10話 戦いの後には……
乱闘の音が消えた時、シュヴァリエ伯爵の首には大量のインクが付着していた。
彼を追い詰めたアデルは軽く息切れしながらその場に座り込み、ヴェロニックは魔術を解いた。
一方のレイモンは、未だにヴェベールの攻撃の嵐を躱し続けている。
しかしヴェベールがシュヴァリエの敗北を確認すると、すぐに武器を下ろしてしまった。
そして抵抗する素振りもなく、両手を高く上げる。
「……参った、降参する」
レイモンはあまりものあっけなさに罠かと思ったが、彼にはさっきまでの覇気がまったくない。
どうやら嘘ではないようだ。
その様子を見たシュヴァリエは、大きなため息をついた。
「ヴェベール君、君は戦場でもそんなあっさりと降参するのかの?」
「ははっ、まさか。今はそこまで本気になる必要はないでしょう。
それにオレ、無駄なことはしない主義なんでね。
ここで奮闘してもメリットはないですし。
ご不満なら彼に頼んでインクまみれになりましょうか?」
そう言ってヴェベールはレイモンの方を見た。
まるで斬ってくださいと言わんばかりに。
伯爵は呆れながらも何も言わなかった。
レイモンはようやく気を緩めることができ、息を荒く切らしながら大の字で倒れ込んだ。
……もう、流石に限界だった。
ヴェロニックはシュヴァリエの元へそっと近寄った。
「……鉢巻、頂きます」
「ホッホ、持っていけ」
黄色い鉢巻を取られる伯爵の顔には、敗北による悲観の色は一切ない。
むしろ、満足そうだ。
「今年の子はとても優秀じゃなぁ。
団結力が高い上に、個々が自身の強みをうまく活かしよる。
こんなに嬉しいことは久方ぶりじゃのう。
……特に、お主」
シュヴァリエは嬉しそうに、干からびているレイモンの方を向いた。
「お主は、"忍耐力"と"適応力"がかなりずば抜けておる。
仲間に無茶を押し付けられようとも、根性で何とか切り抜けようと必死に足掻くとは、見直したぞ。
もしお主が粘っていなければ、ヴェベール君がワシの手助けに入り戦局は大きく変わっておった。
まだまだ足りんところは山ほどあるが、とても素晴らしい素質じゃ。
例え今は実力を発揮できなくとも、努力すればお主は将来立派な軍人になれるじゃろう」
……言葉が出なかった。
自分は仲間と比べると、ただの取り柄のない人間だ。
なのに、シュヴァリエはレイモンをかなり持ち上げてくれる。
夢見心地という言葉が、今のレイモンにぴったりだった。
「アデル、もしかして分かっててあんな無茶振りを彼にふっかけたんか?
かーっ!意外とお前って仲間思いなんだな!」
「――っ!」
ヴェベールは気恥ずかしさで顔を赤くしているアデルの頭を拳でぐりぐりした。
まるで照れ隠ししている弟を、兄がからかっているかのようだ。
二人はかなり仲がいいのかもしれない。
特別チームの本陣は、陥落したにも関わらず賑やかな笑い声で満ち溢れていた。
***
遠くでアデル達の戦いを見ていたジャッド王女の耳に、ヴェロニックの声が入った。
『……鉢巻、回収した』
「了解、本当にご苦労様。
こっちに戻ってきてちょうだい。
少し休憩してからで構わないわ」
会話を聞いていたナタンと目配せしたジャッドの顔を見て、近くにいたジェラールは本陣で何が起きたのかを察した。
「おい、マジか……あの伯爵殿を打ち負かしたのか?
ガハハハ! 流石だぜ、王女様!」
ジェラールは彼女たちの勝利を、心の底から喜んでいる。
教師として、自身の生徒の優秀さに感服しているようだ。
近くにいたナタンと無理やり肩を組んで、渋い顔をさせているくらいだ。
「それにしてもあのアデルを囮に使うとは!
本人嫌がったんじゃないか?
よく説得できたな!」
ジャッドは彼の言葉にあからさまに肩を落とした。
ジェラールのいう通り、アデルは最初囮役に頑固反対していた。
だが派手に戦う傾向があるから、誰よりも相応しい役だ。
最終的に、彼に一ヵ月ご飯を奢ることで何とか頷かせることができたのだ。
「……かなり、痛い出費になったわ」
彼女が愚痴をこぼすと、二人は憐みの眼差しを向けてきた。
「ところで、この後はどうする?
まだ試験が終わるまで時間はあるけど」
ナタンはジェラールに捕まえられた状態のまま、ジャッドに質問した。
「道中アデルに落とされたチームの鉢巻は、レイモンが全部回収してくれているわ。
これ以上点数を稼ぐ必要もないし、ここで待機しましょ」
ナタンは同意の意思を見せた。
既にジャッド達の点数は、高得点に到達しているのは明白だった。
現時点で試験が終わったとしても、十分すぎるほどのレベルだ。
それにアデルが暴れすぎたせいで、実力を発揮できないまま陥落してしまったチームも少なくない。
これ以上争ったところで、ただ他の学生の反感を買うだけ。
動かない方が、お互いに得というものだろう。
そんなことを悠長に考えている矢先、突然ジャッドの正面から高速で透明な何かが飛んできた。
反射的に彼女は顔を反らしたが、その物体は痛みと共に肩を掠った。
そっと掠った場所を見た時、ジャッドは思わず心臓が高鳴った。
肩についているのは、真っ黒なインクではない。
――鮮やかな赤色の、自分自身の血だった。
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