露天風呂、朝9時

「ふいー……」


 朝9時、開店と同時に入ったスパ銭は、平日ということもあり閑散としている。露天風呂に浸かり、両足を投げ出しながら空を仰ぐ。今日も晴天だ。とはいえ、テント泊で寝袋だったし、一回モンスター避け炊き直すために起きたりしたから昨晩はあまり熟睡できなかった。結構眠い。この気持ちよさのまま寝てしまいそうだ……。


「真美華、ここは面白いなっ! さっき入った電気風呂は攻撃みたいで……背中当たって、そう、あそこ打たせ湯、滝みたいになってるらしいぞ! すごいよな! 後で行こう!」

「朝っぱらから元気だねあんたは……」


 グロッキーな私にお構いなくお湯をかけ分けのしのしやって来た羽純は、目をキラキラさせながら子供のようにはしゃいでいるのだった。顔を上げる。

 目の前に立っていたのは骨格ウェーブで手脚鬼長、胸もあれば腹筋も浮き出ている完璧シルエットの爆美女だった。モデルとかでも十分やっていけそうだよなと同性ながらつくづく嫌気が差してしまうが、しかし所々に傷痕や打撲痕が見えて、どうしたって痛々しさを感じてしまう。


「いやあ、スーパー銭湯というのも初めてだ。遠征で地方の旅館に泊まって、露天風呂に入ったりはするが、こういうのも楽しいな」

「ふーん、喜んでくれて良かったわ。……あー、羽純?」

「んん?」

「その傷とかってさあ、ダンジョンでやられたの?」


 羽純はざぱりと自分の腕を持ち上げたかと思うと、「いいや」と首を振る。


「ダンジョンでの負傷はポーションや《ヒール》で回復するからな、どちらかというと修業でできた傷が多い」

「修業ぉ……? あ、羽純ん家の道場? みたいな?」

「ああ、そうだ。小さい頃からずっと剣を振ってきたからな。むしろオルタナに入ってから怪我をしなくなったぐらいだ」

「マジかよ。あー……木雨雪流剣術って、やっぱ有名なん? ウチよく知らねーんだけど」


 座り直した羽純はしばし考えていたようだったが、やがて「今はもう、なあ」と残念そうに呟くのだった。


「でも、昔は有名だったんだと思う。曾祖父が師範をやっていたころは100人ぐらい門下生がいたと聞くしな。しかし、それからどんどん減ってしまって、子供のころに道場にいたのは父と私だけだった。あーそうそう、かつては曾祖父の出ている木雨雪流剣術のビデオがあってな、私も何度も観たぞ。中でも奥義、“絶狼ゼロ”はもう神業でな、全く原理が理解できないんだ。いいかい? まず剣の構えがこの位置で、体勢が……」

「あー、その技の話長くなるう? 分かんないよ構えがどーとか言われても。じゃなくってさあ、そーだな、何で100人いた弟子が羽純パパの代でゼロ人になっちゃったのか聞きたいなー」


 興味の湧かなさそうな話から慌てて軌道修正する。どうしても技を説明したかったのか、羽純は全裸で比較的みっともないポーズで「ええ?」と少し不服そうにしていたが、渋々また湯の中へしゃがみ込むのだった。


「うーん、どうだろうなあ。でも、祖父のやっていたことがかなり道場ビジネスだったから、それに反発して規模を縮小したのが大きかったんだと思う。そもそも体が弱かったのもあるし……でもきっと、一番はダンジョンだったんじゃないかな」

「ダンジョン?」

「ああ、父が若い頃にダンジョンが世界に出現した。誰もが神器に覚醒して、人々の戦う相手は人間からモンスターに変わった。そんな中で、父が覚醒した神器は残念ながら歯ブラシだったんだ。世界から見切られたと思ったんだろう、父は己の武を研鑽することを辞めてしまった」

「ああー、フレーバー型かあ……確かに歯ブラシの絶望感ったらないかもなあ……」

「だろう? だから父は自身ではなく、運がいいのやら悪いのやら、刀の神器に目覚めた実子に道を極めさせることを選んだんだ」


 何でもないようにそう告げた羽純の笑顔に、げんなりしてしまう。

 本当にグロい話だった。同じフレーバー型神器のよしみで羽純パパの絶望感こそ分かるが、でもそれで自分の子供に傷だらけになるまで修業を強要するのは別問題だ。ウチのパパとママが放任主義だったからか、傷だらけの羽純の体を見るだけでも余計に悲しくなってしまう。


「羽純、ごめんね」

「いいんだよ、そのお陰で私はガチ勢冒険者でいられたんだから。それよりもさ、真美華。えっと……ソノのこと、気にしてないか?」


 そう言って、羽純は眉根を寄せて心配そうに私のことを見つめていたのだった。私はお湯でばしばし顔を洗ってから、その手の平を見つめる。園田のこと。……昨日の夜のやり取り。


「生きてるって? 絶刀が?」

「分かんねす。でも、それ……刀身が消えてなくなっただけじゃない気がします。弱体化したとか、無力化したとかじゃなくて、何だか“最初からこの形だった”みたいに、言ってるように見えて……」

「最初から、この形……」

「へーなになに!? あんたすげーじゃん! 何、そーゆーの分かんの、占い師とか霊能者みたいでかっけーわ! じゃーウチのウチの! ウチの撮丸もなんか見てよ! 撮丸、顕現!」

「は? いや、別に俺そういうのじゃねーんだけど……」

「どうどう? これさ、配信できるドローンって感じの神器なんだけどさー、なんか強くなりそうだったりする? 今後ビーム出るとかー、ミサイルぶっ放せるようになるとかー」

「……おいソノ、どうした? ……ソノ?」

「あんた……え……うわキッショ!? 何だその神器! 呪われてんじゃねーの!?」


 それが、昨日の園田とのやり取りだった。

 羽純にはあんなおだてるようなこと言っておきながら、私の撮丸にはガチビビりしながらうわキショときたもんだ。結局、園田に理由を問いただしても、あくまで直感とかなんとか抜かしやがってろくな説明はしてくれなかった。だから、気にしてないかというと……。


「すぅぅぅっげえ腹立つぅぅ〜!」

「お、おう……あのたわけ者がすまんな……」

「くっそ、くっそ! 人ンことエンジョイ勢だと思ってバカにしやがって〜! 次会ったら腹パンしたるわあいつ! オラ! オラぁ! ……はあー」


 バッシャバッシャと怒りに任せて水面を殴り付けるが、虚しくなってやめる。どうせ私の腹パンなんか一ミリも効かないに決まっているのだ。あーくそ仕方ない、何かで気を紛らわせよう……じろり。


「羽純、腹触らして」

「え!? 急に何でだ!?」

「腹筋割れてんじゃん。筋肉あるやつは人に腹筋触られる運命にあんの。ほら、腹よこせ、腹」

「ええ? いや、おなかは……その……やだぞ……」

「は? じゃー腕。こう、ぐっと力入れてよ。筋肉触ってストレス緩和して家帰ってお布団で二度寝するって決めたんだ真美華は。ほら、腕。腕税払え」

「腕、そ、それぐらいなら……」


 そうして観念した羽純はざぱりと腕を上げて私の前に差し出すのだった。

 お湯の水滴、ハリのある健康的な肌と何かが刺さった痕のようなかさぶた、傷痕。鍛え抜かれた、そして懸命に生きてきた女の腕。さっきの話も相まって、何だかすごいものを目の前にしているような気さえしてくる。しかし私が用があるのはその皮膚の下だ。じっと腕を見つめ、手を伸ばす。


「うむう……」

「わー硬った……へー……おお……ふんふん……」

「お、面白くはないだろ、私の腕なんか触っても……」

「えー、んなことないよ。鍛えた筋肉ってのは、いーもんだぜー?」


 羽純の腕をぺたぺた触る。女の腕らしく細いものの、しかし皮膚の下の筋肉の質感がめちゃめちゃ感じられる。よし、彼氏を作るなら絶対細マッチョにしよう。そんでもって腕枕させてやりたい。兄貴の腕でも腕枕はできるだろうが、あれはちょっと太すぎだ。ゴリマッチョが至近距離にいるのも、なんか嫌だしな。やっぱり羽純ぐらい細くて筋肉質な方が揉んでいて楽しそうで……。


「ま、真美華ぁ……」

「おん?」

「そ、そろそろやめてほしい……何か、すごく恥ずかしくて……良くないことしてるみたいな……感じがする……」

「……うおう!?」


 思わず羽純から飛び退いてしまって、ばしゃりと水飛沫が上がる。「ごめん」と声を掛けると、羽純は「う、うむ」と鳴いて真っ赤な顔で苦笑いしながら俯いているのだった。

 心臓がバクバクと鳴っているのが分かる。てかいま私、夢中になって何をやっていた? 目の前には羽純の今まで見たことのなかった本気の照れ顔があって、脳裏には蚊の鳴くような悲鳴がこびり付いている……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る