017 「……久しぶりに、話したわね」


 バイト中に綿矢わたや紗雪さゆきに遭遇した、その次の日の放課後


 やる気があるうちに課題を消化しようと図書室に向かっていると、今度はまた、別の人物に出くわした。


「……お」


 長い廊下を歩いていた。

 正面から、同じようにひとりの女子生徒が、こちらに向かってくる。


 几帳面そうな黒いセミロングに、制服のスカートを長く履いていた。

 両手には分厚いプリントとノートの束を抱えて、足取りは少し重い。


 侑弦ゆづるに気がつくと、彼女はふっと顔を伏せたように見えた。

 侑弦も心なしか目線を下げて、足を動かした。


 だんだんと、距離が近づいていく。

 彼女のスカートが、視界を横切る。


 そして、その直後。


「あっ!」


 と、短い声が上がった。

 バシャッという音に振り返ると、廊下の真ん中に、彼女が持っていたプリントとノートが散乱していた。


「もうっ……!」


 焦ったような声を漏らした彼女は、その場にしゃがみ込んで落としたものを拾い始めた。

 が、数が多く、特にプリントは拾いにくいためか、かなり苦戦している。


 さすがに、見過ごすわけにはいかないか……。


 立ち止まっていた侑弦は、心の中でそうつぶやいた。

 それからひとつ息を吐いて、自分も彼女の隣にしゃがんで、プリントを集めた。


「えっ……ゆづ……朝霞あさかくん?」


「……これ、クラス委員の仕事だろ。お疲れ、倉瀬くらせ


「う……うん。ありがと……」


 それからは彼女、倉瀬くらせ涼葉すずはと一緒に、侑弦はプリントとノートを再び束に戻した。


 だが、こうしてみるとけっこうな量だ。

 おまけにプリントとノートの境目は滑りやすく、落としても仕方ないように思えた。


「じゃあ……行くから。……ごめんね、朝霞くん」


「……職員室か?」


 侑弦は迷った末、そう尋ねた。


 一度目の前でばら撒かれたからには、この先も心配だ。

 階段などで同じことになるのを想像すると、不憫で、申し訳なかった。


「う、うん……え、でも――」


「ノート、持つよ。さっさと運ぼう」


 言って、侑弦は束の半分を引き受けた。そのまま、職員室への道を歩き出す。

 倉瀬涼葉は、侑弦の少し後ろから、控えめな足取りでついてきた。


 少し、強引だっただろうか。

 けれど、彼女の性格と今の関係性を踏まえると、ある程度の強引さは必要だろうと思われた。


 階段を上り切ると、職員室はすぐそこだった。

 ドアの前では順番を入れ替わり、ノックは涼葉がした。


「おー、すまんな。助かるよ」


 侑弦たちを見つけると、担任の岡田が小走りでやってきた。

 職員室は独特の空気があるが、中学の頃と比べると小さく見える気がした。


「朝霞も手伝ってくれたのか。やっぱり多かったかなぁ」


 申し訳なさそうに首を捻る岡田に、ふたりで一緒にお辞儀をする。

 そのままそそくさと職員室を出ると、侑弦はまたふぅっと息を吐いた。


「……ありがとう」


 涼葉は俯いて、ぽつりとつぶやくように言った。

 普段の教室では気の強い彼女が、今はどうにもおとなしい。


「いや、いいよ。自分のクラスのことだしな」


「……うん」


 涼葉はコクンと頷いて、しばらくその場でじっとしていた。

 なにか言おうとしている。けれど、言うかどうか迷っている。そんな様子だった。


 ただ、気まずいのは侑弦も同じで――。


「……久しぶりに、話したわね」


「……だな」


 返事をしながら、チラリと職員室前のスペースに目をやった。

 テーブルがいくつか置かれており、自習や先生への質問ができるようになっている。


 話すにしても、さすがに座るのはよくないだろうな、と思った。


「三年ぶり……?」


「かもな。同じクラスになるとは思ってなかった」


 それに、そもそも同じ学校に進学するとも。


 倉瀬涼葉は、侑弦の元カノだ。

 中学二年生の頃、告白されて、初めて出来た恋人。


 だが、今はもう、そうではない。


「言えてなかったけど……ごめん、あのときは」


 涼葉が言った。

 髪から除いた耳が、リンゴのように赤くなっていた。


 思わず、頭をかく。


「いや……お互い様だろ。俺も悪かったよ」


「そ、そんなことないっ……!」


「……」


 顔を上げた涼葉は、瞳をわずかに潤ませていた。


 侑弦は今さらながら、提出物の運搬を手伝ったのを、少しだけ後悔した。

 とはいえ、放っておくのは無理だったろうな、とも思うのだけれど。


「あ……ご、ごめん。ああ、もう、勝手に謝ってばっかり……」


 ふるふると首を振って、涼葉は深いため息をついた。

 それから胸に手を当てて、もう一度深呼吸をする。


 変わったな、と思った。

 前は、もっと余裕がなくて、ピリピリしていた。


 三年も経てば、変わるのは当たり前、なのかもしれない。

 けれどそれと同時に、変わらないものもきっとあって。


天沢あまさわさんとは……どう?」


「どうって……まあ、それなりに」


 ほかにどう答えればいいのかと、内心で苦笑する。

 なにより、涼葉がこんなことを聞いてきたのが、侑弦には意外だった。


「そう……そっか」


「ああ。……もう行くよ。倉瀬も、部活だろ」


「……うん。じゃあ、ホントにありがと」


「大したことじゃないって。じゃあな」


 言って、侑弦は涼葉に背を向けた。


 背後に彼女の視線を感じながら、眠っていた記憶がぼんやりと蘇る。


 中学二年の、あの日。

 侑弦は涼葉に、自分から別れを告げた。

 一緒にいない方が、お互いのためだと思った。

 彼女は泣いていて、けれど、慰める権利は自分にはなかった。


 交際を始めて、まだ四ヶ月の頃だった。


「はぁ……」


 角を曲がったところで、思わず肩をすくめた。


 図書室で勉強する気分などには、到底戻れそうになかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る