いつも軽やかで温度のある物語を紡がれる作者さまが、この作品では深い底の方から立ち上るような痛みを抱えて描かれているのを感じました。
その静かな悲しみの匂いに触れたとき、胸の奥に震えるものがありました。
この物語に描かれた「父」「骨の重さ」は、ただ肉体の質量ではなく、記憶やすれ違い、触れられずに残った沈黙ごと抱えあげたときの重みなのだと、深く沁みました。
きっと今も、見守られていると思います。
私自身も三十歳で父と別れ、しばらく涙が出なかった時期があります。
乾いた日々ののち、二年後に実家でうたた寝していた夢の中で、父に頭を撫でられたような気がして、その感覚で目が覚めたとき、ようやく涙がこぼれたのでした。
読ませていただき、ありがとうございました。
痛みをそのままではなく、透明な文章へと昇華して届けてくださったことに、深い敬意を覚えています。
自分は祖父の葬儀の時、青臭くも終始涙を止めることができませんでした。
実質上の父親だったこともあって、思った以上に祖父の事を心の支えとしていたのかもしれません。
ただ、それで何かが変わったかというと、正直なにも大きく変わったことはなかったんですよね。
相変わらず私は実家から離れて暮らしていますし、給料は安いし、外食チェーンの飯は安定して美味いし、ニュースでは熊が暴れまわってるわけです。
私には大きな影響を与えたのに、祖父の死は世界に何も影響を与えてないんだな、と、当たり前のことを思うと、どうしようもない虚しさを感じてしまいます。
何か、あった方が良かったのでしょうか。
故人の生きた証となる、爪痕のような何かが。
それとも、いずれ忘れ去られていくべきなのでしょうか。
いずれ土と混ざりゆく草木のように。
主人公の擦りむいた手の甲と遺骨の入った骨壺の重みとが、故人からの答えを伝えようとする無言のメッセージのように思えてなりません。
多くを語らないが故に読み手にかなりの余地を託した、とても重い作品でした。
親父が逝った。
祖父も祖母も看取り、妻を看取り、最後の最後に旅立った。
葬儀に訪れたのは、兄の一家、姉の一家、それから主人公の一家。
親が死ぬ。それこそ、生きている全人類がいずれ経験する、ありふれた行事だ。
不思議と、涙も出ない。
『父親』という距離感は、実に不思議である。
父親は、恩人であり、秩序や常識に関する教師、または反面教師であり、
人によっては恐怖やトラウマの対象だ。
一緒に暮らしている間は、こんなに父親に対して抱いている感情が多いのに、
家を出た途端に、その距離は微妙になる。
主人公も、きっとそうだったのではないかと思う。
毎日会っていたのが、月に一度に。
月に一度がやがて半年に一度。
そして、一年に一度……。
会えなくなっていくことに対しても、なんとも思わなくなっていく。
あれだけお世話になって、あれだけ恩のある人なのに。
息子が、親父を抱える、という瞬間はものすごく稀である。
まあ、ほぼ息子が大人になってからのことだろう。
あんだけでかかった父の背中が小さくなり、
しかし、いざ冷たくなって、骨と皮だけになった父を棺に入れるとき、その重さに驚く。
そして、骨壺を持った時の軽さにまた驚くのだ。
これら、自分達が巣立ち、親父を思うときのこの距離感に、名前をつけるなら、何がふさわしいだろう?
悲しいでもない。寂しさもない。
ただ、業務的で冷たい時間が流れていき、感傷に浸る時間もわずかなことについて、
この時の感情を、なんと呼べばいいだろう?
人間の深いところを、わずか二千文字で描いた傑作だと思います。
是非、ご一読を。