第8章 — クマちゃん救出作戦、成功…かな?

冷たい風が頬を切るように吹きつけた。

芽衣は春海のガウンにくるまり、生きたミニブリトーみたいになっていた。


春海は震えていた——

寒さだけじゃない。

頭の中で“嫌なパズル”がカチカチとはまり始める、あの静かなパニックで。


おじいちゃんの家。

ふたりきり。

市場で出会った時、彼らは町をさまよっていて——


ま、まさか……家出……?

おじいちゃん、必死で探してたんじゃ……?


市場に行ったのも、逃げるための買い物……?


え、ちょ、まって。


わたし……誘拐犯になってない!?

え、ちょっと……ただ“連れて帰った”だけのつもりだったのに!?

えっ!? わたし犯罪者!? 無意識に犯罪したの!??


「で、その……おじいちゃんの家ってどこ……?」

春海は必死で大人っぽく聞いた。


タケルが指さす。


「あそこ。」


そこには古い家があった。

傾いた縁側、積もった埃、

“ホラー映画の低予算作品に出てきそうな家ランキング第1位”みたいな外見。


春海は悲鳴を飲み込んだ。


「……よし……極秘任務ね……!」


「春海、静かに歩けるの?」

タケルの表情は真剣だ。


春海は忍者ポーズを決めた。


「もちろんよ――!」


一歩踏み出す。


ギャアアァァァァァァァァァァァッッ


タケルは目を閉じた。


「……無理だね。」


「できるしッ!!」

春海は小声で全力ツッコミ。


縁側に上がる途中、春海は滑り、

膝をぶつけ、

もう少しで“マンホールの蓋コスプレ”になるところだった。


どう説明すればいいのよ!?

どうすればいいのわたし!!


「春海……おれが——」


「だめ!! わたしが大人だから!!」

春海は盛大に絨毯につまずいた。


すると芽衣が指さす。


「……クマちゃん!!」


そこにいた。

氷河期の戦士みたいな顔で椅子に座るクマちゃん。


芽衣は走って抱きしめた。


「みつけたぁぁぁぁぁ!!」


春海は胸を押さえた。


「よかった……心臓が……通知表レベルで冷たくなるとこだった……」


タケルは腕を組んだ。


「もう帰っていい?」


「ダメ!!」

春海は息を吸い込んだ。

「タケル……おじいちゃん、心配してたはずよ! 謝らなきゃ!! ふたりとも!」


タケルは眉をひそめる。


「なんで。」


「なんでって……家出したんでしょ!? 心配して……泣いて……探し回って……」


タケルは春海をまっすぐ見た。

その瞳は冷たく、光がなかった。


「おじいちゃんは死んだよ。心配なんてしてない。」


春海の世界が止まった。


音が消え、

空気が冷え、

呼吸が胸の奥に引っかかった。


芽衣がクマちゃんを抱えながら、小さく続ける。


「ほんとだよ。おじいちゃんの人が言ってた。芽衣はね……おばあちゃんになるまで、もう会えないんだって……」


春海の胸がドスンと落ちた。


全部、つながった。


あの“お世話係の言葉”。

この家の空虚さ。

どうしてふたりだけでいたのか。

タケルがこんなに大人びている理由。

芽衣が少しの優しさにしがみつく理由。


この子たち……本当に誰もいないんだ。


誰も。


春海は深く息を吸った。

胸が痛い。

手が震える。

でも今度は寒さのせいじゃない。


わたし……勢いで連れてきちゃったけど……

もし連れてこなかったら……

この子たち、どこに帰るの?


空の家に?

冷たい部屋に?


そんなの、絶対ダメ。


春海はタケルと芽衣を見つめた。

そして芽衣の腕の中のクマちゃんも。


その瞬間、春海は理解した。


自分が救ったのは、ぬいぐるみだけじゃない。


子どもたちも救っていた。


そして――

たぶん自分も救われていた。


春海は急いで涙を拭った。


「タケル……芽衣……帰ろっか。」


タケルは彼女を見つめた。

壊れたものと強いものが混じったような、不思議なまなざしで。


そして、小さくうなずいた。


三人は歩き出す。


――春海は胸の痛みを隠しながら

――芽衣はクマちゃんをぎゅっと抱きしめ

――タケルはいつものように、すべてを見ていた


その冷たい夜明け前。


まだ名前のないものが、静かに生まれた。


大きくて。

あたたかくて。

確かにそこにあるもの。


まるで――

灯りがともった“家族”のように。

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いらっしゃい、春海さんのバタバタ生活へ。 あじせ @azzise

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