9話 情報官の愛弟子
その頃のシュヴァリエ伯爵は、アデルとヴェベールの戦いを眺めていた。
かれこれと長い間二人は激戦を繰り広げているが、まだ勝敗はつきそうにない。
しかし、それも時間の問題。
ヴェベールにはまだ余裕があるものの、アデルの顔には疲労が見え始めている。
本人は一生懸命隠そうとしているみたいだが、いくつもの戦場を潜ってきたシュヴァリエの目は誤魔化せなかった。
「おいおい、少し動きが鈍くなってきているぞ!
最初の威勢はどうした! 派手に暴れすぎて疲れたか!」
ヴェベールの挑発にアデルは大きく舌打ちしたが、さっきまで違い何も言い返さなかった。
想像以上に余裕がないようだ。
シュヴァリエは、後ろで休んでいるレイモンに目をやった。
彼はレイモンのことを”粘り強いがただそれだけの子”と判断していた。
現役の軍人でも目を見開くほどのアデルの足の速さに、頑張ってついてきたことには評価している。
だがそれだけで戦えない程疲弊してしまう上に、修羅場を潜った戦士の顔つきではない。
そのうえ、刻印のない白い肌が致命的だ。
(たとえ今動けたしても、大した戦力にはならんじゃろう。
まるで生まれたてのひよっこのようじゃ)
シュヴァリエは頭の中でそう結論を出し、まだ息の荒いレイモンをそのまま放っておくことにした。
突然、考えに耽っているシュヴァリエの目の前を銃弾が素早く横切った。
「――む!」
シュヴァリエは驚いて、思わず体が強張った。
幸い銃弾は当たることなく、近くの地面に穴をあけた。
「あやつら……もうやられたのか。
もう少し粘ると思っていたんがのう」
犯人がジャッドであることはすぐに分かった。
二人の刺客を落としたことで余裕ができたから、シュヴァリエを狙ってきたのだろう。
しかし、彼女がいる場所はここからかなり離れている。
それにシュヴァリエはあえて高い崖の真下に陣取り、狙撃しづらい場所に待機していた。
そのせいで思うように狙いを定められなかったのだろう。
「……さてと、そろそろ局面を大きく動かす頃じゃな。
ワシも久々に体を動かすとするかの」
シュヴァリエは横に置いていた槍を手に取り、腰を上げた。
彼の目には、アデルの姿が捉えられている。
ヴェベールには申し訳ないが、二人の勝敗はもう決まっている。
横から乱入し早々に決着をつけ、自らジャッドの元へ向かおうかと考えていた。
しかし彼が一歩踏み出した矢先、突然右膝にチクリと何かが刺さった痛みが走った。
「なんじゃ? ……ん!」
突然体のバランスが崩れてしまい、思わず膝をついてしまった。
咄嗟に立ち上がろうとするものの、右足が動かない。
感覚も薄まり、足が自分のものじゃないような錯覚に襲われた。
どうやら麻痺しているようだ。
「参ったのう……
若い頃はこんな不意打ちも躱せたが、ワシも年じゃな。
仕方あるまい、隠れている子の相手を先にするかの」
前方にいる三人以外、周囲に人の姿も気配もない。
人が隠れられるような物陰もない。
であれば魔術で姿を隠し、近くで様子を伺っている可能性が高い。
(ドラクロワ君の子供が囮で、本命はこっちの子というわけか……
流石ジャッド王女様じゃ、よく考えていらっしゃる)
伯爵はその場から動けずに、周囲をひたすら警戒した。
どこに居るかわからない相手との睨み合いの中、突然背後から何かが飛んできた。
「――ふん!」
シュヴァリエは慣れた槍捌きで、迫る物体を払い除けた。
カランと音を立てて落ちたそれを見ると、特殊な刃だった。
「バリスティックナイフか、珍しい物を持っておる」
バリスティックナイフは、刃を発射することのできる特殊なナイフだ。
発射速度が速いため殺傷力は高く、近接戦では最強の武器だという噂がある。
「これはちと老体に鞭を打つ必要がありそうじゃな」
シュヴァリエは目をかっと見開き、魔術の刻印を光らせた。
すると彼の目には肉眼では到底見えない空気の流れが、手に取るように見えた。
この状態では、隠れている刺客の場所など丸分かりである。
「――ここか!」
シュヴァリエは思い切り前方に槍を突き刺した。
すると驚いた拍子に魔術を解除してしまった女性が、突然姿を現し攻撃を躱した。
藤色のショートヘアに、黒い狐のお面――
ヴェロニックだ。
「ほほう、そのお面……確かガルニエ君の可愛いお弟子さんだったかの?
いやぁ、あっぱれじゃ!
ここまでワシが追い詰められるとは思わなかったぞ」
シュヴァリエは彼女を称えているが、かなり余裕のある様子だった。
これでは、魔術で姿を隠しても筒抜けになってしまう。
傍から見たら、完全に詰んでいる。
それでもヴェロニックは焦りを見せることなく、刻印を紫色に光らせて再び姿をくらました。
「……無駄なことを」
シュヴァリエは的確にヴェロニックに何度も攻撃を仕掛けた。
正面からの対人戦があまり得意ではない彼女はその度に避け続けるも、圧倒されてしまう。
反撃で刃を放っても、伯爵は顔色を一切変えなかった。
だが今度は槍を持つ右手に再びチクリと痛みが走った。
「――なっ!」
シュヴァリエは無意識に槍から手を離してしまった。
焦燥感に襲われる彼の隙を、ヴェロニックは逃さず刃を放った。
シュヴァリエは咄嗟に左手で槍を広い、攻撃を防いだ。
「……居場所は分かっても、何をしているのかは見えない。
……それが、貴方の魔術の弱点」
相手は引退したとはいえ、ベテランの軍人。
敵の行動を見て次の攻撃を予測するのは簡単だ。
だからこそ、ヴェロニックはあえて姿を隠した。
事前の情報で、伯爵には相手の居場所は分かるが細かな動きまでは見えないことを知っていた。
であれば相手がナイフを持っているのか、吹き矢を持っているのか分からないはず。
そう彼女はふんでいた。
「なかなかやりおる。
じゃが右手を封じたところでワシに勝てると思うな!」
伯爵はそう叫び、再びヴェロニックとの駆け引きを始めた。
そんな中、唐突にアデルが叫んだ。
「――ぬあぁぁぁぁぁ!!
もう我慢の限界だ! やってられん!」
何事かとその場にいたものは皆、一斉にアデルの方を向いた。
彼は怒りに任せてヴェベールを後方に無理やり突き放し、一瞬でレイモンの背後に回った。
「おい! いつまで休憩しているつもりだ!
少しは戦え!」
「え、ちょまっ、まだ息が――って、ぎぁぁぁぁぁぁぁ!!」
アデルはまだ息の荒いレイモンの後ろ首を掴んだと思うと、思いっきりヴェベールに向かって投げた。
いきなりの展開で驚愕し、ヴェベールは開いた口が塞がらなかった。
だが、悲鳴を上げて飛んでくるレイモンを仕留めようと刀を構える。
「――!」
レイモンは反射的に剣を掴み、ヴェベールの一撃を何とか捌いた。
その後容赦なく何度も刀を叩きつけられるも、ぎりぎりのところで全て受け止め続ける。
「ははっ、君意外と骨あるじゃん!
悪いけど今めっちゃいい気分だから容赦しないよ!」
ヴェベールは小悪魔のような笑みを浮かべると、今までアデルに繰り出してきた猛攻をレイモンにも浴びせる。
急な展開と披露しきった体で色々追いつかないながらも、レイモンは必死に噛り付いた。
そんな中アデルは、自身の魔術の刻印を赤く光らせた。
彼の視線の先には、ヴェロニックと戦うシュヴァリエがいる。
「行かせないよ!」
ヴェベールが隙を見てアデルを止めに入ろうとした。
しかしアデルは音速を超える速さで、彼の横を駆け抜けてしまった。
「――しまった! ”高速魔術”か!」
気づけば、アデルはシュヴァリエの間合いに入っている。
ヴェベールは慌てて追いかけようとしたが、粘り強いレイモンに手こずっていてその場から動けなかった。
シュヴァリエが槍をアデルに向けた時、ヴェロニックは麻酔針を彼の左手に刺した。
彼はそのまま、両手を情けなくぶら下げて地面に槍を再び落としてしまった。
「……あぁ、参ったのう」
前方には、首を狙うアデル。
後方には、ナイフを突き刺そうとするヴェロニック。
そんなピンチなのに、手足が思うように動かない。
シュヴァリエは潔く負けを受け入れ、二人の攻撃をその身に受けた。
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