第18話 天の岩戸

一ヶ月の静寂を経て、世界は再びその歯車を狂わせ始めていた。 地下病院を後にした花、俊、朔夜の三人は、目的地も定まらぬまま、灰色の景色が続く廃墟の街を北へと進んでいた。かつては人々の生活の匂いがしていたはずの住宅街は、今や風に吹かれる砂埃と、主を失った野良犬たちの遠吠えが支配する沈黙の地と化している。


「……ねえ、あそこ。ちょっと寄ってみない?」


花が指差したのは、建物の外壁が剥がれ落ち、もはや何の店だったのかも判別がつかないほどに損壊した店舗だった。入り口の自動ドアは粉々に砕け、その枠だけが歪に口を開けている。 三人は慎重に足を踏み入れ、薄暗い店内の奥へと進む中、朔夜が足を止めた。


「おい、見てみろよ。こんなところで、こいつは奇跡だな」


朔夜が瓦礫の山から引きずり出したのは、厚手のナイロンで作られた頑丈そうな黒いバックパックだった。しかし、それはただの鞄ではない。いくつもの金属製のバックルと、肩口から伸びる一本の太いワイヤーコードが特徴的な、特殊な装備品だった。


「これ、リュック……?」 「いや、パラシュートだ。それも、専用のバッグに収納されてる完品だ。この紐――リップコードを引けば、一瞬で傘が開く仕組みになってる。保存状態は最高だぜ。……これ、何かに使えるかもな」


朔夜はその重厚なバッグを背負い、自分のザックの上から固定した。


「……行こう。」


俊が促し、三人が店を出たその時だった。空を圧するような、重低音の羽音が響き渡った。 遠く、数キロ先にある居住区の上空に、一機の巨大な自衛隊ヘリコプターが現れた。迷彩塗装を施されたその機体は、街の中心部でホバリングを開始すると、機体後部のハッチをゆっくりと開いた。


次の瞬間、ヘリから一つの「黒い物体」が投下された。 地上数百メートル付近に達した瞬間、その物体は生き物のように蠢き、急速に膨張を始めた。幾何学的なドーム状へと変形し、肥大化しながら街全体を包み込んでいく。


ドォォォォォンッ!!


地響きのような、重く、決定的な音が三人の元まで届いた。黒いドームは街の境界線をなぞるように地面に突き刺さり、完全に光を遮断して、数千人が住むその街を丸ごと包み込んでしまった。


「な、何……? 街が, 消えた……?」


花が息を呑んだ直後だった。 ――ドォォォォォンッ。 少し遅れて、今度は全く別の、西の方向から同じような重低音が響いてきた。三人が弾かれたようにそちらを向くと、さらに。 ――ドォォォォォンッ。 北の方向からも、空気を震わせる衝撃波が届く。


「……一つじゃない。あちこちで、同じことが起きてるんだ」 俊の声が、困惑と戦慄に震えていた。爆発でも破壊でもない。ただ、複数のコミュニティが丸ごと、自衛隊の手によって黒い巨大な「蓋」で覆われてしまったのだ。三人は、自分たちの知らないところで何かが決定的に変わってしまったことを悟り、ただ立ち尽くした。


その頃、東京・府中。 かつて東京都刑務所と呼ばれた場所の瓦礫の荒野で、首相・百戸腹 己悟郎は、大勢の自衛隊員と共に職員たちの遺体回収に当たっていた。己悟郎は一箇所で足を止める。そこには、神野切哉の遺体があった。


「……神野。済まないな、お前をゆっくり休ませてやることもできない」


己悟郎は低く呟くと、近くにいた自衛隊員に短く指示を出した。 「運べ。……例の護送車だ」


用意されていたのは、戦車のような装甲を施された、一際頑丈な大型護送車だった。その内部には、一般的な棺桶とは明らかに異なる、精密機器が張り巡らされた「鋼鉄の箱」が据えられていた。 運搬に当たった隊員は、かつての英雄を、弔いとは程遠い異質な処置にさらすこの光景に、言葉にできない躊躇いを感じていた。だが、背後に立つ己悟郎の冷徹な決意に押されるようにして、神野の身体をその異質な箱の中へと納め、重厚な蓋を閉じた。


己悟郎は自らその護送車の助手席に乗り込み、運転席に座る隊員に命じた。 「……出発だ」


車が走り出す。己悟郎の手元にあるトランシーバーから、ノイズ混じりの音声が漏れた。 『……「岩戸」完了しました』


己悟郎は非常に重い表情を浮かべ、震える手でトランシーバーを掴むと、絞り出すような声で応答した。


「了解。私は、これより『太陽神(アマテラス)』を進めていく」


通信を切り、窓の外を流れる廃墟の景色を見つめる己悟郎の顔には、不安と決意が深く、深く刻み込まれていた。

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Arcana-アルカナ めが〜ね @megane558

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