように一時間程力を流すと、息子リックが 薄らとその瞳を開いた。

「…?…」

「おぼっちゃま…!」

 メイド長が涙声でリックに声をかける。

「…り、りた…?」

「ええ、ええ…!リタでございますッ!おぼっちゃま!」

 メイド長は言いながら、ダラダラと頬を涙で濡らしていた。リックが目を覚ますのは、久しぶりだったそうだ。

「奥様…ッ 本当にありがとうございます…!」

「気が早いわよ。まだまだこれからよ?元気に走り回れるようになるまで、私が回復させてあげるからね!」

 パチン、とウィンクするレイチェルに、メイド長リタは嗚咽で何も返す事が出来ない。

 ご主人方の回復、それはこの城の者たちの悲願だった。


 ボンヤリしたまま、リックが不思議にレイチェルを見上げる。

「…?…」

「ふふ、何か口に出来る?温かいミルクなんてどうかしら?」

 リックは喉を鳴らし、コクンと頷いた。それを見て、瞬く間にメイド長が「直ぐに!」と叫んで、ハチミツ入りのホットミルクを用意した。リックが何かを欲しがるなんて久しぶりだ。イキイキと メイド長はひとさじずつ、リックの小さいお口にホットミルクを運んでいる。その様子を満足気に見てから、レイチェルは再び 外にある使用人の小屋へと戻って休む事にした。


 レイチェルは ひとより魔力が多いと云うわけでは無い。しかし、魔力が回復するスピードはダントツで早かった。他の人間が一晩かかって回復するところを、レイチェルは一時間程で全回復出来る。少し休むだけで何度でも癒しの力を使う事が出来るのだ。

 侍女が用意したお茶とクッキーを食べて居ると、控えめに扉がノックされた。

「どうぞ」

 入って来たのは、メイド長だった。リックはあの後、また眠ってしまったようだ。

「奥様…、こんな部屋にご案内してしまって、真に申し訳ありません。今からご夫婦の部屋へとご案内させて頂けませんでしょうか?」

 深々と頭を下げたメイド長が提案してくる。やっぱり、客間や夫人用の部屋はあったのだ。

「んー、それはまた今度で良いわ。」

「エッ お、お嬢様?!」

 メイド長の提案に、ウンウンと頷いていた侍女は、まさかのレイチェルの返答に声を裏返した。


「さっきは勢いで『公爵夫人だ』なんて言ったけど、確かにまだ籍も入れて無いものね。当の本人はまだ意識も戻らないのに、夫人も何も無いわ。」

「し、しかし奥様…ッ、それではあんまりにも…」

 自分で使用人小屋に案内しておきながら、恩人に向かって流石にマズいと思ったのか、メイド長は部屋替えを強く進める。

「別に、貴女の意地悪に、仕返ししてるわけじゃ無いのよ?。もしかしたら…もしかしたらよ? お父様に呼び戻されるかも知れないの」

「そんなっ!奥様!!」

 ガバリッとメイド長が土下座する。

「どうか、どうか!!そんな事は仰らずに、ご主人様を助けて上げて下さいませ!!その代わり、ワタクシはどんな事でも致します!!お願いですから、ご主人様とおぼっちゃまを助けてあげてくださいませッ!!」

「ちょっ、ちょっと…!」

 メイド長の熱意にレイチェルが慌てる。レイチェルが止めても「どうか、どうか!」と騒いで顔を上げない。『奇跡』をその目で見た時から、この城を救えるのはこの人しか居ないと、メイド長は全てをかなぐり捨てて 必死にレイチェルに頼んだ。


「わ――…、解った!解ったから!もう、泣くのをやめなさいって…!」

 根負けしてレイチェルが折れる。

「奥様…!それではっ!」

「ええ、ちゃんとハード公爵とリックちゃんが全回復するまではここに居るわ!安心してちょうだい。」

「あぁ、神よ……ッ! 奥様、ありがとうございますッ」

 今度は感激して おいおい泣き出すメイド長を、レイチェルは必死で慰めた。


 ◇◇◇◇◇

「いやあ、凄かったですね…」

 何とか宥め、メイド長を追い返したレイチェルは、ベッドで胡座をかいていた。その側に立ち、二人の様子を呆然と眺めるしか出来なかった侍女が ボソリと言う。

「本当よね…。でもあそこまで使用人に想われてるなんて、きっと素敵なご主人様なんでしょうね。」

「あら、私だってお嬢様の一大事とあらば、あれくらいやってのけますよ?」

「はいはい、ありがとう!」

 胡座をかいたまま、レイチェルが答える。

「お嬢様、その座り方は如何かと思われます…いくら、人目が無いからって…」

「良いじゃない、ここは使用人小屋なんだし。リラックスしても構わないでしょう?」

「お嬢様、いくら使用人だからと言っても そんな行儀悪い座り方なんてする人 居ませんよ。」

 侍女に睨まれ、レイチェルは仕方なく座り直した。前世は日本家屋に住んでおり、畳暮らしが長く、こうして胡座をかくと凄くシックリ来る。しかし今は『公爵夫人』だ。気を付けねばなるまい。


 その後、休憩を挟みつつ レオンとリックの部屋へ何度も訪れたレイチェルは、流石に護衛から不振な目を向けられる事が無くなった。それどころか、癒し手だと伝わり、治療をしてくれる事に 心から感謝しているようだ。最初の敵愾心は、忠誠心が強過ぎたが故によるものだろう。

 

「私はね、毒だと思うわ」

「やはり、奥様もそう思われますか…」

 二度目、レオンの部屋へ訪れた時に、レイチェルは老医者と意見交換をした。それは数年前にレオンが倒れた時の状況や、前妻の死に方、”呪い” だと騒がれた原因などについてだ。当初、ハード公爵一家は呪いによって命を落としたと云われていた。出処はハッキリしないが、その噂はあっという間に領地中に広まった。意図的に流されていなければ、その速さは有り得ない。誰かが吹聴しているのは明らかだった。

 しかし、レオンの病状は”呪い”と云われても納得する姿で、当初は悪魔払いや浄化なども行われたという。しかし、効果はあまり無かった。癒し手を寄越して貰えるよう、方々に手を打ったが、癒し手の数は少なく、来てくれた癒し手が高齢だった事もあり、レオンの状態は回復する事は無かった。その事が”呪われた公爵”の名を確固たるものにしてしまった。

 しかも、”呪われた公爵”の噂が広がるに連れて、自身に呪いが移るのを恐れ、人々は近付く事すらしなくなってしまう。こうしてハード公爵家は孤立した。


 そんな中で、お抱え医者であるオランは 必死に治療にあたった。しかし、どんな療法を試しても改善せず、時間だけが過ぎて行った。

「これはワシの推論なのですが…、奥様…元奥様が、毒を持ち込んだのでは無いかと…」

「何ですって?」

「不敬なのは、百も承知です。しかし、ご主人様は昔から何かと暗殺の対象となっておりました。父上は未だに人気の英雄王弟殿下ですのでね…、それで食べ物 飲み物は、必ず 毒味がおります。ですので、最初は毒では無い、という判断でした。しかし、あの日、どうやら奥様が持ち込んだ花蜜をご家族で食べたようなのです…。花蜜は滋養があり特に夫人に好まれます。

 奥様が一家心中するつもりがあったかどうか、毒が入っているのを知らなかったかどうか、それは今となっては解らぬ事ですが、もし、原因が呪いでは無く、毒であるなら治せるかも知れないと、色々とやって参りました。しかしワシには治す事は出来ず、維持するだけで精一杯…それが余計に”呪い説”を確固たるものにしてしまっていたのです。」

 項垂れる老医者に、レイチェルは温かい言葉をかけた。

「貴方が居なかったら、貴方が諦めてしまったら、今のハード公爵家は無いわ。胸を張っていい事よ。」

「しかし…」

「これは癒し手である私にとっても、難しい事よ。それなのに、貴方は癒し手では無いのに、ここまで生かす事が出来ている。それがどれだけ凄い事か、分かるでしょう。ここからは私達二人で頑張って行きましょう。」

 レイチェルがそう言うと、老医者は静かに涙を流した。ようやく肩肘張っていた重荷を、少しだけ下ろせたのかも知れない。

 


「しかし、毒となると――。元奥様が自分で用意したのか、誰かから貰ったのか、毒と知っていたのか…」

 ベッドに腰掛けたレイチェルが独りごちると、侍女が片付けをしながら言う。

「元奥様は、出産された後すぐ、でしたよね?折角ご長男を授かっておきながら、自殺されるでしょうか?」

「んー、嫁の第一任務は『長男』を産むことだもんね。女の子でガッカリした、なら まあ解るけど、男の子を産んだのなら、気持ちは晴れ晴れとしてたはずね。確かに自殺説は薄いわね。」

「それに、御一家が同時に、でございますでしょ?『今から死にましょう!あーん』なんて有り得ますか?毒と知らずに『あーん』してあんな事になったなら、分かりますけど。」

「アンナ…、アンタ探偵にむいてるんじゃない?」

 真面目な顔でレイチェルが侍女に言うと、慌てて侍女は否定する。

「止めてくださいよ!私は、お嬢様の侍女しか、むいていませんよ!」

 それを聞くともなく聞いて、ドサリとレイチェルはベッドに倒れた。原因がなんであれ、レイチェルは治癒するのみだが、当時の状況が気にかかる。もし、犯人がいるとするなら、果たしてこのままで済むのだろうか?

 (ここは乙女ゲーム『真実の愛の行方』の世界、私はメインストーリーから外れちゃったし、お父様からお呼びがかからなければ、このままここで一生を終える…もし、犯人が、今度は私を狙って来たら…?)

 ゾクリと背筋が寒くなり、慌てて起き上がる。

 この恐怖は、きっとここで暮らす使用人達が ずっと抱えてきたものと同じだ。それでも彼等は何処へも逃げなかった。主人の傍で身体を張って護る事を選んだのだ。


 (カッケェー…!)

 レイチェルは拳を握り、絶対にレオンとリックを全回復させてやろうと、心に決めた。

 

 

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悪役令嬢の献身 夏野 @natsu_no

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