県境近くの山の頂上で叫ぶ

小阪ノリタカ

端っこの空に、声は響く

ここはとある県境近くの端に位置する山。


この近辺の山々は、行楽シーズンこそ混み合うものの、それ以外のシーズンは昼間でも人影はまばら。


そんな秋の終わり。

澄んだ空気の中、ひとりの青年が山道の急勾配の坂を息を切らしながら登りきっていた。


「…はぁ、やっとこの山の頂上に辿り着いた…」


見晴らしの良い尾根の上。

東の方へ目を向けると、遠くに街のきらめきが見えて、西の方へ目を向けると、深く切れ込む渓谷が広がっている。


青年はザックを地面に置き、ひと呼吸置いてから、ふと笑った。


「…こんな場所まで来るなんて……俺も相当だな」


仕事で空回りし続け、家でも余裕がなくなり、気がつけば全部が手のひらからこぼれ落ちそうになっていた。


『どこでもいいから、遠くへ行きたい』


その衝動のまま、電車とバスを乗り継いで、最後は自らの足でこの山まで登ってきた。


少し標高が高いせいか、風が吹くと頬を切るほど痛くて冷たい。

だけど、不思議と気持ちは軽かった。


「…よ、よし」


青年は、誰もいない空へ向かって、大きく息を吸い込む。

そして――


「うおーい!俺はまだ、終わんねーーからよ!!見てろよーー!」


青年の大きな叫びは、澄んだ空気に乗って、山の端から端まで響き渡った。

当然、返事なんて返ってこない。

だけど、それで良かった。


もう一度、胸の底を掘り返すように叫ぶ。


「俺はまだやれる!もう一回失敗してもいいだろー!」


空気が震えて、胸のつかえがわずかに溶けていく。


しばらくして、風が吹き抜けた。

まるで誰かが「ちゃんと聞いているよ」とでも言うように。


青年は、空を仰いでようやく笑った。


「…よし、なんかスッキリしたし帰るか」


この山の頂上で叫んだからと言って、すぐに人生が劇的に変わるなんてことはない。

でも、確かに何かが軽くなった。そんな気がした。

たとえ、小さな変化でも、前へと進めるならそれだけで十分だった。


地面に置いていたザックを持ち上げて、背負い直して、山道を下りながら、青年は思う。


――また叫びたくなったら、またここに来ればいい


県の端っこの、この山の上。

空がしっかりと、受け止めてくれるのだから。

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