036 「気まずいね」


 次の日、週明け。

 侑弦は授業が終わると、美湖に呼ばれた時間になるまで、図書室で勉強をして過ごした。

 ただ、このあとのことを考えると、あまり集中はできなかった。


 二時間ほど数学をして、そろそろかと思っていると、ちょうど美湖からメッセージが来た。


『今から校門前ね!』


 そのあとには、二足歩行のハムスターがウィンクをしているスタンプ。

『了解』とだけ返事をして、侑弦はさっさと荷物を片付けた。

 早足で図書室を出て、階段を下る。靴を履き替えて校門へ向かうと、美湖がひとりで待っていた。

 辺りはすでに薄暗く、近くにあるテニスコートからは、撤収作業をするテニス部員たちの喧騒が流れてきていた。


「あ、侑弦ーっ」


 こちらに気づいた美湖が、ニッコリ笑って手を振った。

 侑弦も手を上げて応じ、美湖に歩み寄る。


 校門で、待ち合わせ。このシチュエーションに、侑弦は中学の頃、彼女に告白をしたときのことを、ぼんやりと思い出していた。

 いや、忘れたことなど、一度もないのだけれど。


「なんか、告白された日を思い出すねー」


「……そうだな」


 思わず、笑みがこぼれた。


 美湖も同じなのだ。

 大切にしているのは、自分だけではないのだ。


「あのときは驚いたよねー。そういうこと、できる人だと思ってなかったもん」


「……まだ俺のこと、全然知らなかったろ」


「だからこそさー。おとなしそう、って第一印象のままだったし。なのに、蓋を開けてみたらこれですよ」


 美湖はニヤニヤとイタズラっぽく、それでいて、嬉しそうに言った。


 これってなんだよ、これって。

 心の中で苦笑いを浮かべていると、美湖は侑弦の前に立ち、手を軽く握ってきた。


「ありがとね、先に好きになってくれて」


「……こちらこそ、受け入れてくれてありがとう」


「えへへぇ」


 握った手をふりふりと動かして、美湖がへにゃっと笑う。


 いろいろと、言いたいことが浮かんでくる。

 あのあとの会話や、もう一度会った日のこと。そして、初めて行ったデート。

 だが、今は――。


「おっと、イチャイチャしてる場合じゃないぜ。もうすぐ来るよ、たぶん」


 と、先に話題を戻したのは美湖だった。


 名残惜しさも、寂しさもある。

 が、美湖の言う通り、今は目の前のことに集中するべきだろう。


 そこへ、部活を終えたらしい集団が、昇降口からぞろぞろとやってきた。

 吹奏楽部、美術部、陸上部、バレー部。

 校門を出る生徒たちはふたり、もとい美湖に気がついて、次々に声をかけていく。


「あ、美湖ちゃんだ! バイバーイ!」


「天沢さん、生徒会お疲れさまー」


「じゃあねー美湖ちゃーん!」


 美湖はひとり一人に名前を呼び返し、笑顔で手を振っていた。

 相変わらずの人気と愛想、それに記憶力のよさだ。


 ふと、バスケ部の塊の中にいた玲逢と目が合った。

 怪訝そうに目を細める玲逢に、侑弦はひとつ頷きを返しておく。

 お前に用じゃないよ、という意思表示。まあ美湖が一緒である以上、向こうもわかっているだろうけれど。


「……あ」


 玲逢が校門を抜けるのを見送ってすぐ、そばでかすかな声がした。

 顔を向けると、そこには。


「ゆづっ……朝霞くん」


「……おう」


 倉瀬涼葉だった。


 バドミントン部らしい集団の最後尾にいた彼女は、立ち止まってこちらを見ていた。

 部活仲間の何人かが振り返ったが、なぜかニヤニヤとした笑みを浮かべるだけで、涼葉を待つつもりはなさそうだった。


 隣にいる美湖が、どんな顔をしてるのか。確認する勇気がない自分に、無性にイライラした。


「それに、天沢さんも……」


「やっほー、倉瀬さん」


 美湖はさっきまでと同じ声音で言って、ひらひらと手を振った。

 涼葉が手を振り返さなかったのは、きっと彼女の性分のせいだろう。


「……誰か、待ってるの?」


「うん。まあそんなとこ」


「……そう」


 涼葉は短く言って、少しのあいだ黙っていた。

 何度か口を開きかけたように見えたが、なにも言わない。


 結局、最後には「……じゃあ」とだけこぼして、涼葉は部活仲間を追いかけていった。

 ふぅ、と息を吐くと、いつの間にか強張っていた身体が、軽くなっていくのがわかった。


「気まずいね」


 美湖が言った。

 その軽い声が、今はありがたかった。


「まあ、気まずいな。けど、仕方ない」


「うん」


 三年前に別れた、元カノ。

 その涼葉と、今の恋人の美湖が、自分のいるところで顔を合わせる。

 だからどうということはないのだが、やはり居心地はよくはない。


 ただこればっかりは、ある程度避けようがないというのも事実だった。


「愛してるよ、侑弦」


「……ああ。俺も愛してる」


 お互い、小さな声で、そう言い合った。

 手を繋ぎたい、とも思ったけれど、さすがに人目が憚られた。


「あ、来た」


 そこで、今度は美湖が声を上げた。

 運動場の方から、ひと際賑やかな女子の一団が歩いてくる。

 どうやら、あれが本来の目的の、チア部らしかった。


「桜花ちゃん」


 その中のひとりに、美湖が声をかけた。



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