018 【回想】「でも、ごめんね朝霞くん」


「好きだ」


 目の前の男の子は、かすかに震えた声で、そう言った。


 天沢あまさわ美湖みこ、中学三年生の初夏。

 ちょっとした事件の当事者になってしまって、少し、反省していた頃だった。


「きみのこと、好きになった。彼氏にしてほしい」


 今度は、声は震えていなかった。


 同じクラスの、朝霞あさか侑弦ゆづるくん。

 名前も顔もしっかり覚えていたけれど、どういう男の子なのかは、あまり知らなかった。

 ただ、こんなふうに女の子に告白できるというのは意外で、美湖は少し驚いていた。


 みんな部活に行っているのか、周囲にはほとんど人もいなかった。


「えっと……どうして?」


 美湖は言った。


 今までも、告白されたことは何度もあった。

 いろんな男の子から。それに何人か、女の子からも。


 そのたびに、美湖は理由を尋ねていた。

 相手が、自分に好意を持ってくれた、その理由。


 感情には、理由がある。

 その人がそれを自覚しているとは限らずとも、必ずある。

 美湖はそう考えていて、自分の恋人になるかもしれない相手の感情の理由は、しっかり聞いておきたかった。


「すごいと思ったんだ」


 侑弦が言った。

 美湖を見つめる目があまりにもまっすぐで、自然と引きつけられた。


 ただ、そのセリフ自体は、聞き慣れたものだった。


 すごい、かわいい、素敵。

 いつも、よく言われる。言ってもらえる。


 ありがたいことだ、とは、もちろん思う。


「隣のクラスのいじめに、正面からひとりで向かっていくのを見て……感激した。迷いもなくて、恐れてもなくて……すごく、カッコよかった。それに……」


 侑弦は、そこで一度言葉を切った。


 照れたように少し目を伏せて、髪を触る。

 その様子がなんだかかわいらしくて、頬が緩んだ。


 言葉が素直でまっすぐで、嫌味がない。

 きっと、優しい子なんだろうな、と思った。


「そっか。ありがとう」


 ニコリと笑顔を作って、美湖は言った。


 言ってもらえる言葉は、当然嬉しい。

 けれど今までも、今回も、美湖のなかでその喜びが、相手への好意に変わることはない。


 だって、そうあろうとしているのは、自分だから。

 その姿はあくまで、自分の努力で、自分の意志とちからで、得たものだから。


 恋人という存在を持つことには、興味はある。

 中学三年生、思春期で、異性への関心だって人並み、いや、人一倍あると思う。


 だが、相手はしっかりと選びたい。

 できることなら、自分から好きになった相手と、そうなりたい。


 美湖は、待っている。

 好きになれる相手を。自分の胸に、恋心が芽生えるのを、ずっと。


「でも、ごめんね朝霞くん。私――」


「あ、ちょっと待った……!」


 美湖のセリフを遮って、侑弦が慌てたように言った。

 驚きで、断り文句が喉の奥に引っ込む。


 そういうことをする子だとは、思っていなかった。

 同時に、彼が次になにを言うのか、少しだけ気になっていた。


「もう、今ほとんど答えは聞いちゃったけど……。でも、まだ質問に答えられてないから……それだけ、言わせてほしい」


「……えっ」


 質問の答えは、ついさっきもらった。

 隣のクラスのいじめを止めに入ったのを見て、惹かれた。

 それ以外にも、まだあるのだろうか。


 思わず目を丸くして、美湖は侑弦を見つめ返した。

 呼吸を整えている彼は、なぜかそれまでよりもずっと、顔を赤く染めていた。


「さっきのは……好きになった理由だ。けど、恋人になりたい理由の方は、まだ言えてない」


「……ああ」


 たしかに、侑弦は言った。


 好きだ。彼氏にしてほしい。


 つまり、美湖を好きであることは、恋人になりたい理由ではない、ということなのだろう。


 意表をつかれ、美湖の意識はますます、侑弦に釘付けになった。

 胸の奥が一度、ドクンと跳ねたことには、気がつかなった。


「天沢さんは、強い。それに、すごい。けど……」


 侑弦が言った。


「いつか、きっとつらくなるときが来ると思う」


「……」


「でも……俺はきみに、そのままでいてほしい。きみがそうあろうと思って、実現してる生き方を、ずっと続けてほしい。だから――」


 スゥッと、息を吸う音がする。

 遠く聞こえていた部活や車の喧騒が、いつの間にか聞こえなくなっている。


 目が離せず、美湖はただ、彼の声だけを聞いていた。


「俺が守りたい。きみが一番、素敵でいられるように。きみが思うように生きられるように。そばで、ずっと支えたいんだ」


「……朝霞くん」


「それが……恋人になりたいと思った理由。ごめんな……さすがに、ちょっと重いか。いや、かなり……?」


 あはは、と自分でも呆れたように、侑弦は笑った。


 重いし、突然だ。

 それに、まだ知り合ったばかりなのに。

 この前の一件だけで、自分のなにがわかるのか。

 そもそも、この人に自分が守れるのか。守ってもらう必要なんて、あるのか。


 いろいろなことが、頭の中をぐるぐる回る。


 けれど、それもすぐに消えていってしまって。

 最後に残ったのは、ただひとつだけで――。


「……ふふっ」


 美湖は笑った。

 ただおかしくて、おもしろくて、こぼれるように笑った。


 朝霞侑弦という男の子に、興味が湧いている。

 そのことを自覚する前に、美湖は笑顔のまま、言った。


「わかった。じゃあ、ちょっと考えさせて」



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