第2話&第3話 『沈黙の春』と『紅岸』を読んで
私は三体について「文化大革命で父を失った学者が、宇宙人とコンタクトを取って呼び寄せた(?)」というあらすじのみを事前に知っている。
ここまで読んで、娘の文潔がその学者であると確信を得た。
【人類の暗喩】
父を含めて慕っていた人たちを失い、帰るべき我が家も壊れてしまった文潔。
社会に絶望している文潔に、とどめを刺すのがこの二人だ。
どちらも親切そうに近づいてきたのに、白淋霖は己の保身のために文潔を裏切り、程麗華は己の思い通りに文潔が動かないことで暴力を振るう。
この二人はただの登場人物(個人)ではなく、文潔から見た社会全般(人類そのもの)を表しているキャラクターではないだろうか?
文潔は失うものなどもう何もない。
人類に裏切られたことでいよいよ失望して、レーダー砲と呼ばれる研究所(宇宙とコンタクトを取ろうとしている?)にて、本来は賢い人なのに後先考えずに宇宙人と交流を持つのではないか?
もしかしたら、今度は宇宙人と人間との間で文化大革命が起こるのかもしれない。
それが文潔の狙いだとしたら、先ほどは後先考えずにと書いたが、随分大きなヴィジョンを描いている学者だ。
【沈黙の春】
レイチェル・ハルの『沈黙の春』が出てきた。
この本は確か、本の影響で社会が殺虫剤を使わなくなったら、虫(蚊)が増えてそれが媒介となり病気にかかって死者が増えた、という出来事までがセットで有名だ。
読んだことはないが、この本は世間で「一連の出来事は愚かだ」または「教訓がある」といった内容で語られている印象がある。
だが、三体の中では一段高いところから、より広い視点で語られている。
「結局のところ、人類の成すことはみな愚かなのではないか? その愚かさに気づいて道徳に目覚めるのは、人類以外の力が働いた時なのではないか?」
というものだ。
これは今後の展開の伏線や暗示だろう。
文潔が宇宙人とコンタクトを取る(?)のは、人類に変わってほしいという思い、または社会に強烈な変化が起こってほしいという期待があり、そのきっかけに人類以外の存在を利用するのかもしれない。
【さらに考察】
作中に、
『文潔の人生は大きな円を描き、出発地点に戻ってきた。』(本文引用)
とある。
この文書に、私は理屈ではなく直感的にフラグのようなものを感じている。
百年の孤独は一族がグルグルと同じ出来事を繰り返して最後にその輪から解放される話だった。
この三体は、中国の歴史とSFを掛け合わせた超大作だ。
また、人間社会の脆さや愚かさを描いている。
人類の歴史は何度も過ちを繰り返して、そこから学びを得て少しづつ前進してきた。
さらに、SFにおいて『円=終わりのない繰り返し』というのは鉄板ネタでもある。
(例:涼宮ハルヒの憂鬱シリーズのエンドレスエイト)
もしかして、百年の孤独のように主人公の文潔の一族(それを取り巻く社会)が同じ出来事を繰り返して三歩進んは二歩戻るというように、地道に進展して愚かさの輪から抜け出そうとする話なのではないか?
それを暗示しているのではないか?
そんなふうに考えている……が、さすがにこれは考えすぎというか、メタ過ぎる思考かもしれない。
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